沖縄の役場から放送が送信される「親子ラジオ」:一戸信哉の「のへメモ」20221217
年末の企画で、学生たちと収録した沖縄の話の放送を予定しています。今年の9月、私の研究活動に学生たちが同行する形で、学生たちは映像の撮影も行いました。学生たちが何を学び作品化したのか、収録でいろいろお話ししました。今日は放送では話題に出ていない「ラジオ」の話。
今回、沖縄戦の戦跡を、回っていく中で、南風原町の南風原文化センターにも行きました。ここは陸軍病院壕のあったところなのですが、同時に南風原と戦争、そして戦後についても多くを学ぶことができます。
その中で私が興味を持ったのが「親子ラジオ」でした。
「親子ラジオ」というと、夏休みの宿題で、親子でラジオを組み立てるイベントが、各地で行われていて、検索ではそちらが多く引っかかります。ラジオ受信機がない家庭も増えてくる中で、ラジオという仕組みを理解する上でも大切なことでしょう。
しかし今回ご紹介する、沖縄の親子ラジオは、それとは異なります。「村営親子ラジオ」と書かれています。解説には以下のように書かれています。
ラジオの受信機が高価だった時代に、受信機を村役場におき、有線の通信回線を用いて、ラジオ番組を再送信したり、各種村内のお知らせを流していたということなのでしょう。米軍政府の資金援助により、最盛期には沖縄全体で12万台設置されていたといいます。
現在もこの仕組みが残っているところがどれぐらいあるのか。おそらく南風原では使われていないと思うのですが、調べてみると、宮古島の周辺にある池間島で、2019年に放送されている様子が紹介されています。
池間島は現在、宮古島と橋でつながっており、おそらくはそこまで隔絶された環境ではないと思うのですが、現在もハイパーローカルな情報が放送されているようです。
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