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金耿昊先生にきく、在日朝鮮人のあゆみと日本の近現代:敬和キャンパスレポ Vol.192 20230609

6/9の 敬和キャンパスレポ は、国際文化学科の教員として、着任されたばかりの金耿昊(キムキョンホ)先生にお話をうかがいました。日本近現代史とともに、在日朝鮮人史がご専門です。

著書「積み重なる差別と貧困」(法政大学出版局)や雑誌「福音と世界」での連載など、差別やヘイトスピーチに向き合ってきた、これまでのご研究についてお話しいただきました。在日朝鮮人の歩んできた道のりと日本における差別・貧困、関東大震災での朝鮮人虐殺などをテーマに、歴史学者として丹念に研究を積み重ねられた歩みについて、MCの神田、宇賀田がうかがっています。


エフエムしばた で21時00分からの放送、ウェブでも聞くことができます。

↓金先生のご著書はこちらから↓


番組内容文字起こし

01:24 金耿昊先生のプロフィール

宇賀田雛帆さん(以下 宇賀田) 今日は国際文化学科の歴史探究コースにいらっしゃった新しい先生、
お二人いらっしゃるのですが、今日は、金耿昊(金・キョンホ)先生をゲストにお迎えしました。金先生、どうぞよろしくお願いします。

金耿昊先生(以下 金耿昊)  はい、よろしくお願いいたします。

神田智美さん(以下 神田) それでは、プロフィールをご紹介いたします。神奈川県のご出身で東京学芸大学教育学部をご卒業後、東京大学大学院総合文化研究科で学ばれて、その後、学習院大学、横浜市史資料室に勤務された後、この春から敬和学園大学の国際文化学科の先生になられました。ご専門は日本近現代史、在日朝鮮人史、朝鮮近現代史で、敬和学園大学では歴史学、日本史解説、日本近現代史、日本思想史などの授業を担当されています。先生、まずいろんな大学で研究されてきたんですね。

金耿昊 そうですね。一応、日本生まれ日本育ちで、日本の公立学校にずっと勤務されていて、小中高大大学院と国立もですけれども、その中で来たという感じですね。おじいさんおばあさんの代に日本に来て、それからというふうなことになるので、いわゆる在日三世ということになると思います。

03:48 新潟の気候と食べ物

神田 三世なんですね。どうして敬和学園大学にいらっしゃったんですか?

金耿昊 ここで歴史学を教えていらっしゃった藤野先生という、藤野豊先生という人がいたと思うんですけど、あの人は歴史学においてはとても有名な人で、私も大学生のときかずっと学んでたんです。学んでたというのは本を通して学んでたんですね。
こんな人がいるのかとずっと思ってたんですけど、その方が退任されるというふうに聞いて、先生の募集も出ているということで、ぜひ行ってみたいなというふうに思って、ダメ元で応募してみたら、拾ってもらえたというところですかね。

宇賀田 ずっと横浜にお住まいになられていて、生まれてから?

金耿昊 そうですね。横浜の南の横須賀なんですけど、そこにずっといて、基本的にはずっとそこで暮らしてましたね。大学生のときにちょっと東京の方に行って、居宿生活を1,2年したぐらいで、あとは横浜から通い、あるいは韓国に留学してたことが2回ほどあるので、
そのとき以外はずっと神奈川でしたね。

宇賀田 となると、私たち新潟県民から見ると、神奈川であったり東京であったり、首都圏というのは大都会というのもありますが、温暖で過ごしやすい気候というイメージがあります。金先生はまだ新潟の冬を経験されていないのかと思いますが、これまでのところ気候はいかがでしょうか。

金耿昊 私は三浦半島というところにいて、神奈川でも一番南の方にいたんですね。年に1回雪が降って積もるとすごいという感じだったんですよ。だからかなりやっぱり新潟の冬ってどういう感じなんだろうというのは、全然想像がつかなかったんですね。ここに来ることが決まって、12月の確か27日でしたかね、不動産屋さん見に行ったんですね。その5日くらい前ですかね、新潟県は結構大雪で、すごいことになってたと思うんですけど。

宇賀田 去年すごかったですね。その時に来たので、なんだこれはと思いましたね。

金耿昊 その後、一応家を決めてこっちに来るというふうになったんですけど、その時の契約の中にも「雪かきをするように」って書いてあったんです。雪かきってどういうふうにやるんだっていうのもまだわかってないので、ちょっと本当にこれから冬をどう迎えるのかというのが、すごく心配だなというのがあります。
ただやっぱり春はすごく気持ちよかったですね。とてもすごく涼しくて、桜も綺麗だと思いました。

宇賀田 そうですね。じゃあまだ雪かきの経験もまだない?

金耿昊 ないですないです。

宇賀田 横浜の方では、積もっても雪かきするほど積もることはない?

金耿昊 だから本当に雪だるまは作れないぐらい。

宇賀田 作れないんですね。

金耿昊 10センチ以上積もると、すごい数年に一度という感じがします。

宇賀田 じゃあ、頑張ってください。雪かき。

金耿昊 はい、頑張ります。

07:44 食べ歩きの愉しみ

神田 雪かきもそうなんですけれども、タイヤ交換も首都圏ではしないと思うので、
いい経験になると思いますので、ぜひやってみてください。寒さは新潟は厳しいんですが、お米やお酒はもちろん、食べ物がいろいろおいしいところでもあります。4月からの数十日というところだと思うんですが、何かおいしいものに出会うことはできましたか?

金耿昊 趣味は食べ歩きでもあるので、いろんなところに行ったんですけど、そこに言及する前にやっぱり水と米がとてもおいしくて、家で同じ電子釜で炊いても、なぜか味が違うというか、おいしい感じるのを家族で感じています。
一応、新発田市内でいうと、ちょっと渋めですが、ドライブイン豊山であったりだとか、あるいはみやむら食堂であったりだとか、結構長く地域に親しまれた味というのを知りたいなと思っていて、そういうところでご飯を食べていると、地元の人が、おじいちゃんとかも集まってご飯を食べているので、いいなと思っていたりもしています。

神田 いいですね。みやむら食堂、モツラーメンを食べられたんですかね。

金耿昊 そうですね。全然モツじゃないっていう。頭肉だったということですけど。

宇賀田 大学でのお仕事はある程度想像がつくのですが、横浜市史資料室でのお仕事はなかなか想像が難しいところがあります。 横浜市での歴史、つまり港町横浜の発展の歴史について、学芸員として調べていらっしゃったということでしょうか。私たちでもイメージができるように少し教えていただけたらと思います。

金耿昊 新発田市でいうと、新発田市の歴史図書館があったと思います。あれとほぼ同じ感じだとは思っています。横浜市は横浜市の歴史を2回編集していて、1回目の「横浜市史」、大体関東大震災までのが横浜開港資料館という博物館があって、そこにまとめられています。
その時に集めた資料というのが横浜開港資料館というところに入っているんですね。2回目の「横浜市史 2」というのが、関東大震災から大体1970年頃までの歴史を対象にして編さんされたんですけど、その時に集められた資料を保管して公開するという施設が基本になっています。
なので関東大震災以降から1970年頃までの歴史資料に関するものを研究をしたり、こういうものがあるよというふうなことを広げたりしていたのが基本ですね。さらに公文書館の役割も一部持っていて、横浜市が持っている公文書があるわけですね。それを保管期間が過ぎると捨てるか、歴史的な価値の高いものは公文書館というところに送って公開をするのが基本になるんですけど、横浜市は公文書館がないので、横浜市史資料室がその機能を持っていたということになります。なので歴史研究施設の部分と、それから公文書館の機能という2つを持っていたということになるわけですね。なので横浜の近現代、現在に近いところの歴史を研究して公開する仕事を私はしていたということになりますね。
というとちんぷんかんぷんだと思いますが、一応私は横浜市内の小学校の歴史をずっと見てたんですね。
関東大震災から復興していく過程で子どもたちにどういう教育をするかとか、あるいは戦争の時代の中で子どもたちはどういう立場に置かれたのかとか、そういうことを誰もやっていなかったので、中心にして歴史を見ていくということをしていったということですね。

神田 近現代だと子どもたちもいろんな歴史の荒波にさらされて、なかなか研究の仕事がありそうだなという文言ですね。

金耿昊 やっぱり小学校ってどの地域にも子どもの足で歩いていく範囲があるんですよ。その一方で先生というのは当時のレベルでいうと非常に高い教育を受けて、何かを教えたり記録したりしているので、非常にいろんなことが学校の中の文書には現れるんですね。そういう意味では非常に面白く、今もそうですけど地域の人との協力関係がないとできないので、
結構その学校を取り巻く地域の状況もちょっとわかるっていう、そういう面白さがありましたね。

12:15 近現代史の面白さ

神田 ご専門は日本近現代史、在日朝鮮人史、朝鮮近現代史となっていて、一般的な日本の近現代史と朝鮮近現代史はわかるのですが、そこに在日朝鮮人史、つまり金先生ご自身にも関わりのある歴史ということになるかと思います。例えば日本史好きというと、戦国時代とか幕末なんかに興味がある人は、ゲーム好きも含めて結構いるような気がしますが、近現代というと私たちの数世代前の人たちぐらいまで遡っての話ですので、なんだか生々しさがあって興味がある人もいれば、逆に難しそうだと敬遠する人もいれば、私は高校時代に日本史をとっていたんですけれども、近現代の部分って資料もたくさん残ってるじゃないですか。教科書の部分としても厚すぎて覚えきれなかったんですね。宇賀田さんはどうですか?

宇賀田 私もやっぱどちらかというと、戦国時代の時代の人たちが、好きでしたね。なんかすごい近現代って難しいイメージが自分の中で強くて、なんか大変だったなという印象があります。文化としてはね、レトロでなかなかいいものだなと思うんですけれども、日本の近現代を学ぶ意義や面白さについて、短くご紹介いただけますか?

金耿昊 そうですね。一番大きいのは、(近現代史というのは)現在に直接つながる歴史だというようなところになるかと思います。なので、それぞれの歴史に関しては、日本の歴史に関しては、一番大きいのは、現在に直接つながる歴史だというようなところになるかと思います。
なので、それぞれの生活の中で、例えばなんで今こんな状況になっているんだろうということを思うところが皆さんいろいろあると思うんですね。そういうものの原因は何なのかということを、時間を遡って捉えていくということは、これは現在に一番近い近現代の歴史の非常に有用な部分だと思います。なので、もちろん背景として覚えたり考えたりすることはいっぱいあるんですけど、そうではなくて、自分の問題意識、自分はどういうことを知りたいのかというところに応じて、どのような形にでも研究ができるという、その部分は非常に面白いところだと思います。
歴史、縄文時代であったり戦国時代であっても、それを研究してきた歴史であったり、それが人気になってきたというのは、実は近現代の歴史でもあるわけですね。だから長岡で火炎式土器が、縄文土器が発掘されたのも1930年代だったっけな、戦前期の日本でもあるし、それが人気を博していったのは戦後でもあると。
新潟の1960年代の国体のときに、その縄文土器が使われるわけですよね、聖火台に。というふうな形で、現在にも、なぜ今皆さんがそれを好きだというふうに言えるかというと、近現代の中でそれが人気を経るような形を取ってきたからでもあるんですね。

15:51 日本と朝鮮半島の歴史と結びつき

金耿昊 だからそういう意味では、現在につながる部分を見ることができるという意味では、素材はとてもいっぱいあるということになります。なので覚えることは多いかもしれないんですけど、本当に自分がやりたいことを探すために、必要な部分をピックアップする感覚だと思えば、わりと近現代史というのは、とっつきやすくなる可能性があるかもしれません。

宇賀田 現在と結構つながっていたりすることが多くあるということですか。

金耿昊 そういうことですね。

宇賀田 そこまで詳しくやった覚えがないので、私は。たぶんこことここがつながるんだってなっていけば、もっともっとってなっていくのかもしれない気がしますね。

神田 確かにラジオをこうやって活動していく中で、ラジオの歴史とかも調べたりもしたんですけれども、それこそ近現代史ですよね。近現代の資料だとか、その時に立てられたラジオ塔だとか、いろいろここ数年で学んだ気がします。だから対象はほぼ無限大だと言ってよくて、

金耿昊 その人の問題意識に即していろんな調べ方ができるっていうのは、
近現代史の非常に大きな特色だと思います。

宇賀田 じゃあもっと昔のことに対しても近現代とつながるし、現在のことに対してもつながるしっていう中継地点っていうか、そういう感じがしますね。

19:01 在日朝鮮人の歴史と意義


宇賀田 日本と朝鮮半島というのは、近現代において切っても切られない、結びついた歴史を積み重ねてきたと思いますし、その中で在日の人たちが歩んだ道というのも、日本の歴史の一部になり、韓国、朝鮮の歴史の一部ともいえる意味かなと思います。
日本の近現代の面白く学んでいくというときに、在日の歴史を学ぶ意義というのはどのように感じていらっしゃいますか。

金耿昊 先ほど近現代史を学ぶ意義の中でもお話ししたように、それぞれの立場から問題意識を持って歴史を見ていくときに、いろんな研究の仕方があるという話をしました。
私にとっては在日朝鮮人3世としてここに生まれて、その一方で言葉も歴史も知らない私がいるわけですね。なんでこんな状況になったんだろうというふうなことを考えていく。
そもそも在日朝鮮人って何なんだろうということを考えていくというふうなときに、まずは歴史から考えないといけないなというふうなところから始めたところにもなっていきます。
日本と朝鮮、あるいは日本と韓国の関係というと、政治レベルのその対立が基本になっていくようなところがかなりあると思うんですけど、そうではなくて日本の中にも朝鮮人がいて、そして戦後の状況の中で韓国と北朝鮮に分かれていくわけですね。
そのどちらにもつながる存在がいるというふうなことにもなるわけですね。だから在日朝鮮人がどういうふうに過ごしてきたのかというのを考えることが、実は日本と朝鮮半島、韓国と北朝鮮の関係を統一的に考えることにもつながっていくという、
そういう意味では面白さがあると思います。私の場合はやっぱり朝鮮に関わることから深掘りしていくと、そこに行き当たったというふうに思います。
それはやっぱり一番近い国でもあるので、そういう意味での意味を持つようにもなったということになるかと思います。
なので皆さん、私の場合はたまたま在日でしたけど、皆さんの立場から歴史を見ていくと、
そういうふうな形である部分で自分のところだけじゃない、もっと広げた歴史を知ることができるようになるかと思います。そういう可能性が広がっている一事例として考えていただければと思います。

神田
つまり、金先生にとっての在日朝鮮人史というのは、ファミリーヒストリーの延長線上という感じなんですかね。

金耿昊 そうですね。家族の歴史も一つはありましたし、ただ家族だけではなくて、ある意味では朝鮮人同士で集まって支え合って暮らしていたようなところもあるので、ある部分では家族の歴史から民族であったり、共同体であったりという歴史にも広げていかなければ
分析はできないというところがありますので、少しずつ家族の歴史から集団の歴史へという形で深振りしていけばどんどん広がっていくということになりますね。

宇賀田 目の付けどころがすごいですね。

20:50 表現の多様性と着任の背景

宇賀田 歴史をたどっていけばという思考になるのが、私的にはすごいなというふうに思います。

金耿昊 歴史学全体が持っている視角だと思うんですよね。歴史を深掘っていけば、個別の状況が全体につながっていくという考えでもあるし、過去から見えるものを通して
現在がよりよく見えるということでもあるので、そういうところが歴史学の学びの一つの醍醐味だと言えるかもしれません。

神田 さて、ではここで一曲をお届けします。
今日の曲はこちら、LE SSERAFIM「Fearless」
ルセラフィムは韓国の女性グループで、こちらの曲は2023年1月25日に日本語版が
今年1月25日にリリースされています。日本版チャートでの累計再生数1億回突破というのが発表されています。今日は韓国語バージョンでお届けします。

(LE SSERAFIM「Fearless」)

神田 お届けした曲はルセラフィム・フィアレスでした。

今日の敬和キャンパスレポは国際文化学科に2023年4月に着任されたばかりの金耿昊先生をお招きしてお話をうかがっています。よろしくお願いします。金先生は著書の中で在日朝鮮人という自らのルーツに言及されていますが、在日と短く表現されたりする一方で、在日韓国朝鮮人、在日コリアンと南北朝鮮の分断も反映されているのだと思います。いろんな表現がありますよね。「在日朝鮮人」という言葉を選択されている背景など、解説していただけますか。

金耿昊 まず植民地支配に行く時期に日本というのは大韓帝国という国を併合して植民地朝鮮にするんですね。大韓帝国の人は韓国人と言っていて、大韓帝国になる前は李氏朝鮮なので朝鮮人なんですね。朝鮮人として使うというふうに正式に決定するんですね。さらにそれを朝鮮人を短くして鮮人というふうに呼んだりするんですね。

23:36 在日朝鮮人の呼び名の歴史

金耿昊 それがすごく差別的な意味で使われていたりもしていました。戦後になると朝鮮半島というのは、いろいろ経て北朝鮮と韓国になるわけですね。そうすると北では朝鮮といい南では韓国というわけです。植民地からいる朝鮮人をどう呼ぶかというとこれが難しいんですね。韓国人と呼ぶと南の大韓帝国につながっちゃうし朝鮮人と呼ぶと北朝鮮にもつながっちゃう。だからどっちの呼び方をしても角が立つという状況があったんですね。植民地から考えると在日朝鮮人というのが自然な流れなんだけれども微妙なところがあるんです。なので在日韓国朝鮮人と言ったり在日朝鮮韓国人だろうと言ってみたり在日コリアンと言ってみたり、非常に複雑になるんですね。なのであえて朝鮮人韓国人というのを取って在日という言葉を使っていることが多かったんですね。
でも1990年以降になると朝鮮韓国人以外の外国人も増えてくるわけです。そうすると在日と言った時に在日何人だろうという話になるわけですね。だからずっと日本にいる民族集団のことをどう呼ぶのかというのは非常に難しいんですね。何を言っても角が立つんですけど
ただやっぱり南北の韓国朝鮮も朝鮮半島と呼ばれているようなところもありますし、植民地から現在までつながるということを考えると一旦は在日朝鮮人と使うほうがいいんではないかというふうなことを思って一応使っているということになりますね。

神田 今まで今の朝鮮半島の北朝鮮、韓国の意味のまま捉えて、在日朝鮮人、在日韓国人みたいな感じで思っていたのが間違いだったんですね。植民地の歴史からして在日の植民地統治されていた場所の名前だったんだということが分かりました。

25:55 在日朝鮮人と生活保護制度の問題

神田 さて、金先生は、2022年に「積み重なる差別と貧困 在日朝鮮人と生活保護」という書籍を出版されています。こちらのお話をうかがいたいのですが、しかしなかなか難しいタイトルです。Amazonなどに出ている書籍の概要を読んでみます。

在日朝鮮人と生活保護の問題は 戦後日本における排外主義の標的となってきた。果たしてそれは不適正な特権なのだろうか。様々な歴史資料から在日朝鮮人の苦難に満ちた暮らしを書き出し、生活保護制度からも排除されていた事実を明らかにする
南北分断、朝鮮戦争、北朝鮮への帰国、朝鮮戦争を経て現在まで続く民族差別と貧困の道のりをたどる。

ということなのですが、生活保護のような社会保障制度を日本国籍を有しない在日の人々に適用するのかどうかという話だと思いますが、現状はどうなっているんですか。

金耿昊 朝鮮籍、韓国籍の外国人に対しても、一部には生活保護を準用されているということになります。

神田 準用。

金耿昊 外国人は生活保護の正式な適用対象にはならないということになっているのですが、貧困の状態のまま放っておくと問題が起きてしまうので、いろんな条件を考えた上でも一旦生活保護に準じる扱いをするということである程度生活保護を受給している人はいるということになります。国民の権利としての保護を認めていないので何か行政の側で一方的に生活保護を打ち切ったりだとかそういうことになったときに、国民の権利の場合には不服申立という形で、例えば市とか行政から県の方に行き、国の方に行き、民事裁判までできるいくつもの権利保障をしているのですが、そういうものが国民の権利になります。

宇賀田 必ずもらえるわけでもなく、それはもう国の判断でという感じなんですか?

金耿昊 そうですね。

神田 今は3世だとか、その下の世代になると4世になってくるわけでほとんど日本に、日本人として日本の中で生活している人も結構いるんだと思うんですけれども、日本国籍を取るという選択肢はないのですか?

金耿昊 一応、外国人が日本国籍を取るためには、帰化のための要件を満たさないといけないんですね。その中にはある程度日本で長く暮らしていたりだとか、日本で安定的に生活を
していたりしていることが基本的には考慮されるので、貧困問題を抱えていて、生活保護を受けるような人に日本社会、日本の国家というのは、日本国籍を与えない、与えるはずは多分ないと思うので、生活保護を受けるために日本国籍を取るというのは、かなり困難というようなことにもなるかと思います。

29:32 在日外国人と社会保障制度


神田 そうなんですね。そしたら、法的な社会保障制度と在日の人たちが、ちゃんと食べていけるような職を安定させることが必要になってきますね。

金耿昊 そうですね。

宇賀田 著書を出されたということなんですが、内容というのをもう少し詳しく教えていただいてよろしいでしょうか。

金耿昊 外国人の生活保護受給者がある程度いるということを前提にして話をしますが、日本社会では生活保護全体に対しても、働かないでそうやってお金をもらっている人はけしからんという風潮が出てきていて、さらに外国人がそれを得ているのはけしからんという話も
出てくるんですね。いわゆるヘイトスピーチという在日朝鮮人や自治外国人に対して、いろんな形で出ていけというようなグループが出てきて、社会問題になっていますが非常に問題にして取り上げているというようなところがありました。特に在日朝鮮人が攻撃されてて、1950年頃からずっとそれをやっているだろうというようなことを言っていったりしていたんですね。その一方で、歴史の中で在日朝鮮人の生活保護をめぐる問題を見てみると、実は
1950年代の初めに、あなたたちは外国人だから生活保護の受給の中で不明な部分があるから、詳しく調べて生活保護を打ち切るということをやっていくんです。当時13万人ぐらい生活保護を受けていたんですけれども、5万人ぐらい切っていくわけです。

31:34 在日朝鮮人の歴史と生活保護

金耿昊 その直後にどうなるかというと北朝鮮への帰国事業が始まります。その中でも2万人から2万5千人ほどが生活保護を受けている在日朝鮮人が北朝鮮に帰国をしていったという話があるんですね。新潟港から出ているんですけど、そういう話も含めて歴史上の問題と現在言われていることの違いがすごく出てきたんですね。それは何なんだろうかと思って1945年、つまり日本の敗戦から帰国事業までをずっと調べてみたというのが、基本的にはこの本の内容になっていきます。

神田 今お話になった「住み重なる差別と貧困。在日朝鮮人と生活保護」、法政大学出版局から4,180円で発売されております。Amazonにも在庫がありましたので、ぜひ皆さん
お読みいただければと思います。もう一つ、「福音と世界」というキリスト教関係の雑誌のようですが、「朝鮮人史と教会史。関東大震災から100年を覚えて」というシリーズだそうです。関東大震災の際には朝鮮人の虐殺が行われたとされていますが、そこから100年の歴史の中で在日の人々の歩みを連載されていくということかと思います。教会史という視点が入るということで、先ほどの著書とは違う観点が入って入ってくるということになりますか。

33:12 関東大震災と朝鮮人虐殺の背景

金耿昊 はい、これはもともと横浜市史資料室にいるときにあの地域の歴史をずっと調べていくとどうしても横浜における関東大震災の虐殺の問題にやらざるを得ないところがあったんですねでも横浜市の行政に関わる公務員の端くれのようなところにいたのでそこの立場でやると非常に問題があるわけですね。まあ朝鮮の歴史のことを取り上げるのも難しい状況でもあるのでなかなかうまく公表できてなかったことでもあったんですけど、研究としてまずその横浜あるいは神奈川地域の在日朝鮮人史、特に朝鮮人虐殺の問題でどう考えるのかというのを自分なりにまとめてみたいと思ったところが一つありました。
それと同時に私は横須賀にある在日大韓キリスト教会という韓国人系の教会にずっと通っていていたのでその歴史もここの朝鮮人虐殺とも少なくともどこかで関わってくるだろうと思ったんですね。
なので地域の中にある歴史を自分の朝鮮と韓国というところから捉え直すというのをしてみるとそのことを通して日本社会の歴史にどういう問題提起をできるのかなというふうなことを考えて一応連載を始めてみたというふうなところです。

神田 そもそもなんですが、関東大震災から100年ということを知らなくてですね、さらに言うとその時に朝鮮人の虐殺が行われたということも今初めて知ったんですが、それはどういった理由で行われたんですか。

金耿昊 背景を説明するのはなかなか簡単ではないんですけど。まず朝鮮半島に対する植民地支配を全ての朝鮮人が認めていたわけではなくて1919年に三一独立運動というのが始まって朝鮮半島でも植民地支配に反対する人たちが非常に大きな行動を起こしていたんですね。その中から今の大韓民国に繋がるような政府が、上海とかにできるんですね。満州とか海外にも出てきていて、独立運動が続いていくってなるんですね。だから日本の警察とか軍隊はそれをとても警戒していたんです。そこから日本に来る朝鮮人もそういう海外の独立運動をしている人に繋がってるんじゃないかということでずっと警戒をしてるんですね
そういう状況の中で首都圏に地震が起きてほぼ壊滅するんですね。
地震と火事でそういう中で「朝鮮人が暴動を起こすんじゃないか」という話が警察であったり人々の中から、デマとして広がってくるっていうことにもなるんですね。そういう中で警察であったり、地元の地域を守ろうとした自警団であったり、っていう人たちが、朝鮮人を見つけ出して殺し出してしまうっていうそういうことになっていったということになります

神田 デマから始まった虐殺ということなんですけども100年前といえど怖いですね

金耿昊 そうですね。なのでなぜそういうことが起きて終わらなかったのかということに加えて関東大震災の虐殺というのは当時の日本政府にとっても大失態なわけですね。明らかにするとこんな虐殺があったっていうことを西洋の国にもバレるし、朝鮮人の独立運動側からしたら、こういうひどいところをやっているところで、植民地支配をまだ続けるのかって話にもなるので、事実をあんまり明らかにしないまま今まで来てるんですね。
あるいは朝鮮人の側が事実を解明しようとしたんだけれども、それを防いだりだとか、そういうこともしているので、事実がそういう虐殺が非常に大量にあったということは分かりながらその一方で詳細が十分に明らかにできない状況なんですね。
なので結局今でもその問題があるにもかかわらず全然明らかにされてないという状況になるのでやっぱり現在に至るまで一つの問題として残り続けている状況だということになります。

37:55 金先生の教育哲学

神田 ぜひ金先生にはご著書などで明らかになったことを発表されていただけたらなと思います。

金耿昊 私だけではなくていろんな歴史学者や関東地方の市民の人がすごい頑張っているのでそういう成果を学びながら出していかないといけないなと思っています

宇賀田 大学で今年担当されている科目は、「日本近現代史」「日本史概説」「日本思想史」」といった科目、それから歴史探究コースのゼミも担当されているとのことです。歴史探究コースの皆さんは金先生のお話にとても興味を持って勉強されているのではないかと思いますがこれまでのところはいかがでしょうか。

金耿昊 個人的な目標としてはそれぞれ私のお話を聞いたりゼミを通して、学生が自分の目で歴史を調べて深掘りをできることを目指しています。なのでできるだけそれぞれの関心に従った調べ物をできるようにしていくことができればなというふうなことをゼミを通しては考えている。一応それに適した本を一緒に読んでいるというところです。
講義に関しては私も日本の古代から現在に至るまでずっと見ていたわけではないので、日本史概説であったり日本思想史というのは、なかなか大変な状況でもあるんですが。
ただ二つの視点はとても大切にしようと思っています。
一つはこの地域、新潟県地域から見たときに日本の歴史はどう見えるのかということです。ここで歴史を教えているということの意味を考えながら、日々の授業を作ろうと思っています。
もう一つは東アジアとの関係ということで、新潟も海を通していろんな日本海の沿岸地のいろんな国との関係を持っていた歴史もあるので、そういったことも意識をしながら つまりローカルな視点とそれからある部分ではグローバルとまでは言えないけれども国際的な視点というふうなところを両方交えながら、日本の歴史を見ていくということができたらということを考えています。

40:18 歴史学の勉強

神田 今日お話をうかがって金先生の授業をちょっと聴講しに行こうかなと思いました。
最後にこれから歴史学を勉強しようかなと思っている皆さんに敬和でこんな勉強ができるよ
、金先生のところで学ぶとこんな面白いことが学べるよというお話をしていただけますか。

金耿昊 私のところで何かすごく斬新なところを学ぶというよりかは、一緒に学びたいと思っている学生自体が思っていることっていうのを歴史的に考えることが一緒にできたらと思っています。そのための手伝いはしますし、それをするための補助知識というのは、講義を通して共有できたらというふうに思っていますので。
なぜ歴史を学ぶのかというのは、歴史に向け合うその人自身の問題意識にすごく深く規定されるのでそれぞれの言葉それぞれ思っていることをなんでこうなんだろうと思っていることがあれば、それを一緒に深めることができたらというふうなことを考えています。ちょっと弱いですが一応そう思っているということで。

宇賀田 今日の敬和キャンパスレポは、国際文化学科に2023年4月に着任したばかりの
金耿昊先生においでいただきご自身のことや在日朝鮮人史研究のこと授業のことなどいろいろお話をうかがいました。ありがとうございました。

41:55 エンディング:「韓ビニ」行きましたか?


神田 さてエンディングです。新発田市にもここ最近韓ビニという、韓国のコンビニのようなお店ができました。宇賀田さん行かれました?

宇賀田 行きました。

神田 何を買いました?
宇賀田 私はトッポギとあとはなんかポテチみたいなスナック菓子とあとはなんか青いレモネードみたいな、、、。

神田 あ、なんか蛍光色のありますよね。

宇賀田 あれを買いました。どれも美味しかったです。見覚えのないものばかりですごい興奮しましたね

神田 金先生は行かれたことありますか?

金耿昊 時々行きますね。ヤンニョムチキンソースがおすすめです。

神田 ヤンニョムチキン

宇賀田 これは買うしかない

神田 いいですね

宇賀田 すごいでも面白い場所ですよね

神田 私も昨日行ってトゥンカロンを買ったんですけども

宇賀田 トゥンカロン?

神田 トゥンカロンって聞いたことありますか?太っちょマカロンっていう意味で
マカロンの間に挟まれているクリーム量が多いものです。
なんか美味しいものいっぱいありますよね皆さんもぜひ行ってみてください

宇賀田
では今日の放送はこの辺で。敬和キャンパスレポはツイッター、ノート、インスタグラムなどで番組情報を発信しています。番組名、敬和キャンパスレポで検索してみてください。今日の敬和キャンパスレポ、これにて終了です。皆さん、おやすみなさい。
敬和キャンパスレポは、「実践するリベラルアーツ」、敬和学園大学の提供でお送りしました。


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