坂元楓キャスター、5年間おつかれさまでした:一戸信哉の「のへメモ」20220318
2月11日と18日に、敬和キャンパスレポでインタビューを放送した、NHK新潟放送局の坂元楓さん。3月18日の新潟ニュース610でNHKを退職することを発表しました。5年間のキャスターとしての活躍、おつかれさまでした。
坂元さんは、在学中から新潟の民放局で、レポーターとして活躍していました。卒業後1年間、湯沢町第54代ミス駒子として活動した後、2017年4月からNHK新潟放送局にキャスターとして採用され、新潟ローカルの6時のニュース「新潟ニュース610」を担当されました。ミス駒子として、新潟と越後湯沢を行き来しながら活動を続けていた時期に、新幹線の待合室でばったりお会いしたこともありました。ミス駒子としても、湯沢町の観光振興に重要な役割を果たしていた様子でしたが、いわば「就職浪人」の時代だったわけで、うまく道を切り拓いてほしいなあと願いつつ、後ろ姿を見送ったことを覚えています。その後NHK新潟のキャスターに決まったときいたときには、大変嬉しく思いました。
その後のNHKでの活躍は、新潟の方には説明不要でしょう。通常だと週ごとにキャスターはローテーションし、2−3週ごとに、メインのアナウンサーとペアになってニュースを読んでいるのですが、年によっては毎週坂元さんが担当していた時期がありました。
2017年頃、大学では新しいコースの設置をめぐって議論が続いていて、結構疲れていたのですが、坂元楓さんと高井瑛子さん(元UX)が新潟のテレビに登場することが決まり、たいへん励まされ、その後「情報メディアコース」の設置へと歩みをすすめることができたと思っています。「アナウンス・ナレーション実習」という科目を設置したのも、彼女たちの活躍に励まされたところがあります。
坂元楓さんは5年の経験の中で、安定したアナウンス技術にさらに磨きをかけました。
情報メディアコースの学生たちは、「雲の上」を見るような目線で彼女を見ていて「敬和出身で、こんなテレビで活躍している人がいたのか!」と、驚きと自虐を組み合わせたようなコメントをすることがあります。先日メルマガの編集後記でも、担当の田中さんが「正直敬和学園大学からNHKに就職する人が出ていたとは驚きました」と書いています。
敬和キャンパスレポの放送の中で坂元さんは、「なりたいと思っていれば誰でもなれる」と後輩にアドバイスをされていました。もちろん坂元さんの言葉には謙遜が含まれていて、「誰でもなれる」はいいすぎだと思いますが、意思と努力が大きな割合をしめているとは、私も思います。
ラジオや映像のコンテンツ制作をしていれば、自分のボキャブラリー、取材内容に関する知識、もっと低レベルな事柄でいうなら「ちゃんと漢字が読めるか」(読めるように準備してあるか)、といったところで、自分の準備不足を感じる機会があります。インタビューを担当するMCたちは、話の展開力のなさを痛感することも多いはずです。その「絶望」からはいあがり、一歩一歩改善しようとするかどうかが、大きな差になって現れることでしょう。
学生たちが奮起するような道筋を作り、その成果をできるだけはっきり示せるよう、私は意識していきたいと思っています。坂元さんは高校時代、野球部のマネージャーとして球場内アナウンスを経験されています。高校放送部経験者、球場アナウンス経験者の高校生の皆さんには、ぜひ敬和の情報メディアコースで一緒に学び、坂元さんに続く才能として活躍してほしいと思います。
坂元楓さんの4月からのさらなるご活躍をお祈りしています。
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