私はまだ39歳です

今年の夏に私は齢40になる。し、しじゅう!?四十といえば、孔子さん「四十にして惑わず」と仰られた年ではないですか。
それなのに私ときたら、学問も志させず三十になっても立つこともできず、もうすぐ、し、しじゅう!?
これは一体どういうことなのだ。「立派な大人になりなさい」と小学一年生のとき優しい女先生の手に、頬を挟まれ言われたのに!?部屋にひきこもって苦悩していたら、気づけばもうすぐ四十!「どうしようもない...大人に...なりました」(神聖かまってちゃん「ちりとり」より)

でもネット検索してたら、四十にして惑わずというのは人生に惑わなくなるという意味ではない!という説があることを発見しました。なんでも漢字のあて方が間違っているというのです。実は不惑ではなく不或だと。この字だとすれば、意味は四十になっても自分を枠にはめずに、もっといろいろなことにチャレンジしようぜ!ってことになるらしいのです。五十で天命を知ると続くことを考えると、なんだかしっくりきます。人生に惑わずいるなら、もう四十にして天命を知って行動してるはずですからね?

ほまれ高い孔子さんだって、天命を知ったのは五十歳。
というわけで、凡人の私も四十になってもいろいろチャレンジして自分の天命を知りたい所存であります!でもまだ私もうしばらくは39歳だからね?

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