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めぐる屋久島めぐる旅とその後

5月中旬、仲間と屋久島に行ってきたのでその振り返り。

屋久島では、水が大地に染み込み、地下から湧き出し、小さな水の流れが何本も生まれ、いずれ川となり、海に注ぐ。そのめぐりを感じることができる。その一連を辿ろう、というのが旅のテーマ。

僕は水が好きで、大地から湧き出ているところを見つけた時のアガる感じも、川の流れを見て心がすすがれる爽やかな感じも、海を見て、包み込まれるような感じも、原風景にある大切な感覚。

屋久杉の森を歩きながら、水が今まさに大地から滴り落ちる瞬間の美しさと言ったら。


仕事で、僕がモチベートされるのは、何かに遮られめぐりが滞り、葛藤が渦巻いていたりする状況。けど、その状況でもよくよく見ると、チョロチョロとしみ出るように新しい流れが生まれつつあったり。

例えば、Mtgの場で、参加者のちょっとした仕草だったり、発話だったり、そういう瞬間を紡いで、めぐりをつくっていくのがこだわりだし、そうした瞬間に産業やサプライチェーンレベルで起きている歪みに意識を広げて、フラクタルな構造を見出せた時、目の前で起きていることの尊さが増す感覚もある。

僕がMIMIGURIで仕事をしている理由は、既存のコンサルティングから、パラダイムシフトを起こすプロフェッショナルファームを作りたかったからで、そう思った理由の半分は、僕のキャリアのほぼ全てを占めているコンサルファームとう業界がクライアントを豊に出来ていないと感じていたからで、もう半分はそのゲームでうまく振る舞えなかった自分の劣等感故だったのかなと今だったら思う。

「コンサル業界」という外なる世界のめぐりと、「自分」という内なる世界のめぐり、その2つのめぐりがつながる1つの表出が、今働いている会社なのかもしれない。

「めぐりの中にただ存在する自分」と「めぐりに対して意図的に働きかける自分」の間に葛藤を感じることがある。川の流れがそうであるように、上から下に自然とながれるだけなのに、そこに個性を出すことを、おこがましく感じてしまう。最近僕に「遠又さんが責任者だから、一緒にプロジェクトをやりたいと思っている」という声を届けてくれる方がちらほらいて(嬉しい)、その言葉を聞いた時に、ありがたさを感じる反面、僕自身が源泉(ソース)となってしまっていることへの、なんとも言えない、内なる世界がめぐっていないような感情とも近い。

なんて事を、屋久島から戻って同僚に語っていたら、ある人がタイ古式マッサージの話しをしてくれた。マッサージ師さんが一方的に癒すのではなく、マッサージをする方もされる方も、めぐっている状態を目指すとのこと。

ビジョンや問いを立てるときに、自分も相手もめぐっているかどうかを大切にしているのは、僕の個性(エゴ?)というより、それを聞いた「私たち」もめぐりが良くなる兆しを感じるから、それを聞いた周囲に響くのでは?そこに遠又さん自身が面白さを感じるし、問いがみんなの体に染み込むように感じるのでは?という言葉で形容してくれた。

「新しいパラダイムのプロフェッショナルファームを作る」という言葉、実は、少し前から僕をモチベートする言葉でなくなってしまっていて、屋久島から戻り、そのことに改めて向き合ってみた。

MIMIGRIもいい会社だし、東川もいいところだし、素晴らしい仲間に恵まれているし、自分の外側のめぐりと、内側のめぐりの葛藤をエネルギー源とする、エネルギーの作り方が再現性を失っているのかもしれない、と思った。もう十分幸せ。満たされた時、めぐりはどうなるのだろう?きっと、乾いた方に、上から下に、それが必然のように向かうだろう。もしかしたら、それは、欠落からのエネルギーではなく、おすそ分けのエネルギーなのかもしれないな、とふと思った。次のライフテーマは「よさの、おすそ分け」でどうだろう?よさがめぐるコミュニティを社会に増やすこと。

そんなことを感じた、屋久島の旅でした。


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