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時代がビーチバレーに追いついてくる?

見出しphoto:©︎JBV
前回のnoteではビーチバレーにはこれから時代が追いついてくる、と書きました。

今回はその理由を🧚‍♀️

東京オリンピック
スケートボード競技が可視化したもの
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ビーチバレーが持つカルチャーは、おそらく日本人の真面目さにはマッチしていなくて、そんなところが一つの広がらない原因だというのは前回も書いた通りです。

どうしてもチャラいイメージをもたれてしまうスポーツというのは他にもあって、でもその潮目を変えてくれたのが東京オリンピックのスケートボード競技ではないでしょうか。本来スポーツは遊びであり、楽しむ物だと思いますが、それをよしとしない空気感がどこか日本には蔓延しています。しかし、それを払拭するかのように、敵味方関係なく、仲間と一緒に楽しむ姿を見せながらも、スケートボードの日本チームは素晴らしいパフォーマンスで国民を魅了しました。

そして、それを素晴らしいと感じることができる日本人がその時可視化されたと僕は思っていて、それは国民が潜在的にスポーツを楽しみたいという感情を抱いていたことを意味すると個人的には捉えています。
これがビーチバレーはまだまだこれから日本国民の心に入り込む隙があり、そしてこれからもっと理解されていくと僕が確信している理由の一つです。遊びと思われているスポーツだって、チャラいと思われているスポーツだって、もっとこれから認められていく。テレビゲームがeスポーツとして認知されていくように。


様々な価値観が認められるようになった社会
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現代は、本来認められるべきであった個人の権利が、ちゃんと認められる社会になってきた感覚があります。それにはいくつかの要因があると思っていて、SNSが普及したこと、教育、コンプライアンスなどがあると個人的に考えていますが、目まぐるしく社会のアップデートが繰り返されていることは、誰もが感じていることではないでしょうか。

そして、誰に咎められることもなく、自由な発想で社会を生きていくことが、まだ完全ではないにしろやりやすくはなってきています。

ここで思い出してほしいのが、ビーチバレーの競技特性です。2人で行うこの競技には、選手交代がありません、試合中コーチはベンチに入れません、出る大会も選手が決め、自分達の力でポイントを稼げば、世界大会にも出ることができます。誰かに何かを決められることなく、補欠もありません。とっても自由な世界観です。
(とはいえ自由には、厳しさも内包されていますけど)

僕はそんな競技特性に、社会が歩み寄ってきていると思っています。この段落の冒頭で述べたように、社会は個々の価値観を認め、自由な発想を尊重し始めました。
それはもう、ほぼビーチバレーです。
え?

言いたいことわかりますよね?
わかればよろしい🧚‍♀️


と、僕がビーチバレーには時代が追いついてくると思う大きな理由はこんなところです。

今後も自分にできることをやっていきます🧚‍♀️



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