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noteはじめました。


まずは、当たり前のことから書いてみたいと思う。noteの読者はもうすでにデザインに対してのリテラシーは高いので、今更そんなこと言うなよと言いたいかも知れない。しかし初めての投稿なので、いきなりスキップするのではなく、初歩的なところから一歩ずつ階段を登って行くようにデザインについて書いていこうと思う。

最近、友人から「デザイナーは問題を解決するヒーローに近い」というメールをもらった。そこで僕なりにデザインについて考えてみたくなった。

「人はだれでもデザイナーである。ほとんどどんなときでも、われわれのすることはすべてデザインだ」『生きのびるためのデザイン』ヴァルター・パパネック著 阿部公正訳 より

 ヴァルター・パパネックの言葉である。デザインとは、ある特殊な能力を持った人がすることではなく、人が行動すること全てがデザインなのである。
 人類皆デザイナーであるならば、デザイナーという職業はどういう仕事なのだろうか。商品を売る為の仕事なのだろうか。ものを良く見せる為の仕事なのだろうか。従来ならば、それで通用していただろう。しかし、そこにデザインナーの本質はない。
 デザインとは、ものをスタイリッシュに見せることでもなく、売れる商品を作ることでもない。デザインとは、ものの本質を探ることではないだろうか。
 デザイナーには、物事の本質を見極める力が求められる。本質が歴史にあるのかもしれない。あるときには、制作工程に本質があるかもしれない。時には人の行動に本質が隠れている可能性だってある。よって、デザイナーには幅広い知識と観察力が求められる。むしろ、知らなくて良い情報というのは一つもないのだ。
 今、デザイナーというのは、大ていの人が美術大学の出身である。僕はそれがいつも、心のどこかで引っかっている。人類皆デザイナーであるのに何故、様々な分野からデザイナーが生まれないのだろうか。理由の一つに、今まで、モノでデザインを発揮する機会が多かったからかもしれない。しかし、いまはUI/UXなどにデザインの力が求めている。今のデザイン教育の現状で、社会の要求に完璧にデザイナーが寄与できているのだろうか。デザイン教育は絵や感性の教育だけではなく、もっと社会を見つめる観察力を指導するべきではないだろう。そして、デザインで社会の問題を解決するだけでなく、これからは社会に「こうじゃないの?」と問いかける力も必要になってくる。

デザインが関わる領域は日々拡大している。そして今も世界中のどこかでSOSが鳴り響く。ヒーローはその一つ一つに丁寧に謙虚に向き合い続けていく。今日も世界のどこかでヒーローは戦っている。


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