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おもしろい×社会にいい

拙著『迷子のコピーライター』の一番最後につけた付録「アホがつくる街と広告」を無料公開します。自身が様々なプロジェクトを企画実行して、その経験から導き出された仕事の知見をみなさんにお伝えします。みなさんの仕事や人生に役立てていただいたら。あと、普段ぼくは「アホがつくる街と広告」というタイトルで全国各地で講演をしていますがだいたいこんな話をします。「良いセミナーとは、賢くなった気分になれるものではなく、自分はこれをやろうと具体的に動き出せるものだと思います。」とある参加者が言ってくれました。これを読んだあなたも動かずにはいられなくなるはず。

イラスト:小路翼

おもしろい×社会にいい

 商店街ポスター展の成功の理由は、ポスターそのものがおもしろかったということに尽きるのですが、ただおもしろいだけではここまでの広がりはありませんでした。そこには「おもしろい」と「社会にいい」がありました。つまり、「おもしろいポスター」と「商店街を活性化させる」ということです。この二つがあれば、プロジェクトは自然と広がっていきます。メディアがどんどん紹介してくれます。おかげで商店街ポスター展は金をかけずに大きなPR効果がありました。

 テレビや新聞などのジャーナリストと接して思いました。彼らは好き好んで殺人や、政治や、ゴシップを報道したいわけではない。ずっといいニュースを探している。そのときに彼らにとって価値があるものは「おもしろい」と「社会にいい」が揃っていることです。「おもしろい=話題性」「社会にいい=公共性」と言い換えるとより整理できるでしょう。話題性がなくては人の興味を引けない。視聴率やビュー数が稼げない。しかし、話題性ばかりあって公共性がないと、ニュースで報道するに値しない。そういうのはバラエティに任せればいい。

 一方、「社会にいい」だけだと真面目すぎて話題にならない。でも、この二つがあると、非常にニュースの価値があがる。それぞれが最大限におもしろくなくても、おもしろい:社会にいい=5:5、もしくは3:7でもいいです(ぼくはだいたい7:3を狙っています)。しかし、多くの人が10:0を狙っています。

 つまり、社会にまったく関連なく「おもしろい」企画を考えようとしている。しかし、おもしろいだけのものって世の中にたくさんある。映画、小説、お笑い、ネット動画、今やもうコンテンツすべてがライバルななか、広告がそれらにおもしろさで勝つのはとても難しい。だから、あえて、したたかに、「おもしろい×社会にいい」ことをして、プロジェクトが広がるようにする。おもしろいことに少し社会のためになるようなことを混ぜてみる。社会のためになるようなことに少しおもしろさを加味してみる。そうすることで、広がり方が全然違います。

 もちろん、報道されるだけがすべてではありません。ニュース報道を目的とするのは本末転倒です。しかし、報道の効果は本当に大きいです。それを見て人が訪れるというのもありますが、報道されたという事実は信頼の獲得に大いに役立ちます。特に年配の人々には「うちの街がテレビに出てる!」というのは効きます。一気に信頼されるようになります。

 さらに、「おもしろい×社会にいい」があることで参加者もどんどん広がっていきます。世の中をよりよくしたいという意識は誰しもが少しは持っています。かといってそういった活動に参加するのはいわゆる「意識高い系」と思われるような人ばかり。そういった人がNPOを作り、さらに「意識高い」活動をしている。そう思いがちです。ただ、そこに「おもしろい」があると、「あ、おれもやってみたい」という人がどんどん増えていきます。

 商店街ポスター展でいえば、「ユニークなポスターを作る」という「おもしろい」と「商店街を活性化させる」という「社会にいい」です。女川ポスター展でいえば「被災地支援をする」という社会にいいです。ソーシャルポスター展では「NPOのポスターを作る」という「社会にいい」です。広告クリエーターで「消費活動ばかり煽っている」という罪悪感を持つ人間は、ぼく同様少なくありません。

 世界の広告祭であるカンヌライオンズでは数年前から「for Good」ということが潮流になっています。広告の力、つまり、アイデアや高い品質のポスターや映像を作る力を、商品の売り上げやブランドの価値をあげるためでなく、社会や地球の問題を解決するためにも使用すべきである、という考え方です。確かにすばらしいことではあります。

 しかし、普段の仕事でそういったことはほとんどできません。広告によりいくら販売が伸びたのか、認知度は上がったのか、クリック数が増えたのか、ビュー数が伸びたのか、と結果をすぐに求められる広告人にとって、「クリック数は少なかったのですが、社会のためになりました」と言っていられるわけはありません。だからこそ、社会貢献の機会はクリエーターにとっては有意義なものとなります。

おもしろい×社会にいい×自分にいい

 広告制作者にとって自由な創作の場は、広告賞を獲るチャンスです。次のよりよい仕事へと繋げるチャンスです。実際、参加した人間の多くが賞を獲った。「賞が欲しい」というと、名誉欲の塊のようで品がなく思えますが、広告制作に携わる者にとって、賞とは名誉欲を満たす以上に、精神安定剤としての機能が強いです。賞を獲ることで安心するのです。

 若いクリエーターたちにとって賞は「広告クリエーターとしてやっていける」お守りのようなものであり、いくつか賞を獲っているクリエーターたちにとっては「自分の考えていたことは間違いではなかった」「自身はまだまだできる」と安心する材料になる。その安心は心に余裕を生み、次の案件にリラックスして臨むことができ、またよりよいものを作ることができるようになり、すると、また賞を獲って、さらによい仕事ができる……プラスのスパイラルが生まれます。逆に賞が獲れないとかつての自分がそうだったように「自分ってつまらないんだ。才能ないんだ……」とダウンスパイラルに陥ってしまいます。そういった経験から、商店街ポスター展は若手にチャンスと成功体験を与える場であると考えていました。一度成功すると、「おれっておもしろいものを作れるんだ」と自分を信じられる。だから、どんどんよくなっていくんですね。

 これは自身が「おもしろいものを作ることができる人間である」と社内や世間にアピールするチャンスでもありました。賞の獲得は「自身は優れたクリエーター」であるという営業材料になります。賞を獲れなかったとしても、自身のポテンシャルはそのポスターに現れます。「あのポスターの感じで企画して」と先輩から仕事に誘われたスタッフもいました。女川ポスター展の参加者はフリーや小さな組織に属している人が多いので、「あのおもしろいポスターを作った○○さんと仕事をしたい」と仕事を受注するきっかけとなりました。作品は大いに彼らのアピール、営業に役立ちました。

 「自分にいい」は広告制作者にとっては「賞の獲得」でしたが、人それぞれの「自分にいい」があります。東北の被災地で、ボランティアの学生たち何名かに会いました。彼らはもちろん、被災地のために何かしたいという気持ちで来ていました。それに加え、ボランティアは就職に有利になるといった下心も時々垣間見られました。これも学生たちにとっての「自分にいい」です。他にも、何かプロジェクトに参加することによって、人脈が広がる、潜在顧客と知り合いになるということも、「自分にいい」ということです。たとえ、下心があったとしても、そのアクションが社会を少しでもよりよくしているのであれば、地域社会が動くのであれば、それはすばらしいことだとぼくは思います。

おもしろい×社会にいい×自分にいい×自分にしかできない

「自分にしかできない」という特異性はプロジェクトを他のものと差別化し、強くします。ポスターを作るのはコピーライターとアートディレクターという職種にしかできないこと。だから他と違って強いものができました。ぼくたちが商店街を掃除したとしても、何らニュースにはなっていなかったでしょう。

 プロボノという言葉があります。プロのスキルを社会のためにボランティアで提供するという意味です。ラテン語の「pro bono publico(社会にいいことのために)」に由来します。弁護士が市民のために無料で法律相談に応じていたのがきっかけですが、商店街の活性化が課題であるとすると、大工であれば空き店舗を改装すればいい。会計士がいれば商店街の会計を助ければいい。そういった独自性が新たな違いを生みます。

「おもしろい」「社会にいい」「自分にいい」「自分にしかできない」という4つの輪が重なるところを軸にして企画を立てると芯の強いものになります。何かプロジェクトを考える際は参考にしてください。


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