⑦小学校〜中学〜高校にかけての剣道覚書。

前回からしばらく空いてしまったのだが、
正直、この話をどう書けばいいか迷っていた。
自慢のようになってしまう部分もあるし、かと言って今後の音楽、バンドがどのように自分に関わってくるかと言う点で外せないからだ。
少しお付き合い願えたらと思う。


小学校一年生の時に、半ば騙されて始めた剣道であったが、岡本少年は厳しい稽古の甲斐あり少しずつ上達していった。

小学校2年生の時には小金井市の市民大会で優勝を果たし、そこから三連覇を果たした。
それは小金井市だけではなく、おとなり武蔵野市の大会でも活躍をして、そこそこの知名度、知っている人は知っているくらいの選手になっていた。

だがそれは、厳しい稽古があっての結果であって、春には体つくりのために稽古はではなくひたすら筋トレをする期間があり、それが終わって夏には宮崎や鹿児島で合宿があり、秋にはお尻を竹刀で叩かれながらみっちり稽古をつけられ、そして冬には正月の朝6時から寒稽古が行われた。
正直剣道が好きかどうか聞かれたら"好きではない"と答えていたと思う。(決してそんなことは口には出せなかったが)

小学五年次には多少のスランプがあったものの、小学六年次には道場ではキャプテンという肩書きを与えられ(部活で言う部長みたいなもの)、なんとか市民大会でも優勝を果たし、有終の美で終えることができた。

中学生になると同じ道場で稽古を積んだ仲間と、全くの初心者の子たちが集まって剣道をすることになる。
もちろん初心者の子が成長をしてレギュラーメンバーの中に入ることもあるが、団体戦メンバー5人中1人くらいの狭き門だ。
小学生から剣道をしているメンバーはほぼほぼレギュラー入りが確約されているようなものなのだが、
それでも上を目指すべく、道場には学校の部活が終わってから通っていた。

その努力の甲斐もあり、中学3年時の最後の都大会では決勝進出を果たし、学校の快挙である都大会二位と関東大会出場という成績を収めることができた。

その成績を引っさげ、高校には剣道でのスポーツ推薦入学を果たすことになる。

都内でも割と頭がいい都立高校で、
中学校時代のテストの成績ではとてもじゃないが行ける学校ではなかった。
しかし、お金がかからないという理由と、練習がそこまでキツくないという邪な理由からなんとかその高校に入れないかと言うことで、必死に勉強をし、
たまたま少し高めの偏差値が出た模試の結果を、高校の練習参加時に顧問の先生に見せたらなんとか滑り込むことができたのである。
(しっかりとスポーツ推薦の入学試験もあったので実際どうかは分からないが)

こうして高校生になり剣道一筋で生きてきた岡本少年であるが、バンドに出逢うのはあとほんの少しだけ先の話である。

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