教職員送別会で久しぶりに司会を担当:一戸信哉の「のへメモ」20230310

今週水曜8日、敬和学園大学の教職員の送別会が行われました。今年も飲食はなく、教室行うシンプルなもの(のはずでした)。

山田学長を含めて、5人の教職員をお送りするセレモニーでした。本来別の先生が幹事/司会の予定だったが、都合つかなくなったため、私が代役として、10数年ぶりに司会をやらせていただきました。前日の昼までは、もうひとりの幹事である職員の方と打ち合わせて、簡単な流れを確認しただけでしたが、家に帰ってから「飲食がない分、丁寧に進めないとアラが目立って、送別会としてはまずいのでは」と不安になり、夜になって、普段のラジオ番組の台本に近い、進行表を急遽つくりました。

退職される皆さんの私からのご紹介は、十分とはいえず、ひょっとして失礼もあったかもしれません。ただ、あまりしゃべりすぎると、そのあと送る側の挨拶をする同僚の皆さんが話しにくくなるかとも思い、ある程度加減をしたつもり。うまく行ったかどうかはわかりませんが、普段のラジオ制作の苦労は、多少は役に立ったのではないかと思います。

同僚の房先生からは、退職する女性職員の方に、サプライズで「国際女性デー」にちなんだ花束が送られました。新たなチャレンジを選択された女性職員に送別の気持ちを伝えつつ、同時に、「国際女性デー」についての理解を促進する意味合いもあったかと思います。

ラジオに出演してくださった、Goodmacher先生と山田学長については、ラジオ番組やその他映像取材でお話をうかがったことについて、少しお話しさせていただきました。特に私がそうなのかもしれませんが、大学教員というのは、同僚がやっていることを案外知らないもので、番組制作を通じて、同僚がやっていることを知ることが、結構あります。Goodmacher先生が全国各地の温泉に詳しいことは知っていましたが、さまざまな媒体にエッセイを書いていることは、番組制作のときに知りました。山田学長には、開港期新潟の動きやキリスト教関係者の働きについて、学生たちと、何度かインタビューさせていただきました。毎回、学生たちには、難しいインタビューだったようですが、敬和学園の「建学の精神」を学生たちにどのように「面白く」伝えるべきなのか、多くのことを教えていただきました。

開学から32年。山田学長の退任により、最初から専任教員だった人はすべて退職されたことになるそうです(開学時からの職員の方はまだ在職されています)。
1991年に自分が何をしていたかを思うと、開学とともに山田学長が歩んだ32年間は、とても長いように感じます。しかし一方で、自分が32年つとめるまでに、あと何年あるかと考えると、実はそんなに遠い未来ではないんですよね。単純に自分の教員生活が長くなったということなのですが。

残った同僚たちとともに、引き続き現場の課題に向き合い、学生ひとりひとりに向き合い、自らの研鑽にも取り組んでいこうと思います。

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