職場で与えられるべきなのは指示ではなくミッション

何年か前、現場監督のヒヨッ子として仕事に奔走していた頃
下請けの専門業者の方からこのような事を言われた。

「我々(下請け)は非常に専門性があって知識や経験が豊富。だから元請へ出向や転職しても技術力があるので食いっぱぐれはしない。だけどあなた方元請は我々ほどの専門性がないので、逆の転職をすることは非常に難しいのだ」

自分がやっている仕事は、要は他部門との調整で仕事をスムーズにするというものだが、自身の未熟さもあり、下請けの方がちょくちょく、直接他部門との調整を行っていた。
他の現場でも、他部門から「君の部門は正直、下請けがしっかりしていればいらないんだよね」という意見を聞いたことがある。

大企業病ともいえるかもしれないが、自分の存在意義が分からないところでの仕事は非常に苦しかった。
(自分なりにあれこれ悩んでいるうちにベトナム転勤を迎え、逆に今度は大きな責任を負う事になるのだけれども。。)
マネージャーとなる人には、是非ともスタッフに存在意義を見出すサポートをして貰いたい。

もがき苦しんで、自分であれこれ悩んで、あるべき場所を探す。というのも大事と思うし、自分で何かを成したいと思うなら、指示に従うだけなのは苦痛だ。

じゃあ「自分で悩め」と放り出すのが正しいマネジメントなのかというと、あまりにも無責任だ。

企業が社会に、あるいは個人が企業に果たすべき役割や意義に対し、ミッションという言葉を使う。会社の中で、アメリカのベンチャーとの協業を目論んだ部署があるが、そこでまずベンチャーから聞かれるのは「あなたの会社のミッションは何か」ということなのだという。

その話を聞いて、「自分のミッションとは何か?」を自問するようになった。
こと海外において、日本人として期待されていること、またポジションにおいて果たすべき事の認識は大事で、現地の方々と同じ事をする事は期待されていない。

一方でやはり思うのは、マネジメント側からもしっかりと期待している役割を伝えてもらいたいということだ。
しかも漠然としたこと(誰にでも当てはまるような事)は分かっているつもりなので、それはより具体的であって欲しいと思う。
例えるなら、チームスポーツのポジション名で解る役割と、個人の能力から考えられる具体的な役割の違いという感じだと思う。

マネジメントがそこで部下にカリスマを求めてしまうと、見合わないパフォーマンスに上司はいらだち、部下も効力感を得られずモチベーションが下がる。まずやるべきは実力に応じた、現実味のある差配ではないかと思う。

と、まだまだ私には程遠い理想のマネジメントについての覚え書きでした。

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