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鍵より大切なもの

今日は久しぶりにお風呂以外のことを書きます。

娘が家の鍵を落としました。


昨日、残業を終えて帰宅すると娘が玄関の外に迎えに出て来ていました。
今までそんなことはなかったので、すぐに状況を把握することができませんでした。

「鍵を落とした」

ショックだったのは私自身の反応でした。

「え〜?こんな時間までずっとここで待ってたの?寒くなかった?お腹空いたでしょ?怖くなかった?」とはならなかった。

「いつ気づいたの?どう言う状況だったか聞かせて?」と、下校時からの様子を聞き、「とりあえずツムギは家に入って、自分で食べられるご飯食べて、今日は遅いから寝る準備をして待っていて。私はもう一度探して来るわ」

「ツムギ、探したけどなかったよ」と言う娘を押し切って、とりあえず家を出たのでした。

冷静になりたかったのだと思います。

叱ってはいけないと頭でわかっているけれど、娘を目の前にしていたら、やっぱりクドクドとお説教じみたことを言い続けてしまったはずだからです。

鍵を落としたと報告する娘の後ろに、絶対学校にはない!失くしたの!と主張していた娘の傘が何食わぬ顔をして干されていたから。

鍵はランドセルに付けるように言っていたのに、昨日の朝は手提げバッグの中に入れて登校したと言うから。

マンションの鍵が、唯一、留守宅の娘を守ってくれる大切なものだったから。


玄関を飛び出してから、ハッと気づき、まずは交番に行きました。そこでは紛失届の手続きができなかったので、その足で斜向かいの小学校まで往復して探してみました。


今日はもう諦めよう。

家に戻り、「お父さんが帰って来たらきっとまた怒られるから、早く寝ちゃいなさい。お父さんには私から話しておいてあげるから」と、冷凍のオムライスを食べ終わった娘を、とりあえず温かい寝床に休ませました。


昨日はさすがに堪えたらしく、しおらしくしていた娘でしたが、今朝はまた、学校で落とした可能性が高いから先生に言うように。と言うとそれに腹を立て、結局夫も加わって怒られてしまいました。

まったく、ことの重大さをわかっていないし、反省をしている態度でもないし、と、夫婦で落胆するのでした。


今日は車で外回りをしていたので、一日中娘のことを考えていました。

私はやっぱり、大変な思いをしたね。と、抱きしめてあげなくてはいけなかったのではないだろうか。

でも。
でも、と言ってしまうけれど、角部屋でポーチのあるマンションの外廊下は、体調を崩すほど寒くも暑くもなかったと想像できたし、お腹は空かせていただろうけれど、意地を張ったり、面倒くさがったりして、夕飯を遅くまで食べないことも一度や二度ではなかったし、学校で支給されたiPadを見て時間を潰していたようなので、娘を見た瞬間に安全は確保されたと脳が判断してしまっていたのです。
大人の悪い癖なのでしょうけれど、娘より小さなころに、同じように鍵っ子だった私は、何度か鍵を家に忘れてしまい、家に入れなかった苦い経験をしてしまっていたので、それぐらい大丈夫だったはず。と思ってしまったのです。

「ほら、だから言ったじゃない」

きっと娘は今までも、おじいちゃんにもおばあちゃんにもお父さんにも、散々言われてきたに違いありません。
そして私も。たった一年ちょっとの共同生活の中で、ツムギはこういうものと決めつけて、ちゃんと見てあげていなかったのかも知れません。

そう言えば、また人間のこどもと犬を同じように語ってしまうのだけれど、若かりし頃、姉とふたりでこの家に引っ越して来たときのことをふと思い出しました。

それまで戸建で半分外犬として育って来ていた犬を、マンションでお留守番できるようにしなくちゃと、成犬から躾けるのは難しいと言われているトイレトレーニングをお盆休みの一週間で必死に教えたときのことを。

粗相をしてしまう犬を、セオリー通りに叱るのは、こちらも辛くて、犬と一緒に泣きながら新生活を始めたのでした。

その甲斐あって、無理だろうと言われた室内トイレをきちんと覚え、マンションの室内で人間のような顔つきに変わりながら、幸せそうに暮らしていたのですけれど。


同じようなことを娘に強いてしまっているな。


決して、キャリアに拘っているのではなく、コロナ禍で生活を維持するために続けざるを得ない仕事なのだけれど、本当に大切なものは何なのかを、今一度考え直さないといけない時期に来ているのかな。と、思いました。


鍵、見つかりますように。


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