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2018/5 樫本芹菜選手インタビュー「存在」

―2017年9月に、 イングランド女子代表のMark Sampson監督とその他スタッフがEniola Aluko(Chelsea Ladies)に対して不適切かつ容認できない行動、つまり孤立させられた、惨めな主張をされたという人種差別的な行為をしたということでFAは彼を解任し、公式に謝罪した。ここで伺いたいのが、Mark Sampsonを擁護するわけではないけども、どこに境界線があるのかと。例えば、「いいお尻しているね」という発言があって、女性に対しての発言なのか、アスリートに対しての発言なのかは、男性側は時と場合を弁えていれば女性側は問題ないと言えますか?
「自分は普通の女性選手とは違うのであまり参考にはならないと思いますが、 アメリカ時代に筋トレでお尻も含めて身体つきが大きくなって、アメリカにいた日本人の友達にも『また身体が大きくなったね』と言われて、それを聞いたアメリカ人の友人が『そんなこと女性に言ったら失礼でしょ』と言うんですけど、自分はそう言われたら嬉しい。筋トレを頑張ってきてその成果が玄人ではない方でも分かるほどだから、『ありがとうございます』とか言います。Butlerでの男性コーチにも『(身体つきが)大きくなったね』と言われても、不快に思うことはないです。それはやっぱり信頼関係があるから、いまDuisburgの監督に『お前、いいお尻しているな』と言われたら、『え、何?』と思う。アメリカ時代の監督とは発言の意図が分かるので、問題ないです。結局、信頼関係の部分です」

―欧米は多民族国家であって、日本は島国であって、人種的な問題については疎い。
「Butlerの授業でも取り上げられたことがあって、見た目は典型的な日本人ではないにしても日本で生まれて、日本語を話し、日本の文化で育っているのであれば、それは日本人であって。アメリカなんて、チームメイトとかでも『私はドイツ系アメリカ人』だったり、『イタリア系ドイツ人』など、どこかほかの国の血が混ざっていて、結局United States of America もそういうのがごちゃまぜになって結合された州であって、国名にも表れている。見た目がTypical Japaneseじゃないとしても、日本人じゃないというのはどうなのかなと。鎖国時代なことができる世の中じゃないので、周りの文化を受け容れたり、人種にせよ、柔軟に対応していかないと日本は取り残されるだけじゃないのかなと思います」

―日本語に関してもそう言える。
「東京五輪が決まって、いつまでも英語が喋れないようでは・・。英語が全てではないですけど、だいたいどこ行っても一人くらいは英語を喋れる人はいるんですよね。ただ、一つ印象に残っていることがあって、まだアメリカで勉強していて、そこまで映画が喋れない頃の一時帰国中に、広島駅に向かう電車の中で男性の方が英語っぽいアクセントで『Hiroshima? Hiroshima?』と聞いて回っていた。でも周りの人は『No English』と言っていて、でもHiroshimaって英語ではないじゃないですか。それだけを聞いていても、広島行きの電車なのか聞いているのかおよそでも分かるじゃないですか。かわいそうだったから、この電車は広島に行くし、これぐらいに着くよと言ったら『ありがとう』と言ってくれて、そしたら周りの人が『英語喋れて凄い、理解しているんだ』みたいな反応していた。いや、あの人『Hiroshima? Hiroshima?』って言ってただけだから、みたいな。結局、日本人の英語に関する問題は一歩踏み出せるが踏み出せないか、なんです」

―レフェリーのBibiana SteinhausさんやSian Louise Massey-Ellisさん、かつてChelseaのチームドクターを務められていたEva Carneiroさんのように、男性社会に女性の進出が徐々に増えてきた。今日の試合でいえば逆に女性社会における男性であって、Hoffenheimの男性の監督が、自チームの選手がファールで倒れている際に主審に抗議していた。性別どうのこうではなく、当たり前の光景ではある。
「Hoffenheimの監督があれだけファールと言っても、ちょっとダイブが多かったので何とも言えないですけど、彼があれだけ言うことによって笛の基準が変わりましたよね。要はファールを取るようになった。自分はやっぱり根元は日本人なのであんまりギャーギャー言うのは、たとえチームの追い風になろうと好感度が高いかと言えばそうではないです。でも、ウチが前半立ち上がりはペースを掴んでいたところからゲームの流れを変えたという意味では1つのテクニックなのではと。まぁ結局は最後ウチが競り勝ったのですけど。女性が男性社会に入っていくことについては、それこそ女性審判が男性の試合を担当する事は、もちろん風当たりが強いですし、いくら男女平等を訴えようとも根強い部分はある。でも本人は一番その部分を覚悟してやっていると思うので、それがないとやっていけないし、やるべきではないと思うんです。心を痛めることはあるでしょうけど、そんなことで挫けるようではそもそもそんな世界に入っていかないと思うので、先頭を切ってやられている方々が結果を出していくことで評価を変えていくことでしか、(男性側の)態度の変化は出てこないのではと思います」

―セカンドキャリアについて。猶本光選手や長谷川唯選手のように大学で勉強されている選手もいる。それに対して、サッカーを続けたいが故にジリ貧な生活を送っている選手もいる。ワールドカップドイツ大会後、それについての報道もあった。結局自分に対してコミットできていなかったと簡単に言えると思えますが。
「Butlerにいた頃、日本の大学はアメリカの大学に比べると、という話はよくしていたんですけど、 日本の大学に進学した友達の話で、ある課題の締め切りがもうそろそろなのに一つも手を付けていないと。『どうするの?』と聞けば、適当にウェブサイトでペーストすれば評価がもらえるということで、『えっ?』みたいな。全員がそうではないにしても、結局大学へ行くにしてもサッカーのための手段と言うか奨学金を得るための手段であったり、体裁を保つために授業に出たりはするけど、結局は時間の無駄で。アメリカの大きな大学でもフェイククラスとかあったりするけど、少なくともButlerではなかったので、自分は勉強に目を向ける環境にあった。セカンドキャリアに関して自分の場合は、潰しが効かなくなるからどうこうしなきゃいけないよりは、この選手生活をしている中で自分が疑問に感じたことを変えたい、どうやったらできるかを考えていく中でこれをやってみたい、それが指導者であったり、スポーツマーケティングであったり、 やりたいことをセカンドキャリアでやるにはどうするべきかを自然に考えて、自分の専攻を作って勉強してきたことに繋がる。だから最近の若い人はどうなのかと。サッカーに限らず、大学に行くことは自分のやりたいことがわからないから、とりあえず探すとかが多いけど、自分は真逆で、小さい頃からサッカーがあって将来的にも指導者になりたいというのが、最初は漠然としたものでしたけど、選手生活を続ける中でいろいろ膨らんでいって、人生ひとつじゃ足りないという状況になった。やりたいことをどうやって見つけられるかは言えないんですけど、そういうことが明確じゃないから、勉強にしても蔑ろにしても全然気にならない感じなんだと思います」

―教える側が対象に対して、自ら新しいことを発見させられることであったり、可能性を拡げられるようなアプローチが希薄だったりもする。
「自分の場合、高校時代にセンターバックにコンバートされて幅が広がりましたよね。ボランチも守備的な役割もあるので、その時から周りを動かすこともやっていましたけど、センターバックになるとその面の負担ももっと増えて、頭を使うようになった。新しい世界が別に一個あるだけでも世界感はかなり違ってくる。しんどいこともありましたけど、 必ずしもマイナスなことではないと思っています」

―否定を繰り返す指導者がいたりする。それを聞かされる側は答えがわからなくなって、内に引き籠ってしまう。 関わる大人次第となってしまいますが。
「自分は恵まれていたという感じで、小学4年生になる一か月前くらいからサッカーを始めたので、遅い方なんです。ボールを蹴っていたのはそれより小さい頃からですけど。周りからもよくそんな遅い時期に始めてここまで来たね、と言われます。小学5~6年生の頃が一番伸びた時期で、 その頃のコーチがめちゃくちゃ厳しくて、練習がたるんでいたら帰らされたりと、いまの監督とは比じゃないくらい怒鳴られていた。そのコーチは何が良かったかと言うと、オフザピッチではしっかり切り替えができていた。一度、『自分の意見があるなら言わないといけないでしょ』と両親に言われて、練習中に指摘されたことに『こう思ってこうやったんですよ』と言ったら受け容れてくれて、でもこうやったらもっと良かったんじゃない?と言われて、『なるほど、そうか』ということがあった。それ以降、怒鳴られることも気にならなくなったと言うか、もちろん好きじゃないですけど、マイナスに感じることはなかった。コーチは自分の意見を聞いてくれる、見てくれている、受け容れようとしてくれていることが分かっただけでも、信頼関係という意味でプラスなことだった。今でも一時帰国したらメールして、会って話をすることがあります」

―ナーゲルスマン監督率いるホッフェンハイムでは大型スクリーンによるコーチングの可視化に取り組んでいる。それは言葉の表現だけでは限界があるからだと思える。あるブログで「日本では議論で敗れることは人格の否定と同意」と受け取る人がいたりする、という指摘があった。論理的に説明できていなかったが故の否定が返ってきたり、いくらアドバイスを言っても受け容れない場合もある。
「怒鳴るコーチにしても今のDuisburgの監督にしても、スタンス的には『俺が100%正しくて、お前は100%悪い』なんですよね。それだと信頼関係もないですし。結局、Butlerのコーチは今でもめちゃくちゃ好きなんですよ。4年生の時は自分がゴールを決めて勝たせたいという気持ちはありましたけど、 勝つことでコーチたちを有名にしたいと思えるくらい好きなコーチだった。たまに怒られると、自分も自分の意見があるので怒鳴り返すんですよ(笑)。それは信頼関係があったからこそできることで、向こうは熱くなってるから『言い返すな!』と言ってくる。そしてハーフタイム中に『芹菜、おいで。さっきのことはこういうことがあったから言ったんだよ』と個人的に伝えてきてくれる人だった。今みたいに、そもそも議論もしない状況だとお手上げだし、大人だと尚更ですよね。子供は何もわからないので、言ってくれればそれに従えば良いかもしれないけど、ある程度サッカーをやっていると口も達者になるし、知識も自分である程度持っているし、自分の考えもある中で、『お前が100% 悪い』となると反感しかない。それで自分とどうやって信頼関係を築くの?となると、絶対無理じゃないですか。自分なんか、こんな性格だから余計反発しますよね。そういうことも踏まえて残念だと思いますし、自分はそういうことが重要だなと思ったからこそ大学の専攻で心理学を勉強した。そこまで踏み込んで勉強したわけではないですけど 、Butlerのコーチから聞いた話では、男子チームと女子チームとでは教え方に違いを入れていることがあったりする。今の監督は女子チームを指揮するのが初めてで、『そのアプローチでは、選手の気持ちを落とすだけよ』と毎日のように続けていますけど、『こういうことか』というのを実際に見たりとかして、選手としてはかなり不毛な一年間ですけど、いろんな意味ではめちゃくちゃ勉強になっていますよね。自分が指導者になった時にどういう振る舞いをするべきなのか、とか。ベテラン選手となった時に、どうすれば若手選手に受け容れてもらえるか、下手に出る必要はないですけど、やっぱり若手選手とのギャップは空きやすい。若手チームメイトの一人とある試合について話した一言目が、『ベテラン選手たち、さっさといなくなればいいのに』と。やっぱり若手同士だとやりやすいので。ただ、その話を聞いて自分が思ったのは、自分がベテラン選手になった時にこういうふうになるのかな?自分はどういう振る舞いをするべきか、どういう選手であるべきか考えるようになった。選手としても人としても重要な部分じゃないですか。そういうことにもこだわってこそ、パフォーマンスや魅力が増すことになる。この経験をどう活かせるかだと思います」

―名選手名監督という話にも繋がってくる。
「あまりやる気がない子がいたとしても、目の前にクリスティアーノ・ロナウドやメッシが現れて、『今日から俺が君たちのコーチだ』となったら、大抵の子はテンション上がりますよね。自分はいくら下手でもやる気がある子にはいくらでも自分の時間を捧げてあげたい気持ちはありますけど、子供があまりやりたくないというのなら、何か犠牲にしてまでやってあげようとは思わない。そこをどうにかしていく方法も今から模索していく必要がある程度あるでしょうけど、今は現役のうちにどれだけ子供達の憧れになり得るかだと思う。Clevelandでは、そのことについてテーマがあって、エラシコや股抜き、ヒールリフトのように派手なプレーを魅せ場で使ってやることによって、子供に『凄い!』と思わせて、サッカーそのものに興味を持ってこさせる。プレーも凄くてチームを勝たせる選手は影響力がすごくあるので、そういう選手こそ、いろんなことを考えるべきだと思うんです。プレーだけではなく、自分のブランドをどう有効活用できるかを考えるべきで、それを100%活用するためには、どういうところを突き詰めるべきか、ということも大事。勝てるけどおもしろくない、予測できちゃう、次何をしてくるのかが分かるサッカーよりは、自分で言えば『これぞ日本人』というプレーが嫌で外に出て、ドリブル、パス、シュートもできるプレースタイルを求めてやってきた。そういうプレースタイルは華があるし、そんな選手は影響力があるから競技をすること以外にももっと目を向ける必要があると思う。その一つとして、コーチングもまた自分のブランドが使えるかもしれないと思っています。実際にアメリカでも一対一の個人レッスンをしていて、何をしようとも絶賛の嵐でしたからね(笑)。親からも子供からも。もちろん計画立てていましたけど、ほかのプロのコーチと比べたら杜撰で、自分の経験に基づいたものですけど、『良い時間でした。ありがとうございます』という評価になるんですよね。使えるものは使うじゃないですけど、使うのであればしっかり準備しなければ、指導を受ける子供たちが迷惑、犠牲になるだけなので、そこは責任を持ってやらなければいけないことだと思います」

―世に名を残すことについて。直接関係を持った人に記憶に残るような人生を歩めたら、それ以上のことはないと思えますが。
「自分は中学生の頃から大人になったら、子供たちのアイドルになりたいというか、憧れになる選手になりたいとずっと思っていて、それは今も変わらない目標で、ちびっこをプレーでたぶらかしたいんですね。プレーを見て、かっこいいと思ってもらって、サッカーに興味を持ってもらって、練習にもっと力が入ってくれるようになれば最高で、現役時代に達成したい目標です。別に樫本芹菜という存在を憶えてもらわなくてもいいですけど、何とかして女子サッカーを変えたい。男子サッカーと比べたら、スピードも違いますし、求められるテクニックと技術の高さも違うし、バルセロナのサッカーもめちゃくちゃ好きなのでよく見るんですけど、やる本人が一番差を分かっているので、いくら敵わないからといって逃げるのって嫌じゃないですか。自分が、女子サッカーが女子サッカーとしての在り方を何とか日本で形づけるとしたら、指導者として選手を育成することなのか、どこかのチームでもっと大きな事に携わるような仕事をすることなのか、指導者を育成するための意識改革のアプローチをすることなのか、スポーツマーケティングなのか分からないですけど、そこが分からないからこそ基礎的な知識は習っておきたいということで、Butlerでの専攻であって。自分にどういうことができるのかはっきりと見えたわけではないですけど、現役を通して肌で感じていく問題点であったり、女子サッカーを文化にということを自分の人生だけでは無理なので、賛同して一緒にやってくれる人と現実のものにしていければと。今のなでしこになれたのも、これまで歯を食いしばって頑張ってこられた先輩方がいたからこそ今がある。先輩方が経験されたことに比べたら、自分なんて大したものではないけど、そういうのが受け継がれて歴史になって、そんな歴史の中に自分も爪垢を残せたらという想いがあります」



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