世界6位の大学に受かっても

世界6位の大学に合格しても幸せになれなかった理由はアマゾンのジャングルで見つけた

あなたも子どものころ、何かが欲しくなってたまらなくなり、親におねだりして買ってもらったことはあるだろう。


僕の場合、それはショッピングモールにあったChampionのシャツだった。


触ったことのないようなポリエステルの素材と、見たことのないようなクールなデザインに心を奪われ、どうしてもそれが欲しくなった。



当時の僕は小学校高学年に入るぐらいで、ストレートに言えば「女子にモテたい」というマセた欲求が僕の思考回路を9割方支配していた。というか、ほぼそれしか頭になかった。



価格帯は小学生にはちょっと贅沢なお値段。おねだりしてみても無理だろうということは、小学生でも容易に予想できた。恐る恐る母に尋ねてみたが、もちろん返事は「ダメです」だった。


しかし、僕は諦めることができなかった。



「これさえ手に入れば、モテモテになるのに…」



稚拙な承認欲求に取り憑かれた僕はその日、一世一代の駄々をこねた。


結果的にそのシャツを手に入れるに至ったのだが、正直なところ、それほど愛用した覚えがない。手に入れるだけで満足して、結局はそんなに気に入らなかったのだ。


振り返ってみれば、僕がアメリカの大学を目指した理由も、この幼い欲望とさほど変わらなかったと思う。


僕がアメリカの大学を目指した理由



僕がアメリカの大学を目指すことにしたのは、悪く言えば夢がなかったからである。



中学時代は勉強しなくてはいけない意味が分からずとも、親や先生に言われるまま勉強して人生が嫌になったし、高校時代に天命とまで思ったほどハマったバンドは骨折を機に辞めなければいけなくなった


夢を無くし、大した目的もなく酒と遊びで堕落した大学生活を送っていた僕は、ある時を堺に強烈な虚しさを感じるようになった


平日はやりがいのないバイトをし、週末は不毛な飲み会で気を紛らわせ、たまにある試験は他の学生たちと徒党を組んで、一切勉強することなくパスする。



「この無味乾燥とした学生生活を経た先に一体があるのだろう?」



想像してみたものの、そこに明るい未来は見えなかった。このままいけば、普通に地元企業に就職し、普通に結婚して、普通の家族を持ち、普通に死んでいくのだろう。


ある人にとっては、それはそれでいい未来なのかも知れない。だが当時の僕にとっては、想像できてしまう未来こそ苦痛で恐ろしいものはなかった。


この退屈でどうしようもない生活が未来永劫続くとなると、僕は何に意義を見出して生きていけばいいのかが分からなかったからだ。



僕には何かを変える必要があった。



アメリカの大学を目指したのはそのためだ。以前から英語は習得したいと思っていたし、ロック好きの父の影響からか欧米文化には強い興味があった。



「このまま腐り果てるぐらいなら、人生は一度きりなのだからやってみたいことをやろう」



そう開き直った僕は、準備を整えて南カリフォルニアに渡米した。


楽しくて辛かったアメリカでの生活



初めての海外旅行がアメリカ留学だった僕にとって、カリフォルニアの地にあるものすべてが新鮮だった。


どでかいアメ車、どでかいハンバーガー、どでかいアメリカ人。


「アメリカとは、なんて大きな国なんだろう。俺もここで大きな人間に成長しよう」


人生に大きな変化をもたらすべくアメリカに降り立った当時の僕は、そういった野心に満ち溢れていた。


しかし、渡米当時の英語力は義務教育レベルだったし、現地に知り合いや親戚がいたわけではなかった。そのため、異国での新生活は楽しいことの3倍ぐらい辛いことの方が多かった。


乏しい語学力や人種に対する差別も受けたし、日本よりも遥かに露骨に金が物を言うアメリカという国での苦学生生活はかんたんではなかった。



それでも僕は努力することを厭わなかった。なぜなら、音楽の夢を絶たれて以来初めて、人生に対する意義を感じれたからだ。



だから僕は必死に働き、必死に勉強した。両親に支援してもらっているという事実も僕の努力に拍車をかけた。




「必ず、家族が誇れるような、立派な人間になってやる」




そう自分に言い聞かせ、短大から4年制大学編入に向けて、僕はがむしゃらに頑張った。


世界6位の大学に合格するも入学を辞退



渡米から3年後、それまでの努力が実を結び、僕は晴れて世界トップ10常連校であるカリフォルニア大学バークレー校を含む、志望大学すべてに合格した。


これが映画なら、ハッピーエンディングでおしまいだっただろう。


でも現実は違った。




僕は、まったくと言っていいほど、嬉しくなかった




理由は3つある。


1つは、短大での勉強が、純粋な興味関心を満たすよりも、志望大学に受かるため高い成績を取ることがメインになってしまっていたことだ。


短大での勉強が楽しくなかったわけではない。


アメリカの大学は、僕が日本で通っていた大学に比べて遥かに知的好奇心をくすぐる環境だったし、性科学や映画学など、日本ではなかなかお目にかかれないような講義を受講することもできた。


ただ、最終的に何の講義を受講するかは、「講義を受け持つ教授がどれぐらいかんたんにAをくれるか」が判断基準になってしまっていた。


それが、僕のような現地の留学生がとっていた手段だった。留学生に限らず、成績を気にする地元学生もほとんどがそうしていた。


興味のあることを学ぶという本来の目的よりも、評判の良い大学に受かるための成績を確保する。この、理由(WHY)よりも手段(HOW)を優先することに疑問を覚えた僕は、この「学業」を継続する意味は果たしてあるのかと思うようになっていた。


2つ目は、アメリカの4年制大学の留学生に対する学費が1年間で400万円以上に値上がりしていた点だ。これに生活費、食費、その他費用を足すと年間600万円以上の出費になる。カリフォルニア州民であっても、その半額の300万円以上の費用がかかる。


この価格はカリフォルニア州民にとっても法外な価格だ。事実、アメリカでは、大学卒業までに平均で3万5000ドル(日本円にして約380万円)の借金を背負うことが当たり前になっており、社会問題化している。


もちろん、憧れの地、サンフランシスコやバークレーでキャンパスライフを送りたいという気持ちはあった。世界的に有名な教授の方々の講義を受けたかったし、世界各国から集まる聡明な大学生たちに囲まれて、無限に広がるであろう価値観をこの身体で感じたかった。


しかし、当時の僕には、有名大学卒の看板が、1000万円を優に超える借金に値するとは思えなかった。


「世間一般に言うエリートへの道とは、わずかな例外を除いて、結局は、元々経済的に裕福なエリート層しか歩むことができない」。僕は、アメリカ資本主義社会の現実を受け止めるしか無かった。


最後の理由は、そのアメリカ資本主義社会で「成功している」人たちを見て何度か幻滅したからだ。



アメリカにおける成功とは、まさにアメリカン・ドリーム。


不屈の精神を原動力に巨万の富を築き上げ、高級車や宮殿のような自宅を所有し、地位と名声によってあらゆる賛美と注目をほしいままにする。



人によって程度の差こそあれど、そういった思想がアメリカ社会の中枢を成している。


僕は、このいわゆるアメリカン・ドリームを実現した人たちに何度かお目にかかる機会に恵まれた。その中には、心の美しい方々もたくさんいた。



しかし、それ以外のほとんどの人から受けた印象は「空っぽで、寂しそう」だった。



彼らの多くは、日々の仕事の鬱憤を晴らすかのごとく、週末には決まって大量のアルコールを飲んでいた。


空虚な心を満たそうと、女性とお酒を飲むことに大量のお金を使い、彼女たちの気を引くため服や時計、車などにお金を使い、自分のステータスをグループ内の男たちと水面下で競い合う。




僕が目指している「成功」はこれじゃない




アメリカの地で実際に暮らしてみて、なりたいものにはなれなかったけど、なりたくないものはハッキリした。


そのような理由から、僕はUCバークレーへの入学を辞退した。


アヤワスカの存在を知る



大学入学を断念し、僕は何を目指せばいいのかさらにわからなくなった。


僕が思い描いていた「アメリカで大学を卒業する」という幸せになるための手段は、残念ながら通用しなかった。



では、「一体どうしたら僕は幸せになれるのだろう?



そして僕は調査と実験を始めた。幸福度が上がりそうな手段は、ありとあらゆるものを試した。酒とタバコなどの悪しき習慣を改め、健康的な習慣をつくることに努めた。


瞑想を始め、スムージーを作り出し、運動を習慣化し、サウナに通い、アイソレーション・タンクも試したし、南カリフォルニアの雄大な海にも足しげく通ったし、そのおかげか素敵な人たちにも巡り会えるようになった。


そのような生活をしばらく続けていると、自然と幸福度が増していった。毎日がとても充実して、興味関心の幅が大きく広がった。


しかし、それでも何かが欠けていた。




僕には、明確な目的が無かったのだ。




そして、様々な人と出会い色々と調査を進めていく中で、僕は一つのキーワードを目と耳にするようになった。



アヤワスカ



アヤワスカとは、アマゾン盆地の先住民が伝統的医学として使用してきた幻覚剤であり、その歴史は少なくとも西暦1000年まで遡る。ペルーでは国家文化遺産の一部に認定されるほど、文化的にも精神的にも重要な役割を担う薬だ。


アヤワスカを特集したドキュメンタリーや科学ジャーナルを徹底的に調査したところ、アヤワスカの儀式を受けることで、自分が地球に生まれてきた理由や、自分本来のポテンシャルを最大限に引き出すためのヒントが得られるらしいことが分かった。


事実、俳優のジム・キャリー、ミュージシャンのスティング、女優のリンジー・ローハンなどの日本でもよく知られる著名人がアヤワスカによって人生が変わったと話している。


セレブだけではない。トラウマを起因とする精神疾患の治療を専門としたガボール・マテ医師、ジャーナリストのグラハム・ハンコック氏、ジョンズ・ホプキンス大学のローランド・R・グリフィス博士などの権威も、アヤワスカの潜在的医療効果について語っている。


さらに、著書『「週4時間」だけ働く。』で日本でも有名な起業家のティモシー・フェリスは、多くのビジネスリーダーがアヤワスカの経験からアイデアを得ていると話している。彼に言わせれば、シリコンバレーではアヤワスカを飲むのは、コーヒーをすするのと同様らしい。



賭けてみる気になるには、十分すぎるほどの情報量だった。



僕はすぐさま100万ほどの資金を貯金し、5年の月日を過ごしたカリフォルニアに別れを告げ、ペルーへと旅立った。


ペルーに行ってシャーマンの儀式を受ける



アヤワスカの儀式を受けるため、僕はダニエル・クリーランドという起業家が立ち上げたPulse Tour(現在はSoltana Healing Centerに形を変えている)というツアーに参加した。


ペルーのイキトスに降り立った僕は、他の参加者たちと一緒にアマゾン川の奥地にあるPulse Tourの施設へと向かった。


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アヤワスカの儀式が行われる施設 — 「マローカ」


1週間で計4回の儀式が執り行われたのだが、僕が一番ショックを受けたのは2回目の儀式だった。




日が沈み、ジャングルの虫や鳥、カエルなどの鳴き声で辺りが埋め尽くされる18時頃、その儀式は始まる。


アヤワスカの儀式は熟練のシャーマンが取り仕切る。 シャーマンがムパチョという神聖なタバコで空間を浄化した後、参加者が一人ひとり呼び出される。儀式に参加する上での意図をシャーマンに伝え、アヤワスカを飲む。




余談だが、アヤワスカの味はこの世のものとは思えないほど恐ろしい味だ。無理やり表現しろと言われれば、腐り果てたりんごと卵と何らかの植物を混ぜて飲んで、それを嘔吐した物を再度飲むぐらいの感覚。


口にした瞬間吐きそうになるのをこらえ、自分のベッドに寝て効果が現れるのを待った。




小1時間ほど経過した後、昆虫、ウサギ、蛇などの幻覚が見えだした。物理的にその姿が眼に見えたわけではなく、シルエットに白い眼がついている幻覚が意識下に映し出されるようなイメージだ。この不気味なシルエット達はジャングルの草陰に隠れ、僕の方をじっと見つめていた。


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アヤワスカでみた幻覚のイメージ
(出典: https://blog.shamanelizabeth.com/2014/07/20/the-dark-side-of-ayahuasca/)




しばらくその幻覚を見ていた後、イカロスを聴く順番が回ってきた。僕は、衰弱した身体を力を振り絞って起こし、ファシリテーターの助けを借りながらシャーマンの目の前に移動した。


イカロスとは、簡単に言えば、アヤワスカ服用者が植物や動物の魂とより深く繋がるためにシャーマンが歌う聖なる歌のこと。アヤワスカ儀式の参加者が望む結果を得られるように、イカロスを歌うことで幻覚体験を意図する方向へとガイドしてくれる。

イカロスはこんな感じ。ご興味あればBGMにどうぞ


シャーマンがイカロスを歌いだしてからしばらくすると、辺りで鳴いていたセミや鳥の鳴き声、そしてアマゾン・ジャングル奥地の蒸し暑い気候がなぜか懐かしく感じられ、いつの間にか僕の意識が、故郷熊本の夏へといざなわれているのに気づいた


祖父との想い出を通し、大いなる愛の存在を知る



当時の僕はおそらくまだ5〜6歳。母方の実家の仏壇がある部屋で、戦争で亡くなった母方の家族の写真を眺めていた思い出が蘇ってきた。




祖父はよく僕に戦時中の話をしてくれた。




祖父は戦争で3人の兄と母を亡くしている


茶の間には、祖父にそっくりな顔をした兄たちが軍服を着ている遺影と、美しい母の遺影が飾られている。祖父はよく僕に、戦時中に彼らを亡くしたこと、そして祖父は幼かったから戦争に行かずに済んだことを話してくれた。


また祖父は、長崎に原爆が投下された日、離れた熊本からでも見えたキノコ雲の様子を僕に語った。立ち上がる原爆の煙を有明海の向こう側に見て、幼いながら深くショックを受けたと言っていた。


その祖父の話が走馬灯のように意識を駆け巡った後、突如、戦時中に祖父が味わった苦しみや悲しみ、怒り、絶望などの、あらゆる負の感情が、建物の天井から渦を巻いて僕の意識に降り注いできた




愛する母、愛する兄たち、そして愛する友たちを亡くし。


その悲しみに暮れる中でも終わらない空襲に堪え、飢えに苦しみ。


止めどなく沸き上がる怒りや恨みは、歯を食いしばり耐え忍ぶ。




しだいにその渦は拡大していき、祖父の町の人たち、熊本全体、九州全体、日本全体の人たちが味わった負の感情が、濁流のごとく僕の意識にダウンロードされてきた。


僕は、そのおびただしいほどの情報量を前に、ただ泣き叫ぶことしかできなかった。


しかし、僕がいくら泣き叫ぼうとも、自分の意思とは関係なく勝手にダウンロードされてくる負の感情を、すべて吐き切ることなど不可能だった。僕はただその膨大な負の感情に身を委ね、人生で一番激しく涙を流した




僕はその日、生まれて初めて、日本が戦争で味わった苦しみを感覚的に理解した




2〜3時間ほど泣き叫んだ後、僕の意識はやがて、祖父と過ごした穏やかな時間へと引き寄せられた。


畑を耕す祖父のトラクターの上で兄弟と遊んでいる記憶や、よく近くのプールに連れて行ってもらった記憶。プールで遊んだあと採れたての新鮮野菜を食べて、畳の上で気持ちよく寝ている時の記憶などが蘇ってきた。


その記憶はすべて愛に包まれていて、とても居心地がよかった




その時僕は気づいた。




祖父は戦時中に、人が人生で経験できうる、ありとあらゆる苦しみを味わった。彼が背負った傷は、戦争を知らない僕には到底想像もできないような深い傷だ。怒りや恨みに執着し、何もかもを戦争やアメリカのせいにすることは簡単だったはずだ。




それでも祖父は、上を向いて生きた。




彼は、過去の痛みを噛み締め、その痛みに屈することなく、勇敢に生きた。


そうして祖父は僕の祖母と出会い、やがて僕の母が生まれ、母は僕の父と出会い、そして僕が生まれた。


祖父は、そうして生を受けた僕に、ありったけの愛をもって接してくれた


生きていくのが辛くなるほどの苦難を乗り越え、彼は僕を愛してくれたのだ。



その時僕は、人生で初めて、祖父の愛の深さを知った





“Do not believe that he who seeks to comfort you lives untroubled among the simple and quiet words that sometimes do you good. His life has much difficulty and sadness and remains far behind yours. Were it otherwise he would never have been able to find those words." — RAINER MARIA RILKE

「素朴で物静かな言葉をかけて、時折あなたに安らぎを与えてくれる人が、苦労のない人生を送っていると思うなら、それは間違い。そのような人の人生は、困難と悲しみに溢れ、あなたよりも遥かに多くのことを経験している。さもなければ、そんな言葉は見つけられない」— ライナー・マリア・リルケ


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夜が明けるまで涙を流したアマゾン川の畔


僕が当初アメリカ留学を通して求めたものは、学びを通して聡明な人間になり、やりがいのある職を得てお金を稼ぎ、育ててもらった家族に恩返しをすることだった。


しかし、その過程でいつの間にか、恩返しをしたいという欲求が、昔受けた無償の愛を求めるあまり、認められたいという承認欲求へと姿を変えていた。



「英語が話せるようになりさえすれば…」


「世界的に有名な大学を卒業しさえすれば…」


「いい職に就き、お金を稼ぎさえすれば…」



自分には「何かが足りていない」という恐怖を前提に、自分の外側にその解決策を求め、僕は終わりのない捜索を行っていたのだ。


ありとあらゆるステータスを身にまとい、外的な価値に自分本来の価値を見出そうとするさまは、アメリカで見た「成功者」たちと何も変わらなかった


僕を突き動かしていた原動力は、「家族に恩返しをしたい」という「愛」から、「認められなかったらどうしよう。愛されなかったらどうしよう」という「恐れ」に変わっていたのだ。


僕は、学校や社会に揉まれていくなかで、いつの間にか祖父がくれた偉大な愛の存在を忘れ、その愛は「勝ち取る」ものなのだと、何かを成し遂げて初めて「与えてもらえる」ものなのだと、思い込んでいたのだ。




これが、僕が何をしても「幸せ」になれなかった理由だった。




これらの体験を通して、僕は生きる指針を学んだ。


アマゾン奥地での衝撃的な体験から約4年が経過した今でも、この出来事は人生で1番重要な体験だったと、自信を持って言える。


今回は、アヤワスカの体験で得た学びを、最新の科学的発見や偉大な先人の言葉を借りながら、世の中の皆さんと共有したい。


エゴの欲望を追いかけても、満たされることはない



エゴについて、ライアン・ホリデーの「Ego Is the Enemy(邦題: エゴを抑える技術)」では以下のように定義してある。



“The ego we see most commonly goes by a more casual definition: an unhealthy belief in our own importance. Arrogance. Self-centered ambition.

中略

It’s that petulant child inside every person, the one that chooses getting his or her way over anything or anyone else. The need to be better than, more than, recognized for, far past any reasonable utility—that’s ego. It’s the sense of superiority and certainty that exceeds the bounds of confidence and talent.”

「私たちが最も頻繁に目にするエゴの定義は、(訳注: フロイト派の定義よりも)カジュアルなものだ。それは、自分の重要性に対する不健全なまでの信念、横柄さ、自己中心的な願望。

中略

それは、すべての人間に内在する、目的を達成するためには手段を選ばない不機嫌な子どものこと。妥当な理由を遥かに超えて、他人よりも優れ、高く評価されることを求める姿勢 — 自信と才能の境界線を逸して、優越感と確信を持つこと — それがエゴだ」

(引用: Ryan Holiday『Ego Is the Enemy』)


僕が小学生のころChampionのシャツが欲しくなったのも、エゴから生まれた欲望だ。他のクラスメートよりもかっこよくなって、女の子にチヤホヤされたいという自己中心的な願望だったのである。


エゴの欲望の根源にあるのは、「恐怖」だ。


小学生の僕を例に取れば、「Championのシャツを手に入れてかっこよくなりたい」という欲求の裏には、「クラスメートからかっこ悪い・ダサいと思われたくない」という恐れがあった。


アメリカ時代の僕を例に取れば、「アメリカの一流大学を卒業して家族に恩返しをしたい」という欲求の裏には、「社会的地位や給料が低ければ、誰にも求めてもらえなくなる」という恐れがあった。


僕は潜在意識下で、容姿の良さや社会的地位などの外的な価値をまとわなければ、愛されないかもしれないという不安や恐怖を覆い隠そうとしていたのだ。



“The worst disease which can afflict business executives in their work is not, as popularly supposed, alcoholism; it’s egotism,” Geneen famously said. In the Mad Men era of corporate America, there was a major drinking problem, but ego has the same roots—insecurity, fear, a dislike for brutal objectivity.”

「『経営幹部らのパフォーマンスを悪化させる最悪の病気とは、世間一般に考えられているアルコール中毒ではなく、エゴイズムである』ハロルド・シドニー・ジェニーンはそう言ったことでよく知られる。マッドメン時代(訳注: 1960年代)のアメリカ企業は、大きな飲酒問題を抱えていた。しかし、エゴも — 自分に対する不安感、恐怖、容赦ない客観的意見に対する嫌悪感という — 同じ根本的原因を持つ」

(引用: Ryan Holiday『Ego Is the Enemy』)


エゴから生まれる不安や恐怖を覆い隠す行動には終わりがない



Championのシャツがどれだけ似合おうと、自分よりかっこいい人は山ほどいる。


アメリカの一流大学を卒業しようとも、自分より優秀な人はどこにでもいる。




「他人より優れていたい」という、恐れを根源とした欲望をいくら満たしても、常に次の競争がつきまとう。他人と自分を比べることで、次から次へと新たな乾きが生まれる




株式会社アカツキの塩田元規CEOは、著書『ハートドリブン』のなかでこの概念を「偽のダイヤ」と表現し、エゴの欲望を追い求めることに疑問を呈している。


偽のダイヤとは、一見、その人を輝かしく見せるもの。

非常にわかりやすいたとえでいえば、世間から称賛される大学、企業、資格、役職、年収、etc。また、すごいと言われている人とつながりをもつことなどもそうだ。誰かや何かによって自分の価値を証明しようとする。

中略

伝えたいのは、自分の深いところでは「欲しい」と思っていないのに、「これさえ手に入れば」自分の価値が上がると思って偽のダイヤを求めてしまっていないだろうかということだ。いつの間にか「外側の何か = 自分の価値」だと思っていないだろうか。

中略

誰かよりすごいということを証明するものは、手に入れた一時は満足感を得るが、世界にはもっとコンテンツを持っている人がいる。だから、常に劣等感を抱え、人と比較するレースから抜けられなくなる。

中略

魂の進化のために大切なことは、このレースから勇気を持って降りると決めることだ。
外側の何かを手に入れて幸せになるのではなく、自分の内側の声を聞くことからスタートする。
ハートからスタートして、行動していく。

(引用: 塩田元規『ハートドリブン』)


今となっては笑える話だが、日本人がアメリカ人に紛れて数人集まると、最も英語の流暢な人が暗黙の了解的に権力を握るといった状況が発生することがある。


アメリカ留学時代に英語が少し話せるようになった僕も、そのような状況が発生すると、よく誇らしげに英語を喋っていた時期がある。


これも、エゴの一種。


他人よりも優れ、高く評価されたいという、エゴの欲望から生まれる振る舞いだった。結局は、知識を見せびらかして評価されなければ、自分を認めてあげることができない弱さからの行動だ。



英語力の競争でなくとも、社会の至るところにこのようなエゴは見られる。


貧乏人を卑下するお金持ち、LGBTQを差別するヘテロセクシュアル、嫌韓・嫌中の日本人、不出来な部下を小馬鹿にする上司、弱いものをいじめるガキ大将…。その逆も、また然りだ。


事の大小、文脈の違いさえあれど、共通する根源はエゴ。


「俺のほうが、私のほうが、優れている」というちっぽけなプライドを守るため、理屈を振りかざして自分の弱さを覆い隠しているにすぎない。


“Only you know the race you’re running. That is, unless your ego decides the only way you have value is if you’re better than, have more than, everyone everywhere. More urgently, each one of us has a unique potential and purpose; that means that we’re the only ones who can evaluate and set the terms of our lives. Far too often, we look at other people and make their approval the standard we feel compelled to meet, and as a result, squander our very potential and purpose.”

「何のレースに参加しているかがわかるのは、あなただけだ。しかし、自分が価値を持つ唯一の方法は、どこにいても誰と比べても、私のほうが優れ、私のほうが多くを所有していることだと、エゴが結論づけてはそうはいかない。エゴの欲望よりも急を要するのは、私たち一人ひとりに特有な資質と目的があるということ。つまり、人生において良し悪しを判断し、自分の条件を設定できるのは、自分自身しかいないということだ。しかし私たちは、他人の目を気にして、他人から得る承認を、満たすべき基準としてしまうことがあまりにも多い。その結果、私たちは、私たち自身の可能性と目的を棒に振ってしまう」

(引用: Ryan Holiday『Ego Is the Enemy』)


エゴの欲望を満たしても、あなたが満たされることはない。


本当に大事なのは、自分に対する自信のなさや不安感に反応して振り回されるのではなく、そんな弱い自分も認め、愛してあげることなんだ。


We need to learn to love ourselves first, in all our glory and our imperfections. — John Lennon

「僕らは、自分のすばらしさと不完全さをすべて含め、まず何よりも自分自身を愛することを学ばなければいけない」— ジョン・レノン



僕らが生きる社会は愛よりも恐怖を助長する



内的目標(Intrinsic Goal)外的目標(Extrinsic  Goal)という言葉をご存知だろうか。


何かを行う上での動機が内的または外的要因のどちらかによって生じることを指す、心理学で使われる言葉のことだ。


Extrinsic goals relate to external influences such as money, fame, status or anything that requires validation from others. Intrinsic goals relate to yourself; your personal growth, health and relationships with yourself and others.

外的目標とはお金、名声、地位などといった他人からの承認を必要とする外的要因のことを指す。内的目標は、個人的成長、健康、自分や他人との関係などといった内的要因のことを指す。

(引用: Lifehack『Why Setting Intrinsic Goals Can Make You Happier』)


内的目標よりも外的目標を重視すること — 友人や自分との有意義な関係性、個人的成長、社会貢献を追求するよりも、お金、名声、社会的地位などを追求することは、精神に悪影響をもたらすことが科学的に判明している


例えば、著書『Why We Do What We Do』で、エドワード・L. デシ教授は外的目標を追求することのマイナス効果を以下のように説明している:



“The researchers found that if any of the three extrinsic aspirations—for money, fame, or beauty—was very high for an individual relative to the three intrinsic aspirations, the individual was also more likely to display poorer mental health. For example, having an unusually strong aspiration for material success was associated with narcissism, anxiety, depression, and poorer social functioning as rated by a trained clinical psychologist…"

「3つの内的目標(訳注: 有意義な関係、個人的成長、地域社会への貢献)と比べ、お金、名声、容姿の3つの外的目標のうちどれかに対する願望が非常に大きい場合、その個人は精神的健康が優れない傾向にあることが研究者らによって明らかにされた。例えば、物質的成功に対する異常なまでに強い願望は、ナルシシズム、不安症、うつ、社会的機能の低下と関連性がある、と臨床心理学者らはみなしている…」

(引用: Edward L. Deci『Why We Do What We Do』)



友人関係や自己成長よりも、お金や社会的地位を追い求めると不幸せになる。科学的証拠を見せつけられなくても、考えてみればすぐにわかりそうなことだ。




しかし、僕らが生きる社会は、はたして内的目標を重視できるようにデザインされているだろうか?




僕には、とてもそう思えない。


メディア — 日本のテレビ番組は、時に、社会的地位がなければ酷い目に会うというメッセージを潜在意識下に植え付ける。顕著なのは、地位の高い芸人が、地位の低い芸人に対して非道徳的とも言えるドッキリをしかけ、罠にかかった芸人を嘲り笑うタイプの番組。それはそれで、おもしろいのかもしれない。だが、そのスクリーンから視聴者が受け取る潜在的なメッセージは、「ダメなやつ、バカなやつ、弱いやつは、いじめて笑ってもいい」というメッセージではないか?


学校 — 従来的な学校教育は、競争原理に基づいた詰め込み型教育。子どもの家庭環境や個人の特性が考慮されることは少なく、結果が出ないのは自己責任。テストの結果は学年全体における順位付きで出され、結果を出せない人は落ちこぼれ。結果、「他の学生よりも優れていなければいけない」というメッセージの埋め込みによって競争が助長され、内的成長や有意義な友人関係の構築は二の次になる。


社会: 格差社会と言われて久しい日本。それを象徴するかのごとく、2017年のユニセフの調査では、日本の子どもの格差は先進国41カ国中32位と報告された。同調査は日本の底辺にいる子どもたちと平均的な子どもを比較し、その格差がどれほど軽減されているかを計測したもの。貧困層と富裕層の格差は拡大を続け、社会全体として「お金、名声、社会的地位が無いと底辺生活」という恐怖心を植え付ける



もちろん様々な側面において改善は進んでいる。だが従来的に、僕らが生きてきた社会や環境は、恐怖心を植え付ける構造になっている


環境自体が僕らを恐怖の状態に走らせる構造になっているので、意識的に愛を選択することができなければ、恐怖の感情に流されて外的目標に走ってしまうのは当然だろう。


恐怖を乗り越えられない理由を、そんな社会を作った大人たちのせいにしたくなるのも無理はない。だが、人間が進化してきた歴史を見れば、それもしかたのないことだ。


人間は恐怖を感じるように強くプログラムされている



人間の進化について考察するうえで、10万年前の地球に暮らした「ハグとガグ」という二人の姉妹のおもしろい物語がある。




ハグの性格は温暖でいつでもポジティブ。幸せで、歌を歌ったり、道端に咲く花の香りを楽しむのが彼女の趣味。温和な人柄のおかげか、友人も多い。


ガグの性格は対照的で、疑り深く、被害妄想を常に抱えている。彼女の趣味は間違い探しで、彼女にかかれば村人のあらゆる短所が明るみに出る。もちろん、友人はハグ以外いない。


ある日、二人が草原にいると、背後からお腹をすかせたトラが忍び寄ってきた。ガグはいつも警戒態勢にいるおかげでトラを察知することができ、逃走に成功。逃げ遅れたハグは、トラの餌食になってしまった。


こうしてガグは生き延びるので、子孫を残すことができる。一方でハグは生き延びることができないため、彼女の遺伝子が次の世代に渡ることはない。




早い話、こうして生き残ったガグの遺伝子を持つのが、今の僕たち人間




僕らの先祖が生きた環境では、恐怖を感じなければ生き延びることはできなかった。


つまり、長い歴史とともに、僕らの脳は脅威を察知するよう進化し、恐怖を感じるように深くプログラムされている


人間の感情のデフォルト自体が恐怖なので、自然と社会自体も恐怖をベースに構築されてきたわけだ。




しかし、僕ら人間は今進化の過渡期にある。


今僕らが生きる社会は、生存するために恐怖を感じる必要はほとんどなくなった。後述するが、むしろ恐怖を感じるとストレスになり、あらゆるパフォーマンスが低下する。


つまり、現代を生きるうえで、恐怖を感じるプログラムはほとんど役に立たなくなっているのだ。


社会を変えることは難しい。恐怖をベースとした社会が愛をベースした社会へと変貌を遂げるのは、長いプロセスになるだろう。


だから、僕らが今できることは、自らの内側を見直し、自分自身で自らのプログラムを書き換えていくことだ



愛は最強のパフォーマンスをもたらす



世代に渡ってプログラムされてきた僕らの恐怖心、そしてエゴだが、それではどのようにして古いプログラムを乗り越えることができるのだろう。



ここで、少し脳波と感情についてお話したい。



脳波と聴くとあまり身近ではないかもしれないが、脳波は人間の感情と深い関係性があることをご存知だろうか。


シンプルにいえば、脳波とは、脳内の神経細胞から生じる電気活動を記録したもので、これらの電気活動のパターンはHz(ヘルツ)で計測される。


そして脳波は大きく分けて5つの種類にカテゴライズされ、それぞれの脳波は特定の感情・状態と関連している:



ガンマ波(40 - 100Hz): 学習・脳内で情報を統合している時
ベータ波(12 - 40 Hz): 不安・フラストレーション・ストレス
アルファ波(8 - 12 Hz): リラックスした状態
シータ波(4 - 8 Hz): レム睡眠・クリエイティブな状態
デルタ波(0 - 4 Hz): 深い睡眠・神秘的体験など。瞑想を実践する人や直感力に優れる人、ヒーラーはデルタ波が普通の人よりも多い



上記からわかるように、ベータ波(なかでも15 - 40Hzの高ベータ波)は、ストレスや不安などのネガティブな感情と大きく関連している。僕らストレスを抱える現代人が最も多く経験しているであろう脳波だ。


おそらくお察しのとおり、高ベータ波が優勢になると脳のパフォーマンスも下がる。著書『Mind to Matter』のなかでドーソン・チャーチ博士は以下のように説明している:



“The more stressed people become, the higher the amplitude of the beta their brains produce. Negative emotions such as anger, fear, blame, guilt, and shame produce large flares of beta in the EEG readout. This shuts down the brain regions that handle rational thinking, decision making, memory, and objective evaluation. Blood flow to the prefrontal cortex, the “thinking brain,” is reduced by up to 80 percent. Starved of oxygen and nutrients, our brains’ ability to think clearly plummets.”

「ストレスが多い人ほど、脳が生成するベータ波の振幅が大きくなる。怒り、恐怖、非難、罪悪感、恥などのネガティブな感情は、EEGの計測図に急激な変化として反映される。これにより、合理的な思考、意思決定、記憶、客観的評価を行う脳の領域が停止し、『思考脳』である前頭前野への血流が最大80%減少する。酸素と栄養素が欠乏した結果、脳の思考力は明らかに急落する」

(引用: Dawson Church『Mind to Matter』)



つまり、怒り、不安、恐怖などのネガティブな感情を経験すると、脳のパフォーマンスが急激に下がる。結果、仕事や生活のパフォーマンス低下に直結するということだ。


それでは愛や感謝などのポジティブな感情を経験すると何が起こるだろう?お察しのとおり、その真逆で脳のパフォーマンスが急激に上昇する。



"As our consciousness is filled with love, our brains function very differently, with large amounts of theta and delta, plus an alpha bridge to connect our conscious with our subconscious mind."

「私たちの意識が愛で満たされると、脳は大きく異なった機能を見せる。大量のシータ波とデルタ波に加えて、意識と潜在意識をつなぐアルファ波が現れる」

中略

“[Researchers] review the research on the performance gains produced by these brain wave states. These include a 490 percent improvement in mental focus, a doubling of creativity, and a 500 percent increase in productivity.”

「(研究者らが)これらの脳波の状態によって向上したパフォーマンスに関する調査をレビューしたところ、精神集中力が490%向上、創造性が倍増、生産性が500%向上したことがわかった」

(引用: Dawson Church『Mind to Matter』)


愛を中心としたポジティブな感情を経験できれば、いわゆる「フロー状態」に入ることができる。つまり、愛はれっきとした最強のパフォーマンス向上ツールなのである。


これだけでも、愛を中心に生きる重要性は明らかだろう。


愛は周囲に伝染する



だが、個人のパフォーマンスを上げることだけが愛を中心に生きるべき理由ではない。


僕は愛を中心に生きることには、もっと大きな意味があると考えている。



それは、愛を中心に生きれば、マズローの欲求6段階説でいうところの社会的欲求、承認欲求、自己実現欲求を超えて、6段階目の自己超越欲求が生きる指針になるからだ。



つまり、恐怖から生まれる自己中心的な欲望を超えて、愛から生まれる利他的な欲望を中心にして、生きていくことができるようになる。




まずはじめに明確にしておきたいことだが、僕ら人間は普段、個として別々に存在していると思っているが、現実は決してそうではない。僕ら人間は、実際は見えない力でお互いに影響し合いながら生きているのだ。




「いきなりそんなこと言われてもスピリチュアル過ぎてちょっと…」と思われるかもしれないが、ちょっと考えてみてほしい。




例えば、何かの商品のカスタマーサポートに電話で連絡したり、コンビニで買い物している時などに、表面的には丁寧な対応をしてもらっているけど、なんだか嫌な気分になったことはないだろうか? 職場がネガティブな雰囲気になっているのが、オフィスに入った瞬間なんとなくわかったようなことはないだろうか?


逆に、心のこもったおもてなしや他人からのちょっとした親切を受けたりして、胸の内側があったかくなったことはないだろうか? 田舎に帰省した時、東京よりも場が平和で満たされているのが感覚的にわかったことはないだろうか?


このような現象は、人間が見えない力でお互いに影響しあっている事実の一例だ。『Mind to Matter』では、これに関して以下のように説明してある:



“Eric Leskowitz, M.D., a psychiatrist from Harvard Medical School’s Spaulding Rehabilitation Hospital, visited the Institute of HeartMath in Boulder Creek, California, in 2007. While blindfolded and meditating, his heart rate and heart coherence were continuously monitored by the lab technicians."

「ハーバード大学医学部のSpaulding Rehabilitation病院に勤めるエリック・レスコヴィッツ博士は、2007年にカリフォルニア州ボルダークリークのInstitute of HeartMathを訪問した。同氏が目隠しされ、瞑想している間、検査技師によってレスコヴィッツ博士の心拍数とハートコヒーレンスが継続的に監視された」
“Heart coherence is associated with increased alpha brain wave activity. It is a state in which the interval between heartbeats is regular and constant. It’s produced by positive emotions such as love and compassion. Negative emotions disrupt heart coherence.”

「ハートコヒーレンスは、アルファ脳波活動の増加と関連している。心拍の間隔が規則的かつ一定の状態であることを指し、愛や思いやりなどのポジティブな感情によって生み出される。逆に、ネガティブな感情はハートコヒーレンスを崩壊させる」
“At random intervals unknown to Leskowitz, expert meditators standing behind him were given a signal to enter heart coherence themselves. As they did so, Leskowitz’s heart coherence also increased. Without touching him, they were able to shift his heart-brain function.”

「レスコビッツ博士の知らないところで、同氏の後ろに立つ熟練の瞑想実践者らにハートコヒーレンスの状態に入るよう、ランダムな間隔で信号が送られた。彼らがハートコヒーレンスの状態に入るにつれ、レスコビッツ博士のハートコヒーレンスも向上した。瞑想実践者らは、レスコビッツ博士に触れることなく、博士の心臓と脳の機能を変化させることに成功したのだ」
“A follow-up study measured the same effect in 25 volunteers in a series of 148 ten-minute trials, and it found the same phenomenon of heart entrainment at a distance. The author stated that “a coherent energy field can be generated and/ or enhanced by the intentions of small groups of participants. . . . The evidence of heart rhythm synchronization across participants supports the possibility of heart-to-heart bio-communications.””

「追跡調査では、25人のボランティアに対して10分間の試験が148回にわたり行われ、心臓が同調する同様の現象がみられた。『コヒーレントなエネルギー場は、数名の参加者の意図によって生成および/または強化できる… 参加者間の心拍同期は、心臓と心臓のバイオコミュニケーションが存在する可能性を示唆している』と研究の著者は述べる」
“Our bodies and brains are synchronizing with people around us all the time. When we observe others being touched, our brains light up in the same way as if we were being touched. That’s because our brains contain mirror neurons that echo the sensations we’re observing. These mirror neurons even fire in sympathy with facial expressions and tones of voice, indicating that we are very sensitive to both verbal and nonverbal emotional cues provided by those around us.”

「私たちの身体と脳は、常に周囲の人たちと同期している。誰かが誰かに触れられているのを観察する時、私たちの脳は(訳注: 触れられている人と)同様の反応をする。これは、私たちの脳にミラーニューロンが含まれていて、観察しているものの感覚を模倣するためだ。これらのミラーニューロンは、表情や声のトーンなどにも同調して反応する。私たちが、周囲の人たちが発する言語的および非言語的な感情のシグナル両方に対して敏感だと言うサインである」

(引用: Dawson Church『Mind to Matter』)



ドーソン博士の言葉からわかるように、僕ら人間は直接言葉を交わさずとも、思考や感情で常にコミュニケーションを行っている。


つまり、言葉として明確に伝わりはしないにせよ、あなたの周りの人は、あなたが何を考え、何を感じているかを感じ取り、それに影響されているし、その逆もまたしかりなのである。言われなくても感覚的にわかりそうなことだが、今や科学の力で計測できるようにもなっている。




あなたが怒り、不安、ストレスを抱えた状態でいれば、周りの人はそのネガティブなエネルギーを受け取る。脳波で言えば、あなたが発する高ベータ波を受け取り、周囲の人たちも高ベータ波に苦しむことになる。心臓のバイオコミュニケーションで言えば、周囲の人たちのコヒーレンスを乱す。


逆に、あなたが愛や感謝の気持ちなどを中心に生きれば、周りの人はあなたが発するポジティブなエネルギーを受け取る。あなたのアルファ波とセータ波に影響され、周囲の人たちも幸せを感じる。コヒーレンスが整い、ポジティブなエネルギーが生まれる。


"We aren’t living our lives as isolated human beings but as resonant nodes that are part of a great universal whole. As we increase our personal coherence, we add our measure to the sum of coherence being generated by everyone else on the planet resonating in synchrony with those energies.”

「私たちは孤立した人間としてではなく、普遍的な全体の一部である共鳴節点として存在している。個人のコヒーレンスを高めれば、地球上のすべての人たちによって生成される全体のコヒーレンスに貢献できる」

(引用: Dawson Church『Mind to Matter』)


一人ひとりが愛を持って生きれば、社会全体に愛のエネルギーを注ぐことができる。社会全体に愛のエネルギーが溢れれば、一人ひとりが愛で満たされる




早い話、愛は伝染する




つまり、あなたの幸せはみんなの幸せであり、みんなの幸せはあなたの幸せ




僕らは運命共同体なんだ



“A human being is a part of the whole called by us universe, a part limited in time and space. He experiences himself, his thoughts and feeling as something separated from the rest, a kind of optical delusion of his consciousness. This delusion is a kind of prison for us, restricting us to our personal desires and to affection for a few persons nearest to us. Our task must be to free ourselves from this prison by widening our circle of compassion to embrace all living creatures and the whole of nature in its beauty.” — Albert Einstein

「人間は、私たちが宇宙と呼ぶ全体の一部であり、時間と空間に制限されている。個人は個人としての経験を持ち、思考や感情は他の人間から分離されたものとして経験する。しかしこれは、意識がもたらす一種の視覚的妄想にすぎない。この妄想は人間にとって刑務所のようなものであり、私たちの意識を個人的な欲望と親しい数人に対する愛情だけに制限する。私たちの課題は、私たちの思いやりの輪を、すべての生きとし生けるもの、そして自然の美しさを受け入れることへと広げ、この刑務所から私たち自身を解放することにある」— アルバート・アインシュタイン

"Everything is connected and the web is holy." — Marcus Aurelius

「すべては繋がっていて、その繋がりは神聖である」— マルクス・アウレリウス(第16代ローマ皇帝)


僕らがこんなにも密接に繋がって生きていることが、感覚的にも知的にも理解できたなら、次のステップは明確だ:




僕たちの仕事は、愛を中心に生きること




家族を亡くし、飢餓に苦しんだ僕の祖父ができるんだ。僕ら現代人にできないわけがないだろう。



そして、すべての人間は幸せになりたいと願っている。そこに、疑いの余地はない。


Everyone wants to be happy; happiness is a right. — Dalai Lama

人はすべて幸せを求める。幸せは権利だ。— ダライ・ラマ



僕は僕自身を愛することでみんなに幸せをもたらし、あなたはあなた自身を愛することで僕たちを幸せにすることができる。


僕は自分を愛することで他人を愛することができ、あなたも自分を愛することで僕たちを愛することができる。




こうして愛と思いやり輪を広げることで、僕らは相乗的にお互いを幸せにしていくことができる。





恐れから、愛へと、進化する。





これが、僕らの世代に課された最大の仕事だと、僕は信じている



次の進化へ



アインシュタインが言ったように、今を生きる僕たちの課題は、愛や思いやりを、自分自身を含めすべてのものへと注げるように進化すること。


僕の祖父を含め、僕らの祖先はその下地を作ってくれた。




そこで最後に、あなたに問いたい。




恐怖にとらわれて、外的目標に走るか。愛を信じて、内側から進化するか。




あなたは、どうする?



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