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大阪育ち道産子の知らんけど・・144「昔話7 さまよいケータ 情熱系」

はい、中学・高校・就職までサクッと行こか~。
津田南小を卒業し、制服着て津田中へ。
ま、少し地方系のヤンチャメな学校やった。
そのまま好きなコが行くのを聞きつけて津田高へ。
その辺から〜。

1.津田中では

小学校の後半で仲良うなったイサくんとサッカー部に入った。
ま、それなりに楽しくやってた記憶やけど、アタマ悪くてなぁ。

悪ガキ同士で万引き(しょーもな……)を計画、
オレσ(゚∀゚ )は360円のヘアムースをポケットに。
店員さんに見つかったコから芋ずる式に、みんな仲良くお縄頂戴……。
人生初の警察署送りになった。
ちょうどそのトキ母ちゃんは、
姉(オレの叔母にあたる)と2人・姉妹で北海道に旅行中で不在。

悪ガキ仲間の母ちゃんが、我が子共々迎えに来てくれた。
謝るオレのアタマを軽く、悪びれるコトのない我が子のアタマを思い切り、目に涙を浮かべながら、叩いてくれた。

家に帰ったら、どうしてええかわからん姉ちゃんも怒っとるし、
姉ちゃんが呼んだ親戚のおっさんは来るし、
オレは翌日から2泊くらいの学校行事。
当然学校にもバレてる&帰るころには母ちゃんも帰ってるから、
そらもう、憂鬱の極み。
母ちゃんに怒られる前から、後悔のビッグウェーブに揉みしだかれてた。

当然、母ちゃんにもこっぴどく怒られ
「モノ盗るんは絶対アカン(アタリマエ)」。
と、心のイタミで理解した。

ヒサザキくんの一件のトキ、もっと痛いメに遭っとくべきやったな。

2.ほどなくして

母ちゃんのガンを告げられる。
母ちゃんの姉さんから、本人には「胃潰瘍」だと伝えていると。
アンタらがイイ子にしてたら治ると。
(イヤ、もう遅いやろ。むしろオレのせいやろ……)

入院して手術して退院して静養して入院して。
でも、あっという間に亡くなってしもた。
オレが中2の3月13日やったと思う。

あーあ。
なんだかなぁ……。
オレや姉ちゃん、周りがツラいんはしゃあないとして。

「なんで母ちゃんがこんなメに」

っちゅう想いがグルグルしてた。

3.中3では

自分の過去バナ(左手や親父の借金、母ちゃんの死)を作文に書き、
担任のヤッサンこと、コイズミ先生に
「みんなに聴かせたってくれへんか」
と、言われてクラスのみんなの前で読んだ。
思いのほか反応が良くて、なんかレベルアップした感覚があった。
コレは余計やったんやけど、文化祭用のクラスの出しモンは、
この作文を元にした劇になった。
サルを泣かしてイヌと大喧嘩した桃太郎」以来の主演やったけど、
そらもう、居心地悪かった。

劇はさておき。
今思えばこのトキに「自己開示の効果」を体感したんやなぁ。
「訊かれたら、誰にでも何でもサクッと話した方がいい」
って考えは、ココにルーツがあるかも。

仲良くしてくれるトモダチも増え、残りの中学生活を快適に過ごした。
彼女はできんかったけど。
トシキにタケウチ、セワキにオザキにワックンにタータン。
ジンやアオキやカワイくんやシンやダイちゃん。
後半はほんまオモロかったな。

あ、ヤッサンはたまに電話くれる。
「ケータ、あの作文、今の生徒に紹介したいんやけどえーか」
って。
ココ最近は電話ないけど、どないしてるやろ。


☆彡 さー、ナニしよ‼️

また、長くなってしまいました。
次は高校と、その後の1回目の就職~退職くらいまではまとめます。
たぶん大したコトなかったはずなのでイケるはずです。

ちなみに母親が亡くなってからは、私が高校を卒業するまで、
姉と2人で叔母に引き取られて暮らしました。

およそお話したみなさんには、ココまでのハナシが、
大変そうに聞こえるようです。
が、あまり自覚はありません。
自分にとっては普通ですからね。

自分の普通、振り返ってみましょう。
ヒトにとっては特別です。
わからなければ誰かに聞いてみましょう。
びっくりしますよ。
知らんけど。

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