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また明日ね。



気が付けば最初のガン宣告から一ヶ月が過ぎていました。


胃ろうの手術からは三週間。



チューブから薬やご飯をあげるのも僕の日常としてすっかり染みついてきています。


早起きが日課になって朝、昼、夕、晩と可能な日は最大で4回に分けて、予定がある日も最低でも3回はご飯をあげる。


動くときにどうしてもチューブの付け根からご飯が漏れて、それをほっておくと皮膚がただれてしまうので、夜は付け根の消毒とガーゼ交換をする。


そんなふうに繰り返しながら毎日、命をつないできた一ヶ月。


一ヶ月生き延びてくれたんだなという喜びと、そのぶんだけ確実に最期も近づいているんだなという寂しさを同時に感じています。



この一ヶ月をうーちゃんと過ごして思ったこと。


いろいろありますが一番は、動物には人間と違ってあきらめるとか、もうダメかも、みたいなネガティブな感情がないんじゃないかなってことです。


猫にも感情や心はあるので一概には言い切れないし、うーちゃんも悲しそうにしたり拗ねたりすることはもちろんありますが。


人間だったら、例えば不治の病になってしまったら落ち込むと思うし、自分の身体のことも「もしかしてこのまま良くならないのかな」とか「もう限界かも」とか思ってしまうこともあると思うんです。


僕自身もうーちゃんと過ごすなかで、日に日に弱っていく姿であったり、なかなか好転しない病状に、落ち込んだりあきらめそうになったりする瞬間もあります。



でもうーちゃん自身はそんな素振りを微塵も見せないというか、痛みや苦しみがあるなかでも必死に生きようとしてるように見えるし、いまの自分の状況に抗っているように見えます。


一番苦しくて痛いのはうーちゃんのはずなのに、動物としての本能のままに、生き延びることへの執着を捨てていない。


その姿に僕も毎日すごく勇気をもらえているし、落ち込んでなんていられないなーと思わされています。



最近ではジャンプ力も衰えてしまったのか、ベッドの上や机の上に乗ることもなくなり、クローゼットの上にあった自分の部屋へ帰ることもなくなって、床と同じ高さの範囲を移動するだけになっていました。


それに合わせて僕も、部屋を床に置いてみたり、トイレの高さをフラットにしてみたり、いろいろと工夫はしながら見守っています。



そしたらつい最近、急にキッチンのシンクに飛び乗ったり、お風呂場の洗面器のそばでじっとしていたり、今まで嫌いだったはずの水場に近づくことが増えたんです。


きっとどうにかして水を飲もうとしているんじゃないかなと思います。


もう口からは水を飲むことができないけど、うーちゃんの本能はやっぱり水を求めているんだなと。


蛇口から水を出してあげると恐る恐る口を近づけて、でもやっぱり舌を出せないから飲むことができない。


それを繰り返している姿は切なくもありますが、確実に生きることをあきらめていないようにも見えて、力強さを感じます。



そんな感じで、あっという間だった一ヶ月。



ここからあとどれくらい一緒に居られるかわからないけど、以前よりも一日一日が大切になったし、命の意味や力強さを日々うーちゃんに教えてもらう毎日です。


大変なことや悲しいこともあるけれど、毎日がきらきらしていて優しいです。



病気になる前は、毎晩寝るときにうーちゃんに「おやすみ」とか「好きだよ」とかって言葉をかけることがほとんどでした。


ですがいまは「また明日ね」というようになりました。


心からの願いをこめた「また明日ね」が、一日でも長く続きますように。


ではまた。


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