見出し画像

アイドル松田聖子の歌うナイアガラサウンド「風立ちぬ」:一戸信哉の「のへメモ」 20240816

(ヘッダー画像はMidjourneyで作成)

80年代を代表するアイドル、松田聖子さんのイメージを変えた曲は、いくつもあったと思いますが、初期の転換点となった「風立ちぬ」について、佐々木モトアキさんが紹介しています。

風立ちぬ〜大瀧詠一と松本隆による“はっぴいえんどタッグ”が紡いだヒット曲の誕生秘話|TAP the NEWS|TAP the POP

1981年に松田聖子がこの曲を歌うことに対して最初は難色を示したものの、最終的にはその魅力に惹かれ、50万枚以上の大ヒットを記録しました。作詞・作曲は松本隆と大瀧詠一の「はっぴいえんどタッグ」によるもので、彼女のイメージチェンジと新たなファン層の開拓に大きく貢献した曲、という紹介です。

敬和キャンパスレポでは、2021年11月に、大瀧詠一さんの特集を放送しています。大滝さんと「ナイアガラサウンド」について、以下のように紹介していました。


大瀧 詠一さんは、1948年岩手県花巻市生まれ、2013年に65歳で亡くなっています。
1970年に結成され、日本のロック草創期(そうそうき)をいろどったバンド、「はっぴーえんど」のメンバーでもあります。はっぴーえんどには、松本隆、細野晴臣など、現在活躍しているミュージシャンのみなさんが多く参加していました。
その後、「ナイアガラ・レーベル」という音楽レーベルを自ら設立し、当時としては斬新で都会的な音楽を生み出しました。現在「シティポップ」と呼ばれている音楽の多くを生み出したともされています。
大滝詠一さんは、アメリカの音楽プロデューサーフィル・スペクターさんの「ウォール・オブ・サウンド」と呼ばれる録音技法から影響をうけて、日本版の「ウォール・オブ・サウンド」を実現したといいます。これは多重録音を駆使して、重厚感のある音、を作り出す方法だそうで、「ウォール・オブ・サウンド」、音の壁を作る方法だそうです。おそらく「アナログ」の時代ならではの技法で、今はデジタル処理ですぐにできてしまうのでしょうけど、相当手間と時間をかけて、演奏と録音を繰り返したのではないかと思います。

当時担当していた田村さんは、大瀧詠一さんのことを知らなかったので、ご家族にきいてみたところ、ご家族もご存じなかったようでした。「ナイアガラサウンド」で一斉を風靡した大瀧詠一さんですが、徐々に知らない人たちも増えているようです。その一方、大瀧詠一さんのことは知らなくても、曲はカバー曲として、いまも輝きを放っているように思います。

「風立ちぬ」は、「松田聖子さんの歌」として認知されていますが、こちらも多くの方々がカバーしていて、大瀧詠一さんが歌っているもののほか、稲垣潤一さんと島田歌穂さんのデュエット、徳永英明さんなどが見つかりました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?