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ディア・ファミリー

すごい映画を観てしまった。今までで一番良かったかも(って先週も思ったが)というのもあるが、今までで一番体が震えたかもしれない。いろんなシーンがそれほど突き刺さってきた。

この映画のメッセージはなんだろう。心臓病の娘さんを救うために奔走して得た知識と技術を、娘さんのような境遇の患者を救うために、娘さん亡き後にも磨き上げた町工場の物語だ。

自分も病院業界に携わっていたから医療の世界の閉鎖性は多少は知っているつもりだが、この映画で描かれることが本当にあったとすると、改めて恐ろしい世界だと思う。しかし、それを正面からぶつかり続けて最後には突破してしまったこの男の執念はすごいの一言だ。

そもそも、彼は人工心臓どころか医療機器も作ったことはなかった。最初のシーンでブラジルかどこかに縄跳びを売る話をしていたような気もするが、医療とは全く関係がなかった。それが人工心臓の当時の最先端に迫るところまでになる。その後、娘を救えない事実に絶望したが、その時の経験を活かしてバルーンカテーテルを完成させる。完成したはいいものの、新参者を受け入れない医療界の壁に阻まれる。しかし熱意と意地と粘り、そして協力者の力を得て突破した。

最後まで諦めないと言葉でいうのは簡単だが、自分だったらそれができただろうか。そもそも、最後ってどこなのだろうか。

安西先生は言った。「最後まで、希望を捨てちゃいかん。諦めたら、そこで試合終了だよ。」

最後というのは、試合終了のホイッスルのことだ。でも、本当にそうだろうか。最後までというのは、自分の人生の最後までということだったのかもしれない。試合が終わっても人生は続く。一度でも諦めると終わってしまう。そんな意味もあったのかもしれない。最後なんて、ないのだ。

娘さんは言った。「私の命はもういいから。」

それは、希望を捨てた者の諦めの言葉ではなかった。自分の命の最期まで、父に全力を尽くして欲しいと願ったその言葉は、一体どれほどの絶望を超えてきたのだろう。最後の願いをなんとか叶えてほしいという思いを、死を前にした若者が父親に伝えたのだ。諦めるどころではない、なんと諦めの悪い言葉だろうか。

「次はどうする?」

この映画の象徴的なセリフは何度かの場面で繰り返された。どんなに心が切り裂かれる思いをしても、どんなに大切な人を失っても、明日が来る。妻や娘に繰り返し言われたこの言葉は、きっと彼を強くしたに違いない。

でも。。。

僕が妻のGを失ったら、もう立ち上がれない。朝方まで机に向かうことも、仕事にかかることもできないだろう。一緒にいれることに感謝しないといけないし、いつまでも一緒にいられるように頑張らないとな、と思う。

この映画を観られて良かった。こんなすごい人がいることを知れて良かった。

ありがとうございました。

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