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大きな組織で働くということ

大きな組織で働くってどういうことなんだろうか?

一昔前の「大企業に入れば安泰だ」なんていう声は今は昔。もはや安定のために、滅私奉公する時代でもない。

20世紀サラリーマンの「お給料もらっているんだから、我慢は必要」という主張と、将来を担う20代の「やりたいことに挑戦したい」という主張の対立は日を追うごとに激化している。


多様性をはらんだ組織

そもそも「大きな組織」とは一体何なんだろうか?

「大きな組織」にはたくさん人がいる。老若男女なんて当たり前。今は異なる雇用形態やライフステージの従業員が一つの組織で働く時代。国籍・人種・宗教・思想・価値観まで含めると、もはや同じ考えを持つ人のほうが珍しい。

そんな多様な人材を抱える「大きな組織」。そもそも「組織」とは共通の目的を達成するために複数の人間の集まりである。そこで目的達成に関係なく、「みんながこう考えるべきだ」といった主張をすることこそが、おかしなことである。

尊重されるべき、全員参加の議論

1989年に冷戦が終了。1991年にソ連が崩壊し、ここ30年で世界のグローバル化は急速に進んだ。企業も組織もグローバル化が進み、多様な人材、言い換えれば、自分とは違う考え方の人と同じ組織で働くことが当たり前になっている。

日本も遅れること数十年。ようやく、そういった時代が近づいてきている。

多様な人材が集まる「大きな組織」において大事なこと。それは、何かを決めるときに、まずはしっかり議論をすること。違う考えを持つ人間同士、自分の意見を表明しない限りは、相手に伝わらない。

次に、出た意見をむやみに否定しないこと。ヒトには自由意思があり、一人ひとりの意見は尊重されるべきである。自由意思の否定は、心理的安全性を損ない、組織風土をむしばんでいく。

組織長も一人のメンバーとして見る

こう書くと、組織長が意見を否定した、意見を言う機会をもらえなかった、発言しても聞き入れてもらえなかった、といった意見が出てくるかもしれない。

部下の視点はそうかもしれないが、組織長の視点から見ると、誰も発言しないから会議を進めた、自分の自由意思として意見を述べたが強く否定したつもりはない、と思っている場合もある。

どこの世界でも、メンバー全員が満足している理想的な組織は少ないし、何より、他人の意識を変えられる、ましてや部下が上司の考えを変えられる組織はもっと少ない。

フォーカスすべきは、自分の意識や行動である。

まずは自分が「組織」に尽くし、「組織」にとってベストの成果が出るように組織長を含めた全員の意見・自由意思を尊重する。そして、自分の意見は相手に伝わるように話す、相手が共感してくれそうな話し方で伝える。あとは「正しい/正しくない」という価値判断せず、あくまで自分の意見を伝える。

組織長が責任をもって決める

そして、最後は組織長が決断すること。最終決定にすべての意見が反映されることはほぼない。組織長は全員の意見を踏まえ、自身の権限と責任をもって最終決断しなければならない。

組織メンバーにも内容確認や異論を唱える権利はあり、組織長は自身の決断への説明責任を持つ。組織は、常にそうした緊張関係が働く。

一方で、組織長はメンバーの運命を握っている、つまり人事権を持っており、メンバー側も意見する時には、覚悟をもって挑まなければならない。

決まったことには必ず従う

最後に、決まったことには従うこと。全員で行った議論は尊い。それが簡単に覆されるようなことはあってはならないし、組織の決定は全員が守り、徹底されなければならない。

これからの社会で当たり前になっていく

こうした組織は、日本ではまだまだ根付いてはいない。しかし、新卒一括採用や終身雇用が終わりつつあり、転職が当たり前の時代がすぐそこに来ている。そして高齢化社会の人手不足の時代には、正社員だけでなく、派遣社員や契約社員、個人事業主との契約など、あらゆる雇用関係の人間と協働することになる。

大きな組織が牧歌的なムラ社会、つまり全員正社員で若手は会社に滅私奉公、嫌なことも我慢してやってくれる、といった時代は終わりを迎える。

これからの社会では、「大きな組織」で働くということを前提に仕事の仕方を考えていかなければならない。

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