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僕の生い立ち part1〜産まれてから小学校まで〜

初めまして!阿部 慶汰(あべ けいた)と言います。
現在は奈良県の西大和学園中学校3年で寮生活をしています。
今回はそんな僕の生い立ちについて話していこうと思います。


2008年爆誕

2008年4月東京都品川区の病院で産まれた。
僕の名前には「慶」という漢字が入っている。これは僕が一番好きな字だ。
しかしこの時は決して今のように教育分野に手を出そうとなど思っていもいなかったのだ。(てか、思えるわけがないか笑)

親は共働き、3歳から保育園に通う

壮絶な保育園争奪戦

僕の両親は共働きだ。だから幼稚園ではなく保育園に行かなければならなかった。
しかし僕の住んでいる地域は再開発が進んでおり、若い世代が多かったので保育園は争奪戦だった。
そんな中奇跡的に入れた保育園では4年間で毎日フツーに生きて遊んでいた(何にもないんかい!)
この時は習い事もしていないし、周りの子に比べて何か突出したことなど何一つ無かった。

5歳でバイオリンを始める

年少になると僕の周りにはピアノで「エリーゼのために」を弾く強者が出てきた。
そこで初めて「あっ、習い事したいなぁ」って思ったんよねぇ〜。(僕は母からピアノを少しだけ教えてもらっていただけだった笑)
これが人生で初めて他人を羨ましがった瞬間だったと思う。
家に帰って母に相談すると「ピアノかバイオリンどっちが良い?」と言われたときバイオリンのほうが楽しそうと思ったのでバイオリンを始めた。
小2の頃には何度か国際音楽コンクールで入賞していることもあるくらいハマった習い事であった。(今は趣味にやる程度だけど笑)

6歳で大手塾四谷大塚に入る

今でも忘れない2014年12月11日午後5時。僕は最初、放課後親が来るまでの時間潰しで塾というものに遊び半分で入った。6年後に壮絶な受験があるとは知らずに…
ここで初めて中学受験という世界に足を踏み入れた。このとき競争という概念を知って「一番」を取ることの大切さに気付かされ、今でも「一番」に執着することが多くなった。僕の負けず嫌いな性格はここで生まれたと言っても過言ではない。
※ちなみに小学校で最初についたあだ名は「自慢男」。当時はそのくらい自分が一番であることを自慢していたようだ笑

小4になって"受験"という意識が芽生える

小4で初めて塾を掛け持ち

今までは生半可な気持ちで塾に行って帰ってきていたが、小4になった瞬間塾の学年のメンバーが増えた。また塾の進度や難易度も一気に上がった。
僕は親からの勧めで日能研の全国模試を受けてたまたま成績が良かったため、「スカラシップ制度」というまぁいわゆる特待制度ですな、これに通ったわけですわ。
だけど日能研は小4の最初の授業で足し算の筆算。(←正直マジかよって思ってた)流石にレベル合わないなぁって思って半年で辞めた。
四谷大塚でずっと学習を進めて行くがその後僕の人生を変える転機が訪れる。

小5でSPICAに入る

おい、SPICAってどこやねんって思った人、このサイト見てみて。(https://www.spica-wa.jp/
まぁ要は開成、筑駒に行くための塾ですな。ここに運良く合格したわけです。(試験はマジでむずかった)ここで様々な個性的な先生とお会いするわけです。
中でも一番印象に残ったので橋本有人先生。今は塾を辞められて大阪府議会議員をされている。先生の口癖、いや塾として「論理的思考」というものを大切にしてきた。この論理的思考が今の自分にとても役立っていると思うことは少なくない。
またこのとき小6になったらSPICAでずっと勉強したいと思って小5を期に長年お世話になった四谷大塚を辞める。

小6、遂に激動の受験期(前半)

ここで僕の人生を変える分岐点part1が起こる。それは新型コロナウイルス感染拡大。このとき初めてオンライン、パソコンというものの大切さ、強さを知った。今ではこうして当たり前に使っているがほんの5年前までは全然大事にしてきていなかった。
4月から授業は全てオンライン。家で過ごす時間が圧倒的に多かった。
久しぶりに塾に行ったのは7月。みんなすごく大きくなっていたし中には声変わりしている子もいた。
このあと夏期講習からは毎日塾に通って自習をしていた。

西大和学園を知る

時は2020年10月。僕の第一志望は開成、第2志望は筑駒、第3志望は聖光学院だった。しかしどの学校も2月。その前哨戦として1月8日の西大和学園を受ければ?と言われそこで初めて西大和学園を知った。
その時の授業中の橋本先生の言葉が思い出される。

先生「あのな、西大和学園って関西の奈良っていう鹿がおるところにあんねんけどな、一回行ったことあんねん」
生徒「へぇ〜、ハッシー(←先生のあだ名)どんなところだった?」
先生「ほんまに田舎で、電車乗ってても途中から山の中入るからビビったわ笑。まさに山、川、西大和やで〜」←言いすぎやろ笑
生徒 爆笑

このとき行く気はさらさら無かったし、まさか自分がこの学校に行ってるとは考えもできなかっただろう。

中学受験本番

1月8日の西大和学園からずっと受けていったが全て順調。
しかし、事件は起こる…

2月1日開成→不合格
2月2日聖光→不合格
2月3日筑駒→不合格
2月4日聖光→不合格(2回目)

人生で初めて「あっ。俺の人生終わったわ。」って思った瞬間だった。
しかし時は過ぎていく。。。
このときまだ願書を締め切っていなかったのは西大和学園と市川学園。僕はこのとき人生を大きく変えたであろうこの2択の選択を迫られる。
ここで最終的に選んだのは西大和学園。理由は単純。西大和学園の方が楽しそうだし、俺は東大に行きたい、そのための近道だと思ったから。
そうして僕は関西に来ることを決めた。



次回は僕の中学校時代を1年ずつ振り返っていこうと思います。
今回はここまで。お読みいただいてありがとうございました!

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