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🔲 紫式部の空間認識「夕顔の巻」 1


「夕顔の巻」は、青年源氏が六条の御息所のもとを訪れる途中、病気の乳母を、突然、訪ねるというシーンから始まります。その五条の大路は、とてもむさくるしくて、源氏にとっては初体験でったのです。その時の様子は次のように語られています。

「むつかしげなる大路のさまを、見わたし給へるに、この家のかたはらに、桧垣といふもの、新しうして、上は、半蔀四五間許り上げ渡して、簾垂なども、いと白涼しげなるに、をかしき額つきの透影、あまた見えてのぞく。立ちさまよふらむ下つかた、思ひやるに、あながちに、たけたかき心地ぞする。」 

古典文学大系一 123頁

大邸宅に居住する源氏にとっては、こんなに身近に様々なものがあふれている様子はとてもむさくるしく感じられるのです。下町のごみごみした空間・その距離感は今まで味わったことのないものです。築地の塀に囲まれて、遠くに植え込みがあり、鑓水や前栽に囲まれた生活とは全く違っているのです。初めて見るものに興味津々です。

そこに生活している人、たとえば、隣の家の女たちも、今まで目にしなかったタイプなんです。こぎれいな女房が、簾の向こうから興味深そうに自分を見つめ、噂しているんです。しかも、踏み台かどうかは定かではありませんが、のぞき見をしている女房達は不思議に背が高く見えちゃうんですね。源氏は、異次元の世界に引き込まれるように夕顔の花の世界へと誘い込まれてしまうんです。

夕顔の宿の距離感というか空間認識、面白いですよね。紫式部や姫君や女房達の世界からはずっと離れた場所。体験したことのない場所だったはずです。軽蔑や嫌悪する場所、行ってはならない場所、だから好奇心のそそられる場所だったんですね。そんな場所を、光源氏と共に体験する恋物語が「夕顔の巻」だったのです。

この距離感・空間認識は、視覚だけではありません。作者は、思わぬところで、聴覚からも夕顔の宿のむさくるしさを表現しています。

源氏が夕顔と契りを結んだその夜明け、八月十五夜の光が板屋の隙間から漏れてくるし、隣の家から声が聞こえてくるんです。

「あやしき、賤の男の声ゞ、目さまして、「あはれ、いと寒しや」「今年こそ、なりはいにも、頼む所すくなく」「ゐ中の通ひも、思ひかけねば、いと心ぼそけれ」「北殿こそ、聞き給ふや」など、言ひかはすも聞ゆ。」 

古典文学大系一  1



夕顔は、とっても恥ずかしく思います。死んでしまいたくなるような住まいなんです。そのうちに、庶民の生活も始まり、「ごほごほと鳴る神よりもおどろおどろしく踏みとゞろかす唐臼の音」「白妙の衣うつ砧の音・空飛ぶ雁の声、壁の中のキリギリス」などが、耳元で聞こえてくるのです。こんな体験、源氏は初めてなんです。夕顔との恋物語は、こういう異次元の舞台で展開するからこそ源氏の恋心は一層燃え輝いてゆくのでしょう。同時に、姫君や女房の好奇心も満たされてゆくことになるのです。

小説や芝居や映画なんかで、舞台をどのように作り上げるか。その空間認識といったらよいのか距離感といったらよいのか、とても興味深いですね。映画の始まりのシーンや小説の冒頭部にとても興味を持っています。どんな舞台を作者が考えているのか、ワクワクしながら。

「夕顔の巻」は、特に素晴らしいですね。紫式部という物語作者の力量が伝わってきます。


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