フォルクロア~歓喜の歌~サビ前の転調について

ソラノアルト十草です。

先日発売されたこちらのシングル。

2曲目の「フォルクロア~歓喜の歌~」楽曲提供させていただいたわけですが。サビ前の転調の仕掛けを早くも看破されている方がおりまして、かなりビックリしております。

半音上に転調しているように【見せかけて】、実はそうではなく、4半音下に転調していると。

率直な気分としましては、探偵にトリックを見破られた犯人です。

トリックがバレた犯人は素直に自白するのがセオリーですので、観念して自白しようと思います。フフフ…嬉しいよ探偵さん、この僕のトリックを見破ってくれるなんてね…ああそうさ!犯人は僕だ!

・・・僕は基本的に、「楽曲の解釈や受け止めに関する部分」については、作者として特に何も言わない方針をとっています。作者があれこれ言っちゃうと解釈の楽しみが減ってしまうので。

ただ今回は、解釈の余地なく「事実としてこうなっている」という理論的な話ですから、そこに絞ってであればお話しても良いのかな、という判断で、今回はちょっと書いてみようかなと。

転調の作用:理論的な構造と聴感上の作用との違い

まず一般論的な話から入りましょう。

転調に限らず作編曲の実務においては、多くの選択肢がある中で、なんらかの作用を意図してその選択を選ぶことが通常ほとんどだと思います。

転調に関して言えば、そもそも転調するか否か、転調するとすれば、どのような作用を意図して調性を選択するのか、といった判断がまずあるわけですね。

サビで半音上に上がる転調であれば、たとえば「サビをワントーン明るくしたい」とか、「平メロより盛り上げたい」とか、「一気に変化をつけたい」とか、そういった作用を意図して半音上転調を選ぶ…といった例が挙げられるでしょう。

ここでポイントは、理論と作用の因果関係です。

「ワントーン明るくする」という聴感上の作用=結果と、「半音上転調」という原因とは、必ずしも一致するとは限らない。

ここが音楽の面白いところです。

フォルクロアにおける転調の選択について

フォルクロアは転調が多い曲なんですが、Bメロ→サビで通常の半音上転調を選択すると、いくつかデメリットがあるのです。

まず、Bメロの最後の音に注目してみましょう。
メロディはファ#(H durスケールの第5音)、コードはF#(H durのⅤドミナント)を踏んでいます。

続くサビ頭の最初の一音です。
メロディはスケールの第1音、コードはIVサブドミナントから始まります。

これで普通に半音上転調を仕掛けると、H durの半音上、C durです。サビ入のメロディはスケールの第1音、すなわちドから入ることになります。コードもCメジャーから入ることになりますね。

しかしこの場合、いろいろな問題点が生じてきます。

・Bメロ最終音のファ#からサビ頭にドを取ると、違和感の強い跳躍音程になってしまう
・コードもF#→Cと遷移するため、違和感が強くなる
・コード、メロディともに実際上の音程がかなり跳躍するため、「転調した感」が作用しにくくなる

要するに「上がったね!」感が出にくくなってしまうし、音楽的にも不自然さが目立ってしまうわけです。

見せかけの半音上転調

では、どうやってこの問題に対処するか。

半音上転調ではないのに、あたかも半音上転調かのように見せかける。

そういうトリックを使いました。

まず「半音上がった!」感を出すために、Bメロ最終コードのF#(H durのV度)から半音上、Gを一発踏みます。これで打楽器を除くすべての鳴り音を半音上に一気にシフトさせることで、あたかも半音上転調が発生したかのような聴感上の作用をもたらすわけです。

そして、このGを「次に踏むコード=サビ頭のコードをIトニックと見なした場合におけるVドミナント」とし、サビ頭のコードにCを選択。これでG→C、つまりC durにおけるV→Iのドミナントモーションが成立するため、転調を仕掛けつつも自然な遷移が実現します。

そして実際には、サビ頭のコードはIではなくIVですから、CをIVと取る調性、すなわちG durがサビのキーになるわけですね。

さて、G durをサビのキーに選択したことで、サビ入りのメロディもスケール第一音のソから始まることになります。Bメロ最後の音がファ#ですから、メロディ的にもファ#→ソの動きになります。半音上がってサビに入るため、より見かけ上の半音上転調っぽさが強調されるわけです。

厳密には【2回】転調している

厳密に言ってしまうと、Bメロ(H dur)の最後からサビ(G dur)に転調する過程で、C durを通過する形になります。

H dur → C dur → G dur

と、2回転調しているわけですね。

通過上にあるC durドミナントモーションの終止和音が、サビのG durの開始和音と同じになる…つまりサビ頭のCコードは、転調プロセスにおけるC durのIトニックであり、サビのG durのIVサブドミナントでもあるわけです。

これ見破られると思ってませんでした

Twitterでどなたか、「属調の半音上を取ることで、半音上転調に見せかけている」と看破されておりましたが、まさにその通りです。H durのVであるF#から半音上に転調させてるわけですからね。

とはいえ、マジでこれが看破されるとは思ってませんでした。なんでわかったんだ…。

結果として、「キー的には4半音下げる」ことで、「1半音上がったかのように作用させる」というのが、今回のトリックだったわけです。

こんな風に、理論と作用が一見すると矛盾する、しかし詰めて考えると実は成立する…というような、まさに見かけ上のパラドックスが音楽にはいろいろあります。使い所は見極める必要がありますが、それにしても音楽って本当、おもしろいですね。

以上、トリックを見破られた犯人、ソラノアルト十草でした。

よかったら買ってね!


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