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# 106_なぜ対象が弱視者なのですか?

 弱視者の方、また、その方たちを囲む眼科医療福祉従事者の方たちと本格的に出会い始めたのは、とある美術館にてOTON GLASSの展覧会を開催したときでした。
 もともとOTON GLASSは、私の父の失読症をきっかけに仲間と共に開発を始めたのが最初でした。父のため、というのはもちろんあったのですが、それ以上に自分のため、自らの身内が文字を読めないという特異な状態になって、その自分ではどうしようもできない問題に寄り添う、それについてどうすればいいのか考え続ける方法として、つくるということを選択した、OTON GLASSの開発を始めた、と言えそうです。ですので、単に親孝行というわけでもなく、至極個人的な自分のためのものづくりとしてスタートしたのです。
 また当時、私はつくる必要があるものなんて本質的にはないのではないかとさえ思っていました。世の中に溢れているあらゆる人工物のほとんどが、経済を回す消費の欲望を駆り立てるだけのものであって、そういったものをこれ以上つくる必要はないと考えていました。そういった意味で、父の失読症や、それをきっかけに発明されたOTON GLASSは、ほとんどのものをつくる必要のない、むしろそれをどう食い止めるかみたいな時代において、私につくる意味の糸口を与えてくれたものでした。つまり、自分ではどうしようもできない問題に寄り添い続ける方法としてつくるという行為があると、つくることの新たな意味を教えてくれるきっかけでありました。そういった意味でも至極個人的な営みであったのです。
 そうして超個人的な営みによって生まれたOTON GLASSを、展覧会という機会を通じて公的な空間に置いてみる。私や父など、またその関係者でもない、予想ができていない、想像ができていない他者が触れる、体験する。そして、その一人が弱視者の方だったのです。目の見えづらさ、例えば中央の視野が欠けている中心暗転の場合など、空間の把握や文字が印字されているであろう対象は認知できても文字自体を読むことができない。もちろん家族やガイドヘルパーなどに手伝ってもらい代読してもらうこともできるが、あらゆることを頼むわけにいかず、少しでも一人でできることを増やしたい。OTON GLASSと弱視者の方が、私の想像を越えて出会い、OTON GLASS自体の新たな意味が発見される。
 また同時に弱視者の周辺にいる眼科医やガイドヘルパーの方たちと出会い、その方たちを通じて様々な弱視者の方たちと出会う機会をもらいました。いろんなお話を伺わせてもらいました。目の見えづらさ、それ自体も視力や視野の組み合わせで様々ですが、それ以上に目の見えづらさを起点として生まれる個々人が抱える課題、それ自体が多様でした。
 同時に、人によっては自立のため、一人でできることを増やすために、アナログなものからデジタルなものまで様々な支援技術を組み合わせて使われている方もいらっしゃいました。そして、その支援技術のひとつ、ある選択肢としてOTON GLASSに可能性を感じてくださる方もいらっしゃいました。しかし、冒頭のFabBiotope2.0の参加者の募集文でも触れましたとおり、様々な弱視者の方と出会いお話を伺う中で、支援技術の普及それ単体の視点からだけでは、私自身が感じたそこに横たわる真の課題のようなものに触れることができない、アプローチができないように思い始めていきます。
 そんな中で出会ったのが弱視者であり同時につくり手である方たちです。私はこの方たちと協働したいと思いました。この方たちとの協働が、真の課題にアプローチする方法に思えたのです。私自身は目の見えづらさは持っていません。それゆえ弱視者の課題感というものを本当の意味で想像するというのは難しい。もちろん、交流することを通じて知る、共感できるようになる、相手への想像力が広がるというのはありえます。しかし、目の見えづらさを持っていない私が先陣を切って弱視者のロールモデルになる、そういったことは難しい。私が出会ったつくり手である弱視者の方たちは、私が考える新たな弱視者像、そのロールモデルに、複数のケーススタディになってもらえる可能性があるのでないかと感じたのです。
 と同時に私自身がつくり手であるので、私がその方たちと協働できる共通のスペースみたいなものを、すでに共有していると感じました。また、その方たちの生きる術としてつくるという実践をしている姿、その姿から私自身、真の創造性を感じる瞬間は少なくありません。そういう意味で、その方たちを野生の創造性を発揮している、クリエイションを実践している、つくり手の師とも見れる場面もあるのです。そこには緊張関係があります。支援する/される、そういった単純な関係性ではなく、互いに自立したつくり手として、その個人として相手を見ている。互いの創造性を、おもしろさを競う。それが常に試される複雑な関係性を、緊張感のある関係性を保持している。
 ここで、このQ&Aの最初の問い「なぜ対象が弱視者なのですか?」に戻るのならば、シンプルに先に紹介したようなつくり手である弱視者の方に実際に出会ったから、そのような方々と私自身が協働したいと思っているからです。つまり、眼科医療福祉とか超高齢化社会とか、そういったあるドメインに向かっていっているというよりも、私が個人として出会ったその方たちが弱視者であった。また、自らのからだの変化に対して真摯に向き合う、主に中途の弱視者の方たちに出会ってきて、その当時、私にはなにもできなかったけれど、つくり手である弱視者の方と出会って、その方たちと協働して生み出されるものを通じて、自らの生き方をつくりたいと、そう考えている弱視者の方々に何かできるのではないか、そのように考えているのです。
 もしかしたらその実践の先に、眼科医療福祉や超高齢化社会、その複雑な課題に立ち向かっていく、貢献していく、そのようなことが結果として生み出されることがあるかもしれない。でも、それはあくまでも結果であって、ひとつの可能性であって、決して大きすぎるなにかに向かっていっているわけではないのです。あくまで私自身のリアリティから、出会った人、経験、そういった肉体的な、身体感覚のあるところから、至極個人的に出発して、自らの実践を通じて生まれたものを、おすそ分けさせていただく。実はそれを求めている人がいたのだと、そういった小さな普遍につながっていけばと考えているのです。

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Keisuke Shimakage

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起業家。父の失読症をきっかけに文字を代わりに読み上げるメガネ〈OTON GLASS〉を仲間と共に発明。弱視者とエンジニアが協働して発明を実践し知を流通させるプロジェクト〈FabBiotope〉に取り組む。 https://scrapbox.io/keisukeshimakage/