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13.アコギとの出会い、佐藤くん


話を少し前に戻そう。
エレキギターが歪まなくて挫折をした中学2年…から一年後の中学3年生の時の話。

学校によって違いがあるだろうが三年時には「選択授業」というものがあり、美術や音楽等といった芸術系の科目の中から好きな教科を一つ選んで履修できるという時間があった。

他にどういった授業があったかは全く覚えていないが、その時に僕が選んだのは「音楽」であった。
理由は単純明快、ギターやドラムといったポップスに使われるような楽器をやってみよう、というような内容だったからだ。

エレキギターを挫折しているとはいえ、一応経験者でありギターを持っている自分としては少しいいところを見せられるのではないかという気持ちもあった。

そうしてとった音楽の授業であったが、最初にやったのはドラム。
まずは手のひらを膝に叩きつけてパタパタと、仮想スネアと仮想ハイハット(ドラムの太鼓の名前)でイメージトレーニングをした。
そうして手でやることに慣れてくると今度は右足で足踏みをして仮想バスドラムで練習、
そしてある程度できるようになったタイミングで、学校の音楽室の押し入れにしまってあった一台のドラムセットを全員でまわして練習をした。

ドラムの1番基本的な叩き方に8ビートというものがあるのだが、簡単であるが故に奥が深い。
ドラムの授業の終わり頃には8ビートを叩けるかのテストがあり、それをクリアすることができた僕は今でもその8ビートの一本槍でドラムが叩けると言い張っているのはここだけの話である。

ドラムの授業が2ヶ月くらいして終わると、いよいよアコギの授業に入った。
僕の出番である。
さぁ来いと言わんばかりに待ち受けていたわけであるが、やはりエレキとは違うのがアコギである。

違う点と言えば、
当時エレキで練習したことがあったのはパワーコードという、弦を2本くらいしか押さえないで弾くことができるエレキギター特有の奏法であった為に、
普通のC(ドの和音)やEm(ミの悲しい雰囲気の和音)と言ったコードを押さえて弾くことが全く出来ずにいたこと。

そして、弦高という弦の押さえやすさのようなものがエレキよりアコギの方が格段に難易度が高く、全くと言っていいほど歯が立たなかった。
ギターを持っている癖に他の全員と同じスタートである。

学校の音楽準備室にはヤマハのアコギが数本あり、3人くらいで班を作って順番に弾いて練習をした。

まずは少しずつコードを抑える練習をするのであるが、ジャラーンと弾けるようになるまで2週間くらいかかった。
そのあとは曲を弾いてみようということで、課題曲としてスピッツの「チェリー」が選ばれた。
この曲は基本的なコードが多く使われていて、初心者にとっても優しい入門的な曲であることで有名だ。

そうしてチェリーの練習を始めるのだが、
とにかくコードチェンジが上手くできなかった。(押さえたコードをさっと別のコードに押さえ直すこと)
一個押さえては5秒くらいかかって次のコードを押さえ、そしてまた次のコードというようにおよそ曲とは言えない代物であった。

けれど、将来バンドでやっていく為には他の人と同じではいけないんだという思いがあり、なんとかしてこの課題をクリアさせてやろうと考えた僕は音楽の先生にお願いをして、
音楽の授業終わりや部活のない放課後、そして休み時間などを使ってアコギの練習に耽った。

そうして1ヶ月ほど経つ頃、完璧とは言えないまでもチェリーのコードチェンジにかかる時間は1秒くらいにまで短くなり、
他の生徒たちよりもほんの半歩ほど上達して終わることに成功をした。

自分にとって、本当の意味でのギターのスタートはこの瞬間だったかもしれない。


そうしてチェリーが少し弾けるようになり中学を卒業、
高校にはスポーツ推薦で入学し、前回記述した後夜祭に出会う。

後夜祭でバンドをやらなくてはと思い立った僕であるが、剣道部、軽音部それぞれの壁が目の前に立ちはだかったのである。

そんな後夜祭からしばらく経った頃。

クラスで近くの席にいた佐藤くん(サッカー部だった気がする)と音楽の話になり、
小さい時からゆずや森山直太朗と言ったアーティストが好きだったこともあり意気投合、
話を聞くとどうやら彼はアコギを持っているようだった。

アコギなら弾けるよ!(チェリーなら)ということを伝えると、
今度うちに弾きにきてよ!ということで僕は佐藤くんの家に行くことになったのである。

佐藤くんの家は通っていた高校からとても近く、歩いて5分もかからない位置にあった。
家から電車を乗り継いで40分くらいの距離にあった僕からするととても羨ましかった。

そんな佐藤くんの家にお邪魔すると、家の中にはサザンオールスターズのポスターやらタオルと言ったグッズがたくさん飾られており、
聞くとどうやら親の趣味らしい。
高校生ながらにいい趣味してんなと思ってしまった。

自分の家はというと前にも書いたのだが、
母親が元々SMAPが好きで、携帯もキムタクの顔でラミネートするレベルであった。
ところがある日を境に母親と姉が熱狂的なX  JAPANのファンに変身。(なにがきっかけなのかはわからない)
家中にグッズやらタオル、サイン入りの色紙やフィギュアで埋め尽くされ、学校から帰るとライブDVDがエンドレスリピートされ、
なにがあった!?と聞くこともできないまま家はX JAPANに侵食されていった。
その反動もあり自分はX JAPANが嫌いになってしまったのだ。


実際の実家の様子。


このような経緯があり、
佐藤くんの家が恐ろしく"健全"に感じ、自分の家を恐ろしく"不健全"に感じてしまったのである。

そんな佐藤くんの家では、専らゆずの曲を2人でコピーして遊んだ。
選曲は一方的に僕がしてしまっていた気がするが、ゆずの曲を弾いたり歌ったりすると彼はそれに合わせてハモってくれた。

そんな佐藤くんの家ではいろいろなことを吸収した気がする。
ゆずの夏色の最初のフレーズの弾き方は佐藤くんに教わったし、僕のCコードの押さえ方が今でも人と違っているのは佐藤くんに習った影響からだ。
当時はなんとも思っていなかったのだが、今こうして文章に起こすと青春してんなーと思う。

部活がない日の放課後には佐藤くんの家に寄ってギターを弾く。
そんなことを半年ほど繰り返していたと思う。

そんな折、佐藤くんに言われたことがある。
「兼部しちゃうのはどうかな?」
「いやいや、流石にむりでしょー。」
「スポ薦だと流石に無理かー。あ、でも水曜だけとかできないのかな?」
こんな短いセンテンスであったが、

水曜だけ…いや、流石に軽音部だって活動あるし無理でしょー。
と心の中で思ったと同時に、
でも…あれ…?本当に無理なんかな?水曜だけとかいけるもんなの?
という疑念が湧き上がり、
思い立ったら即行動、
翌日には同じクラスの軽音部の子に聞いていた。

軽音部のその子曰く、
「部活っていっても決まって集まる日とかないし、バンドごとに勝手にスタジオとか入ってって感じかな。
後夜祭のやつはオーディションがあるけど、3年生で希望すれば出れるよ。」
とのことだった。

うっわ、まじか。
やれる?
やっちゃう?
でも、バンド組まないとだよね。
1番のメインが後夜祭に出るってことだけど、流石に三年生になってぽっと出だと印象悪そうだから2年生くらいには軽音部入ってる感じ出しとかないとだよね。



そんなこんなで、
もしかして軽音部入っちゃうかも?な回は以上。
次回、岡本軽音部入るってよ。乞うご期待。

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