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雷が落ち、考えごとをする

2023年9月15日(金)晴れ後雷雨

午後の雷で少しの間停電した。一番近くに落ちた雷では、光ってから音まで一瞬の時間差もなかったように思う。でもそんな天気とは関係なく、考えごとをたくさんした日だった。

今日はじじばばの家で過ごした。本当は予定していたはずの撮影がなくなり、空いた時間を考え事や仕事、じじばばとの食事に費やした。今日の撮影がなくなったことは、私自身によるところが大きい。落ち込んだけれど、あらためて演じることについて考えるきっかけももらった。

痛感しているのは、思っていることを素直に伝えたつもりでも、受け取る相手から見たら複雑になってしまうということ。本当は相手の考えを否定するような説明も、自分は間違っていないと主張するような釈明もしたくない。そもそも同じ言葉に対する認識も人それぞれ違うのだから、実感にずれが生まれるのは当たり前だ。でも頭で分かっているその当たり前に、感情がついていかない。相手の反応から、私が思うように伝わっていないと感じてしまうことに、もどかしさと悲しさがある。伝わっていないと感じる自分へのもどかしさだ。一緒に作品を作っていきたいと思う人たちとの間では、使う言葉や価値観のすり合わせを丁寧すぎるくらいに繰り返していったほうがいいんだ。そしてある程度は、「伝わっている」と信じて手放すことも必要だと思う。私は「伝える」という言葉の一方通行さが、雷と同じくらい嫌い。

そして逆もまた。相手の言っていることを分かったと簡単に思ってはいけない。でも分からないと諦めることもしたくない。分かっても分からなくても、相手との関係性は続けること。そういう強さが必要だと思う。分かる分からないを超えたまなざしを探している。すぐに結論に飛びつくほど簡単なことはない。複雑なものを複雑なままで大事にしたいから、私は苦しくても続けたいことがある。でも複雑さを保つためには、単純化するべきところがあるのもまた、近頃実感することが多い。

すぐに結果が出なくても焦らないこと。時間をかけてもいいこと。でも単純に先延ばしにするのではなく、必要な時間を取ること。間違ってもまた戻ればいいこと。だからとにかく行動すること。これらの約束事をあらためて自分自身に言い聞かせた。

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