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4年間オーストラリアに住んでみて

おはようございます。鈴木啓太です。

6月半ばで 本日最高気温32度の予報
暑いですね〜

私ごとですが、
(だいたいnoteを書く時点で私ごとなんだけど
物を書くというのが初めてなもので、
文章の書き出し、入り方がわからないので
しばらくこの入りでやらせてもらいます。
漫才師の方のゆーてますけどね〜的な)
26歳から30歳までの4年間
オーストラリアのバイロンベイという町に住んでいました。

ざっくり年表を記します
1年目 
入国 初の海外生活 己の無力さに絶望
イチロー選手の引退会見に涙し背中を押される
とある山奥カフェのキッチンで働く 
シェアハウス開始 激安中古車を購入 
人間らしい生活ができるようになり、
1年で帰ろうと思っていたが
もう1年居たくなる
そのためにはファーム(農業)を3ヶ月やらないといけない
ので、農場の近くに引越し ブルーベリーのピッキングの仕事をする(なかなか地獄)

3ヶ月間のファーム期間を終え、
ビザ延長しバイロンベイへ戻る
再び山奥のカフェに迎え入れてもらい職場復帰

2年目
1年目にはない余裕を見せる笑
生活を一人でこなし 
友達も増えてきて楽しくなってくる
サーフィンと料理に没頭 
ただただ楽しい日々を送る 有頂天気分になる
もう帰りたくないと感じる

ワーキングホリデービザから
学生ビザに切り替えることを決意
(学生ビザとは文字通り学生になって国に滞在する権利を得る)
デザインコースというコースに決め
有頂天の俺は一年分の学費をまとめて払うと言い出し支払う。

そんな矢先悲劇が起きる

いつも通り板を車にのせサーフィンに向かう道中
事故を起こす 単独だったものの
人の敷地のフェンスを壊し崖に突っ込む
車は大破 即レッカーの廃車

(事故った車の様子は
インスタグラムに載せています)

レッカー代、フェンス弁償代、車を失う
さらに絶望の中、家のオーナーに呼び出される
「残念なお知らせだ
この家が売りに出る、1ヶ月以内に支度をして出てもらう」
泣きっ面に蜂 家と車とお金を一気に失った
どん底の最中 ふとアイデアが思い浮かんだ

3年目
家も車も失った俺が浮かんだアイデアとは
「車に住もう」であった
実はオーストラリアでは車を住めるように改造し、暮らすというのはそこまで珍しくない

その時のなけなしのお金と
職場に掛け合って
今ある消化してない有給を現金化
その他福利厚生を駆使しお金をかき集め
中古で2000年式のハイエースを買った

元々席は外されていて、
木でベッドを置くフレームだけは作られたいた
当時全財産の残高50ドルだったのを覚えている(日本円で4000円くらい)

もう住むしかない 家がないから
もう働くしかない お金がないから

後がなくなった俺は働いたお金で
丸ノコとインパクトを買い
木材を買っては内装や棚づくり
koalaマットレスをハイエースに敷くなど
着々と車内をアップグレードしていった
稼いだお金で自分だけの空間 秘密基地を作っていく感覚は
RPGゲームをやっている感覚だった
ハイになっていた笑

コロナ真っ只中だったが俺は家が動くんだロックダウンとは無縁だ
と調子に乗ったことを言っていた
ハイになっていた笑

(この時の車と内装アップグレードの様子もインスタグラムに載ってます)

その後7ヶ月間車に住む
家賃がかからないためみるみるお金が貯まる
ハイになった俺は仕事を辞めることにした

4年目
仕事をやめ、毎日気ままに過ごしていた
散歩したり本を読んだり海に行ったり
この頃、友人の誘いでブラジリアン柔術を始める
のめり込んで行く毎日海と道場の往復
再びハイになっていた

少し離れた町で再度カフェのキッチンの仕事に就く
流石に車での生活にも限界が来て再び違うシェアハウスにすむ
オーストラリア生活ラスト半年、
なにかもういっちょ爪痕を残したい
ということで、
このアップグレード済みのハイエースで
タスマニア島というところを目指して
旅をしよう と決意
一人じゃちょっと心細かったので
日本から弟を呼び寄せた
2人でタスマニア島への旅が始まった 
予定期間1ヶ月
4年ぶりの弟との再会
急に1ヶ月箱詰め旅。笑

基本寝泊まりはキャンプ場
毎日キャンプ地を探し、
毎日平均6時間ほど運転を繰り返し(ぜんぶ俺)
その場で宿を決めといって俺は車、弟は一人用のテントをはり外で寝る
たまには車の中で寝たいという弟の意見を
運転は俺がしている という事実と 兄である
という権力を振りかざし跳ね除けていた

(この旅の様子もインスタグラムに載せています)

タスマニアへの往復は、
日本列島往復の距離に匹敵するらしい
タスマニア卒業旅行を終え帰国

といった感じです

4年間オーストラリアに住んで
孤独を感じたし 面倒なこともあったけど
後悔などあろうはずかないです。
よかったこと
細かいことを言えばキリがないけど
一言で言うとするならば
「外国人になったこと」です。
オーストラリアでは僕は外国人なので
外国人という立場で生活することで
人の心を慮ったり 人の痛みを想像したり
今までなかった自分が出てきました。
これはなににも代え難い財産です。

実はイチロー選手の会見の言葉をだいぶ引用しました笑
オーストラリア入国後すぐにイチロー選手が引退し、
引退会見を宿で一人で見て、背中を押され泣きました。

でも帰国した僕が今、心から思っていることです。

下にイチロー選手の引退会見のリンクを貼りました。
記者の最後の質問
1:20:50あたりからその話をしています。
よければ見てみてください。


締まったね〜最後

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