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プロフィール(前編)

榮前田慶太(エイマエダケイタ)と申します。
神奈川県の江の島で税理士をしています。↓こんな感じの海の見える事務所です。

1983年に兵庫県西宮市で生まれ、2歳からは神奈川県川崎市で育ちました。その後、川崎市→鎌倉市→横浜市→藤沢市と神奈川県内を転々としてきたザ・神奈川県民です。

自分がどんな人間か知ってもらうためにプロフィールを書いていきたいと思います。長くなりますがどうぞお付き合いください。

子供の頃

生意気なお子さんでした。
あまりに生意気で親がこのまま公立の中学校に進んだらやっていけないだろうと思ったらしく、小5になるときにスイミングスクールと進学塾の究極の2択を迫ってきて(スイミング大嫌いだったんですよ…)まんまと塾に通うことになったのを覚えています。
塾に通うとみんなが当たり前に中学受験するっていうので塾の先生が自由な校風だって紹介してくれた学校の中から選んだ学校を受験することに。このころ勉強が大好きでした。受験戦争に巻き込まれた自覚もなく受験して中高一貫校の男子校で伸び伸びとやってこれたのも親のおかげですね。

カナダへの留学

大学では男子ラクロス部に所属し、ラクロス漬けの生活で勉強もほとんどしないまま周りが就活をする中「みんなと同じやり方して就活なんてしたらダメだろう」と謎の結論に至り、カナダに留学することに。世界は広いのに他の国を知らずにこのまま日本で仕事を始めるのはいけないのではないかという危機感があったのも事実です。ただの語学留学にはしたくなかったので、当時興味を持っていたスポーツマーケティングを専攻する大学卒業者向けのプログラムに応募しました。
9割がカナダ人のクラスに入り、初めはみんな何言ってんのかさっぱりわからないというところからスタートしましたが、授業に積極的に参加したりインターンをやったり。家に帰ってからも周りに追いつくために必死で勉強しました。1年終わるころにはマーケティングのクラスでトップの成績がとれるようにまでなりました。
カナダで感じたのはコミュニケーションの能力の高さです。プレゼンにしろ授業にしろ双方向のコミュニケーションで成り立っているのが標準になっていて日本との差に驚きでした。いろいろな人種の人がいるということが当たり前の社会の中で、「言わなくても通じる」みたいな暗黙の了解が通用しないことで必要とされるコミュニケーションの能力は日本とは異なるものだと感じました。

リクルート

帰国後に就活をして新卒至上主義の日本社会の壁にはばまれながらもリクルートという会社にもぐりこみ、求人広告の新規開拓営業をすることになりました。
担当地域は横浜市の桜木町、関内周辺。企業の多い地域ではあるのですが、風俗街やドヤ等もある「女性の営業には担当させられない」といういわくつきのエリアでした。当時のリクルートでは名刺獲得キャンペーンという1日100人を目標にひたすら飛び込みで名刺交換を3日間するというイベントがあったのですが、ドアをノックして開けた瞬間、目の前に怖いおじさんたちが現れ、失礼しました!と逃げ出したのを覚えています。
当時は坊主頭だったので風俗のお兄さんからよく挨拶されました…
大した営業成績は残せませんでしたが、数百人の経営者と話をするのは今思い出してもワクワクする経験で、みなさんお話好きの方が多く成功段や失敗談、夢や悩みなどいろいろな話を聞かせてもらいました。その中で自分が求人広告という解決策しか提示できないことに歯がゆさを感じていました。リーマンショックもあり求人が激減する中、中小企業の問題解決に取り組める存在になるために退職して公認会計士試験を受けることにしました。(税理士試験じゃないんです)

試験専念

貯金と退職金で1年間試験に専念することを決めて15㎡くらいのワンルームマンションにこもってTACの通信講座をもくもくとやりました。TACの模試で上位に名前が載るくらいまでになったので行けるだろうと思って試験を受けた結果、一次関門である短答式試験にも合格できず。お先真っ暗になった当時mixiに意気消沈の内容の日記を書いたのを覚えています。落ちるなんて思ってもいなかったところが恐ろしいですね。いろんな人が励ましのメッセージをくれて、親も援助するからもう1年やったらいいじゃないと言ってくれる中、ふと税理士試験のことが頭に浮かび、調べたらあと3日くらいで試験の申込み期限が!あわてて簿記論と財務諸表論の申込みをしました…そもそもが公認会計士→税理士というルートで最短で独立することを思い描いていたのですが、税理士事務所で働きながら税理士試験を受験するというルートに切り替えることにしたのでした。

(中編に続く)



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