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二丁目「ようちゃんち」とは。最年長とか知らないけど、大切なものだったんですよね。

いや、いやですよ。なんて言うか。大切なことってあるじゃん。大切にしたいものっていうか。

ようちゃんちのようちゃんとは?については、ヒロポンが彼の媒体でアップしてたのでそちらをぜひ。

僕、昔、何度かようちゃんちのドアを叩いたことがあったんだけど、仙人みたいな格好の人(ようちゃん本人ね)に断られた。まじで。え、ガラガラなのに、断るの!?って思って、いつか行ってみたいと思ってたら、三丁目の立ち飲み屋でとなりになった(多分ノンケ不倫)カップルと話してたらようちゃんの友達だって言うし、その流れでようちゃんちに連れて行ってもらったわけ。その時は、知り合いから電話がきたら店を開けるシステムだったみたいで、電話して10分ほどでようちゃん本人が登場。

「あぁ、ほんものだぁ。きゃー」みたいな。

で。話してみるとめっちゃ面白い。二丁目の歴史が全部頭に刻まれてる。そして、僕が言うとめっちゃ軽く聞こえるけど発する言葉の重みがすごい。えぐい。グサグサくる。まじで。スッゲー人がいたもんだぁ。みたいな衝撃。

「人間なんてみんな一緒よ。デビ夫人だったその和式トイレ跨って用たすのよ」

「あーね。みんな一緒だよね。まじで。うん。」ってならないけど、でも、年取ると、「あーね。あんときね、ようちゃん言ってたわ、うん」ってはなる。

て、あんまりならないけど(どっちやねん)、言葉じゃ足りない凄味。その後、何度かお店に足を運び、愚痴を聞いてもらったり、家も近かったので偶然会った時は道端でおしゃべりしたり、細いながらもお付き合いがあったわけです。

はちさんに振られて(ってことはもう7年前くらい?)、なんかモヤモヤしてた時もまっさきにようちゃんに会いにお店にいったんだけど、まぁ、酔ってたんだよね。僕が。

「ようちゃん死んだら、このお店ちょうだい」

って、言っちゃったんだよね。いや、でも、これ本気だった。そしたらようちゃんも酔ってたのか「いいわよ。でも、そしたらようちゃんちじゃなくって、ようちゃんの墓とかに名前変えなさいよ」とか言い出して、そん時は「えー、そんなの寂しいよー、やだよー。名前はけいちゃんちにするよー」なんて言って笑いながらようちゃんも水割り飲んでたけどね。

で、で、です。まさかこんなことになるとは思ってなかった悲しいお知らせ。1月中旬にお亡くなりに。

みんなそれぞれようちゃんとの思い出はあると思うわけですが、僕なりの思い出も心に書き留めたく、note に。

コロナ問題もあって、やっと僕の心も落ち着いたしってことで知り合いの不動産にようちゃんちの今後について調査開始。「これって、僕がようちゃんちを継ぐってことなのかな(勝手に)」って思って意気込んでたら、こんな噂が・・・。

不動産屋の田中のおじちゃんが「あー、あそこね。なんかゲイの活動家が引き継ぐんだってよ」って。

「あぁ、あーね。そうきたか。うん。へぇ。あーね。あーね」って思ったよね。誰が継ぐとか、まぁ、そうか(色々問題ありそうなので本音は自粛)。

看板なくなっちゃうのかなー。デビ夫人が跨いだ便器もなくなんのかなー。とかちょっとおセンチしんみりモードに入っちゃったけど、みんなそれぞれようちゃんと思い出があってそれを大事にして生きていくんだろうな。

だって、個人の思い出は他人に邪魔されてはいけない!はず。

ある時、店の外で酔っ払いが倒れてたんだけど、ようちゃんがお水を渡して「飲んだら帰んなさいよ」って。

で、そん時に話してくれたんだけど、ようちゃんちではビール瓶おかないって決めてるんだって。なんでも、夜店の前に空のビール瓶を置いてたら、それを使って殴り合いの喧嘩がはじまちゃって、大変だったんだとか。それ以来、ビールは缶しか置かないって決めたからって、僕も缶のアサヒいつも飲んでたな。

言葉にすると色々整理されるんだけど、1日でも早く二丁目にいつもの活気が戻りますように。ソーシャルディスタンス合コンとか開いてくれないかな?

と、ここで最新情報を(2023.12.1現在)。
他の人に渡ったはずのようちゃんち。ずーっと閉まったままなので、持ってる方、僕に譲ってください。


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