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ぼちぼち再開!死について考える経験について。

半年くらい投稿が空いてしまいました。

はっぴーの家という素敵なサービス付き高齢者住宅で実際に働かせていただくようになってから、そのほかも目まぐるしく自分の頭の中が変化していって、なかなか文章を書く気持ちになれなかったのですが、初心に帰って、等身大の感覚を、気張らずに、ぼちぼち残していけたらと思います。

さて、先日、そのはっぴーの家で、笑いあり涙ありの、とてもハートフルで暖かい、全て手作りのお葬式に立ちあわせて頂きました。新感覚の感動でした。

誰しも死を真剣に考えるのは怖かったり後ろめたかったりするので、できるだけ考えないようにしてしまいがちなのかなと思いますが、

別れはかならずいつか、突然やってくるもので、結婚式などと違って、なかなか準備する気にもなれないので、形式的に淡々と終わってしまうことが多いですが、残された人たちにとって深い想い出になる時間を作れるのは素敵だなと感じました。

それに、四苦八苦の現世からの卒業式だと考えれば、「お疲れ様でした!ありがとう!いってらっしゃい!」と笑顔で見送るのも違和感はないのかなと。

音楽をやっていると、多かれ少なかれ、あの世とこの世の境界線が曖昧になる感覚を味わうことがあるように思っています。(僕だけなのだろうか?きっとみんな感じたことがあるはず!)

いろいろな哲学や歴史に関する書物を読んでいても、色々な国や地域で、音楽家というのは、現世に生きながら、仏教でいう極楽浄土の世界を覗き見ることができる貴重な存在として考えられていたりもしたようですが、

現代で、音楽を生業にしていると、この視点を少し忘れがちなのではないかと、ふと気づきました。

資本主義世界の経済活動というのは、この世が四苦八苦である元凶のようなものですから。笑

特定の宗教やスピリチュアルの世界がどうだというレベルではなく、もっと平たく広い意味で、天国の見学会?的な、「心、魂の解放」とはどういうことなのか、音楽とそれとはどう関わっているのか、大切な視点な気がしたので、備忘録として書き残しました。

生前、ほとんど喋ることもできなかった故人が、僕に唯一かけてくださった「大丈夫だよ(^^)」という言葉は忘れないと思います。

Hさん!短い時間でしたが、ありがとうございました!
いってらっしゃい!

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