目の前の世界

記憶はただ流れていく。時には力を失う事もある。何も知らない事へ日々飛ぶ込むような日々の疲労感と雑音。僕はそれだけで疲弊する。僕にとって世界はうるさすぎるのだ。

何も起こらない日々のように感じていた。でも、それは違った。日々少しずつ色々な物が変化していた。クリエイティブなものに憧れる自分と小さな変化で喜ぶような自分。代わる代わる自分の考えは目まぐるしいほど変わる。この社会では一貫性のある人間の方が好かれる。一貫性のある人間なんて何処にもいないのに。僕は家事が好きだ。家事をしていると思考する事を忘れる。雑感から解き放たれた気分になる。目の前の世界。

僕は自転車であちこち行く時間が好きだ。自転車で走っているとただ自分が解けていく。夕日が落ちる時間帯の人間の感情と少し似ている部分がある。僕は忘我の瞬間にしか興味がない。自転車はまさに私を忘れている瞬間である。

僕は現実をみたくない。自分があまり幸福ではないからなのかもしれない。ただひたひたと迫りくる現実が僕は嫌いだ。

自分の中で現実を消す為には目の前の世界に集中するのが一番だ。目の前の世界はただ豊かで、時間の重みを帯びている。たかだか数十年しか生きれない人間の経験よりも重みがある。時間は宇宙が始まったその瞬間から開始している事になっている。時間はただずっと流れている。目の前の世界は実は目の前の世界ではない。連綿と続く時間に悩み事は聴くしかない。イヤフォンをつけて街に出れば私なんか消える。発想の転換。人間にとって悩みは無意味である。僕はそう思っている。ただひょいひょいと思考を展開させるのみ。もう少しそこらへんの感覚を社会に対して伝えていきたい。

ただ彷徨う脳。その脳は構造体を持っている。その脳の構造体は言語を使って思考する。内側の世界に僕は興味を持っている。自分なりの思考ではなく、素直な思考をすること。僕にとっての癇癪予防薬は素直な思考を展開させる事。人間と対話しても無意味である。結局は自分の内側で格闘していくしかない。何故格闘するのか。それはカオスに負けて死なない為にである。自分の中で世界を拡げる。社会を変える事などできない。

思い付きのままを書き記したので全く意味が分からないであろう。でも、僕だけが分かればいい。これは思考の格闘の痕跡である。ただ目の前の世界を、そして仲間を、強く信じていきたい。ただ素直に。力強く。好き勝手にやっていきたい。

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