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ハツラツという名の馬の話

とある牧場で一頭の仔馬が誕生した。
産まれた時、右の前脚が外側に向かって曲がっていて、自力で立ち上がることが出来ない。いわば生まれながらハンディキャップを持った障害児。
初めてのお乳も人間が抱えてやっとという状態だった。

この馬が何とか無事に成長してくれるようにと願いを込めて、「ハツラツ」という名前をつけた。

しかしそれからも困難がこの馬を襲う。
母馬の乳の出がよくない上に、授乳を嫌がったのだ。ほぼ育児放棄。
障害を持ったその仔馬は痩せこけていった。

それでもその仔馬はくじけず雑草もかまわず必死に食べ、他の馬たちと変わらないくらいに成長していく。
体の成長と共に、負けるもんかという心も育つ。
前を走る他の馬を必死に追い越そうと頑張り続ける。ど根性だ。


競走馬として訓練する為に別の牧場に移ったハツラツ。
そこには30頭ほどの仲間たちがいたが、ハツラツは仲間はずれにされ一人ぼっちだった。
いつもぽつんと馬群から離れたところに。

それが逆に人の目を引いて、調教を多く受ける事ができた。
本来は賢くておとなしく、人懐っこい性格。
一人ぼっちで寂しかったためにそうなったのかもしれないが。
調教の時は跳ね回って人を振り落とせるか?という勝負を挑んでくる事もあり、調教というよりは一緒に遊ぶ感覚だったと牧場の人は語っていた。

障害があっても育児放棄されても仲間はずれにされても、負けずに元気に育ったハツラツ。
馬体も立派になり、人口23000人の町にある小さな地方競馬場だが、ついに競走馬としてデビューする事となる。



登録馬名は「オグリキャップ」



デビュー戦ではマーチトウショウに敗れて2着。
その後2連勝したものの、その次のレースでまたマーチトウショウに負けてしまう。
負けた後オグリキャップの厩務員が別の人に代わったが、その時のオグリキャップの蹄(ひづめ)を確認すると、手入れを怠った状態で蹄の内側が腐る疾病を起こしていた。
オグリキャップはここでも酷い扱いを受けていたのだ。

それを治療した後の次のレースでついに宿敵マーチトウショウに勝利!
そのままの勢いで破竹の8連勝を成し遂げる。
地方競馬とは言えこれは快挙だ。

この馬はこのまま地方で終わらせてはいけない。いざ中央へ。
当時の馬主の小栗は説得され、オグリキャップは別の馬主へと売られた。
その金額は2000万円。


当時の中央競馬では地方の馬など田舎者扱いだ。
競馬新聞を見ても馬名のところに丸の中に「地」と書かれてしまう。
賭ける方は大穴狙いで地方馬に賭けるような感じ。

昔、ハイセイコーが地方からやってきて名勝負を繰り広げた時、奇跡のヒーローと言われるくらい地方馬が活躍するのは難しい事。
なので8連勝で破竹の勢いとはいえ、人気は二番人気だった。

レース展開、オグリキャップは後方待機。
第三コーナーから最終コーナーの第四コーナーにかけて、中央の馬を横目で見るように外側を廻って前方に進出。
持ち前の負けん気を発揮し最後の直線でラストスパート!
そして全ての馬をぶち抜き優勝。

自力で立つことも出来なかったあの痩せ細っていた馬が、無事育ってくれればそれでいいと思っていた馬が、中央競馬のエリート軍団に勝ってしまった。
次のレースも最後方からぶち抜き優勝。

しかしクラシック登録をしていなかったために、皐月賞には出走できなかった。
代わりに別のレースに出て優勝。
当然オグリキャップは全ての馬と馬主の夢であるダービーにも出ることが出来ない。いくら勝っても舞台に立つことも許されないのだ。
ダービーの代わりに出走したニュージーランドトロフィー4歳ステークスも優勝。

この頃のオグリキャップは疲労が蓄積され、注射で治療をしている状況で体調面で不安を抱えていたものの、持ち前の負けん気を遺憾なく発揮しコースレコードまで叩き出している。
この時のタイムは古馬GIの安田記念のタイムよりも上回っていた。
これがオグリキャップが今見せられる最大の意地だ。俺の方が強いぞと。

その後高松宮杯もコースレコードで優勝。
毎日王冠も後方一気で優勝。
ついにオグリキャップは当時の中央競馬の重賞連勝記録である6連勝を達成!

そして秋の天皇賞。
重賞5連勝(内GⅠ2勝)含む7連勝中というオグリキャップを上回る成績を作った怪物タマモクロスとぶつかる。
オグリキャップはいつものように後方待機。
直線で一気に抜き去ろうとしたものの、タマモクロスは流石に抜く事が出来ずに2着になってしまった。

それが気に入らなかった馬主は、もっと積極的に行って欲しかったとそれまで乗っていた騎手に不満を洩らす。
再度タマモクロスに挑戦したジャパンカップでは、その意見を受けていつもの後方待機をやめ、先行策をとるもそれが完全に裏目。三着に敗れてしまう。

オグリキャップ陣営はこの負け方も気に入らず、それまで騎乗していた騎手をオグリキャップから降ろしてしまった。(騎手が代わるというのは、人間で言えば無理やり離婚させられて、無理やり再婚させられるようなもの)

そして当時超一流の騎手岡部に一戦だけという条件付で有馬記念に騎乗してもらい、念願のGI競走初制覇を達成したが、この時からオグリキャップの歯車は徐々に狂っていった。

有馬記念から2ヵ月後に捻挫、更にその2ヵ月後に繋靭帯炎を発症。
どちらも生まれた時のあの障害のある右前脚。
有馬記念から9ヶ月を経てようやく復帰し、周囲の心配をよそに優勝した。

次のレース、最後の100mでイナリワンと競り合いになり、写真判定でオグリキャップが鼻差の勝利。
ここから常に競った状態が続く。
2着、鼻差で1着、そしてまた2着。有馬記念はついに5着。

この年のオグリキャップはかなり無茶なローテーションで次々とレースに出ていた。
新聞を見ると毎週のようにオグリキャップが出ているような。

実はこの年に二代目の馬主に脱税疑惑がかかり、将来馬主登録を抹消される可能性が出たのである。
そして三代目となる馬主に売却されたのだが、その値段がなんと5億5千万。
それを取り戻そうとしたのか、過酷なローテーションでのレースが続いたのだ。
そうしてオグリキャップは徐々に破壊され、輝きを失っていく。
テレビではあまり語られることのない事実。


休養から半年後、安田記念をコースレコードで勝利し、当時の通算獲得賞金額が日本一となるものの、怪我を次々と発症していった。
次の宝塚記念を2着と敗れた後、両前脚、そして右の後ろ脚と次々に故障。
天皇賞回避濃厚と言われながらも強行的に出場した結果、6着と惨敗。オグリキャップ初めての着外。
続いてのジャパンカップは11着と大敗。

オグリキャップは終わった。壊れてしまった。
頼むからもう休ませてやってくれ。

当時競馬を見ていたほぼ全員が同じことを考えていた。
障害を持って生まれ、地方から出て、もう十分に頑張った。もういいじゃないか。
馬主の元に脅迫状まで届く始末。
休ませて欲しい。死なせないで欲しい。みんなの願いはそれだけだ。

その声を受け、馬主は次の有馬記念をオグリキャップの引退レースとした。

オグリキャップ最後のレース。
負けるのはわかってる。馬主も騎手もコロコロと代わり、満身創痍の体。
それでもみんなオグリキャップの馬券を買う。大好きだから。

俺と母と友人の三人は場外競馬場へ、オグリキャップ最後のレースの馬券を買いに行った。
このオグリキャップの馬券が懐にあれば、これからどんな困難にも立ち向かえる。
そんな気がしていたからだ。

12月23日。
オグリキャップは4番人気。
みんな記念に馬券を買った結果、こんなにも人気が上がった。

レース開始。集まった観客は17万人。
最後の勇姿を見届けるためだ。
オグリキャップは中団5~6番手。スタンド前を通る時には地鳴りのような声援。
「夢、期待、願い。様々な想いが幾重にも重なり、大きな声援となって中山競馬場に響き渡ります」と実況アナウンサー。

最終コーナーへ向け、最後の見せ場を作ろうと先頭に向かってオグリキャップは加速していく。
頑張れ!
頑張れ!
頑張って!


一度だけでも、一瞬だけでもいい。
オグリキャップが先頭を走る姿を。


俺はデパートのテレビ売り場でその様子を見ていた。
場外競馬場はあまりの混み具合に脱出したのだ。
そのテレビ売り場にも人だかり。
隣の人もその隣の人も皆「頑張れ!頑張れ!」と声を出し、拳を握り締め応援。
勝てなくてもいい。頑張れ!皆ただそれだけ。

最終コーナー。
「オグリが行った!武豊が行った!オグリ先頭に立つか?!」
まさかと思った。実況アナウンサーもそして応援している全員も。
一瞬先頭どころか、オグリキャップと武豊は本気で勝とうとしている。全身全霊、まさに全力だ。

勝てるわけがない。勝つわけがない。
もう十分頑張った。これ以上頑張らないでくれ。
・・・でも・・・、



頑張れオグリキャップ!!!



そしてオグリキャップがついに先頭に立つ。

「オグリ先頭か?!オグリ先頭か?!」
「ライアン来た!ライアン来た!しかしオグリ先頭!オグリ先頭!オグリ先頭!」
ゴール板よどこにある?今すぐオグリキャップの前に出てきてくれ!
ほんの数秒が無限のような長さ。

「オグリ先頭!ライアン来た!ライアン来た!オグリ先頭!!」
息が出来ない。涙でテレビが歪んで見られない。その瞬間。

「オグリ一着!オグリ一着!オグリ一着!オグリ一着!右手を上げた武豊!オグリ一着!オグリ一着!見事に引退レース!引退の花道を飾りました!スーパーホースです!オグリキャップです!!」

泣き叫ぶような実況アナウンサーの声が聞こえた。
最後の最後にオグリキャップからとんでもないクリスマスプレゼント。

レース後、観ていた者全員しばし呆然。
テレビでの払い戻しのアナウンス「1着・・8番・・・オグリ・・・・」
感涙でコールできず。

そして「この馬券は万が一オグリキャップが勝っても交換しないぞ」と言っていた馬券を交換しにすぐさま場外馬券場へ(笑)
あー別に100円だけ記念に買っておけばよかった。こんなに儲かるとは思ってなかったし。
ちなみに武豊が上げた手が左手なのは突っ込みどころ(笑)


引退式は3箇所で行われた。
そのひとつはもちろん、出身の地方競馬場である笠松競馬場で。
人口23000人の町に4万人もの人がやってきた。
オグリキャップはもう一人ぼっちじゃない。

灰色だった馬体は真っ白になり、まさに天馬のよう。
燃え尽きたんだね。オグリキャップ。

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その後一度大病を患うものの何とか完治し、北海道で悠々自適の余生を過ごしていた。
それから約20年後の2010年7月3日午後2時頃。
ぬかるんだ地面に脚を取られ転倒。複雑骨折。
寿命を迎える前に安楽死処分となった。

怪我をしたのは右前脚。
産まれてきた時、障害があったあの右前脚だ。
最後の最後までそんな困難が待ち受けていなくてもいいじゃないか。これが運命ならば神様はあまりにも残酷だ。


どんな困難にぶつかってもそれと戦う勇気、どん底に落ちても這い上がってくる勇姿はずっと忘れない。
ありがとうオグリキャップ。


これが俺が競馬にのめり込んでしまった理由。
900円しかないのに全てを賭けた理由だ。

ミスターシービーからギャロップダイナ、そして見ての通り、このオグリキャップへとつながって俺の前に現れてしまったからだ。
これは競馬にハマっても仕方ないと思う・・・でしょ?(笑)

競馬にハマった4000字を超える言い訳をオグリキャップ並みの全力で書いてみた。



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