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俺だって、嫌だなと思ったこと言ってるだけだぜ。

久しぶりに、夜遅くまで、夫とツムギの話をしました。

ここのところツムギは急に成長をしたように見え、機嫌も安定していたのです。

ですから、私も叱る機会が減り、先週、担任の先生からクラスの保護者宛に珍しくお願いのコメントが来たときも、感情的になることなく、ツムギを呼んで対策を一緒に相談して決めました。

先生から届いたのは、最近みんなの宿題忘れが著しく、家庭でもきちんと習慣付くよう保護者にも協力してほしいと言う内容でした。
なんでも、38人のクラスで、20人ほどしか提出がないらしく、漢字はここまで、計算ドリルはここまで、と、具体的にやってきてほしいことまで記載されていました。

娘は、漢字はやったけど計算ドリルはまったく。
算数の苦手意識に加え、欠席した日の分数の約分を、わからないままほったらかしにしていたようでした。

「いっぺんにはできないよ」

口を尖らせて言うことではないけれど、確かにまとめて終わらせるには量が多過ぎたので、次の週の平日に分割してやるように、日付を書いた付箋を貼っていきました。

「これに加えてその日の宿題もやらなくちゃいけないんだからね」

念を押したにも関わらず、月曜日の夜、その日の宿題は確認もしておらず、見開き2ページやると言っていた計算ドリルは半分までしか解かれていませんでした。

5時間授業で14時半には帰って来ていたはずの娘。
何をやっていたの?と聞くと、1時間半宿題、2時間ゲーム、その後、その日は私の姉が上京してお夕食当番をしてくれる予定になっていて、娘はちゃっかり焼売作りのお手伝いをしていたのです。

私は、前の日に話して理解したと思ったことをまた、次の日にやらなかったことに失望しました。

そこまでの経緯を知らなかった夫に話すと、夫はここ最近の機嫌良さの理由が、嫌なことをやっていなかったからであると感じ、宿題やったと嘘をついていた娘を、成長したなと褒めていたことで、裏切られたような気持ちになったと言っていました。

そんな前段があり、今日は寝坊して遅刻をしたんだよ。と言う報告をしたものですから、早く寝ようねと、寝室に向かおうとしていた夫は、リビングのソファに腰を下ろし、うなだれてしまったのでした。

「やっぱり、私が叱らない方がいいのかな」

遅刻をしたことに対して淡々と対応してしまった私に、夫はもっと緊迫感を見せた方がよかったんじゃないかと思ったようでした。

叱ったり、叱らなかったり、ブレるのもよくない。と言うので、やっぱりまだ、家族だと思えるときと、他人だと感じてしまうときがあると伝えました。

「ああ、そうか。俺は、生まれたときからのツムギを見てきているから、今ちょっと生意気な態度を取られたぐらいじゃなんとも思わなくて流せるけど、ケイトは今のツムギがすべてなんだね。
嫌な気持ちが積み上がってしまうと、それを覆せるほどの可愛いを引き出せないんだね」

夫は一生懸命に理解しようとしてくれました。

自然に家族と感じられているときは、少しでもいい人生を送ってほしいと熱くなってしまうけれど、プツっと切れてしまったときには、そんなこと余計なお世話だったんじゃないかと思ってしまう。

そんな説明をしたら夫は「俺は別にツムギにこうなってほしいと思って叱っているんじゃない。ケイトと俺が感じることだって違うんだから、ケイトはケイトの考えで叱っていいんだよ」と話してくれました。

「俺だって、嫌だなと思ったこと言ってるだけだぜ」

ツムギに関わる人の一代表として、こう言うことをされたら、周りの人は嫌な気持ちになるよ。と言うことを伝えられたらいい。世の中いろんな人がいるんだから、その正解はいくつもあったっていい。
それを、父親の意見やケイトの意見を聞いて、ツムギなりに考えて選んでいけばいいと思っている。

それが夫の考え方でした。

負担が軽くなったような気がしました。

初めて、実親の教育方針を共有できた気がしました。

「こんな風な話し合いができるって、家族だなぁって思うよ」と夫は嬉しそうに言いました。

私は、この人と家族になって、やっぱりよかったと思いました。

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