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映画『朝が来る』を夫と観た話

ひとりで観ようと思っていた映画を夫と観ました。

私がこの映画をNetflixで観ようと思ったのは、言うだけ班長さんのこの記事のタイトルがきっかけです。

『母親は一人と誰が決めたのか。』

(ネタバレあり)と書かれていたので、この記事読みたさに映画を観ることにしたのです。

テーマが重たいように感じたので、ひとりでひっそり観ようと思っていたのですが、結果的には夫と観ることになりました。
夫は私よりも更に前情報のないまま見始めたので、特別養子縁組の話だとわかったあたりから、リビングの空気が私たちの間に入り込んだように感じました。

夫は当事者として、子どもを育てられなかった女と子どもを授かれなかった女の両方を身近で見てきていたからだと思います。

「いろいろ考えさせられるね」

映画を見終わって夫がひと言。

うん、と頷いたものの、『いろいろ』については考えを述べ合っていません。
夫婦でも、踏み込んではいけない心の領域があると思いますし、夫婦で気持ちを分かち合うにしても、すぐに消化できる類の映画ではなかったように思うので。


さて、前置きが長くなりましたが、私の心に刺さった言葉は『なかったことにしないで』です。

物語の終盤に出てくる大切なキーワードですが、夫と結婚する前から、喉に刺さった小骨のように、私の中で感じる違和感の正体が、この言葉そのものだと思いました。

娘は実母の顔を覚えていない。

それを良しとする風潮がこの社会にはあると思います。

「娘ちゃんがいくつのときに離婚したの?一歳半か。お母さんのことは覚えていないんだ?じゃあよかったね」
何げなく交わされるありきたりな会話を、以前なら私も口にしていたかも知れません。
それは子どもにとって、本当にベターなのでしょうか?

現妻の手前もあるのでしょうが、夫と娘の間では、元妻(実母)の存在をなかったことにはしないまでも、忘れるべき対象とされている気がしてなりません。

愛する夫が、かつて愛した女との愛の結晶を育てる日々は、もっと嫉妬を感じることが多い苦行だと想像していましたので、限りなく元妻の気配を消してくれることはありがたいことでもありますが、実際に生活を共にしてみると、そこに違和感を感じずにはいられないのです。

物語の中で実母ひかりは、片時も朝斗のことを考えなかったことはないのではと思います。
朝斗を養子に出し、日常を取り戻したかのように振る舞う家族の中で、手紙に書いた言葉が薄れて行くことはなかったでしょう。
ここに救いがあると思うのですが、この思いこそが、お腹を痛めて産んだ母親であれば、生涯子どもを愛することが当然と言う、社会全体の願望なのでしょうか。

私は娘の実母を直接知りませんが、同じ女として、娘のいない暮らしの中で、ふと、ツムギのことを思い出す瞬間はないのだろうか?と勝手に心を痛めることがあります。
娘を育てられなかった本当の理由は本人にしかわからないと思うので、当時は未熟で本当に子育てができなかったのだとしても、時の流れの中で、反省や後悔をしていないとも限りません。

ひかりと同じように『なかったことにしないで』と、叫びたくなる日はないのでしょうか。

私はきっと、彼女の『なかったことにしないで』を聞きたいのではなく、私が彼女と夫と娘に『なかったことにしないで』と言いたいのかも知れません。

だから、言うだけ班長さんの『母親は一人と誰が決めたのか。』と言うタイトルに惹かれ、映画を観た後に読んだ記事に共感を覚えたのだと思います。

夫が愛する女は私一人であってほしいと願うけれど、娘のことを愛する女が、その時の『母』一人である必要はない。私がまだ、娘のことを、本当に心から愛せているのか自信がない今、遠く離れたところからでも、娘の健康や幸せを願ってくれる人がいるとわかれば、私も焦らず緩やかに、娘に愛情を注いでいけるのではないかと思うのです。

映画の朝斗を取り巻く環境と、我が娘ツムギでは、置かれた状況が大きく異なるので、物語の本筋とはかけ離れた感想になってしまいましたが、私は、ひかりにツムギの実母を重ね、心を揺さぶられながら観たのでした。


もうひとつ、違う方向から感想を述べますと、中学生の妊娠について、どう考えるべきなのかと言うこと。

古くは『金八先生』や、志田未来さん主演の『14才の母』など、この手の問題に向き合う物語はいくつかありますが、当然のように、なぜ中学生が妊娠する行為に及んだのか、その詳細を描いた作品はないように思います。

決して人の道を外れている訳ではなく、どちらかと言うと純粋な男子生徒、女子生徒が、愛し合っていると言う同意のもと、妊娠まで行き着いてしまう。
愛する行為は大人だけのものなのか?
避妊をすれば行為に及んでもよいのか?
正しい知識はどのように学ぶべきなのか?
そもそも、その正しさとは何を指すのか?

これから思春期を迎える娘を受け持った身としては、避けては通れない課題のような気がして、どこかにそのヒントを求めてしまうのです。

これもまた、折を見て、夫と話し合いながら、娘に伝えていかなくてはいけないことだと思っています。

私の不用意な言葉で、娘の過去を否定するような誤解を生んではいけないと思うので。


この一年の歩みの中で、ひとつだけ夫が前進したと感じる出来事がありました。

先日の『10歳を祝う会』のためのインタビューを娘から受けていた時、名前の由来について説明していた夫は、既に娘に聞かせていたエピソードに、両親の名前にも由来しているんだよ。とつけ加えました。
漢字こそ濁したものの、実母の名前そのものを、初めて娘に開示したのです。

戸籍の手続きをしていたときには、一生知られることのないようにしたいのだが、と気を使っていた夫が。

この映画をきっかけに、元妻の気持ちを想像できる人になってくれたらと願います。

実母さん、あなたがツムギを産んでくださったお陰で、私は母になることができ感謝しています。なんて、綺麗事を言える私ではありませんが、ツムギがいたから夫に出会え、夫に出会えたから家族ができたことは、紛れもない真実ですから。

あなたもきっと、かつて愛した男とお腹を痛めて産んだ娘に、自分の知らないところで新しい家庭ができたと知ったときには、或いは、そんなことすら知る術もない現状に、少なからず心を痛めていることでしょう。

私はあなたと『ツムギの母』と言う点ではフェアでありたい。

私はそう思っています。

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