彼に医療従事者はドライと言われて全否定された気持ちになった
障害を持った彼とのパートナーシップについて書こう、などと考えるとどうしても良いことばかりを書きたくなってしまう。うまく行っている自分たちのことを書いて、どなたかの参考になればいいなぁなどという、おこがましい気持ちになってしまうのだ。
3年後には一緒に暮らそう、そう話し合ってから、その3年後に向けて幸せな日々を書いて行きたい。でも、そうはいかないのが人と人である。
この人とはやっぱり合わないのではないか?と思ってしまう様な出来事も度々訪れてしまう。
何が起こったのか?そう、喧嘩である。いや、喧嘩とは言えないかもしれない。私が黙ってしまったから。今、これ以上何を言っても心は通じないなと思ってそれ以上何も言えなくなってしまった。
これは昨夜の出来事。忘れないうちに書き留めておきたい。
いつもの様に彼は私に「体調大丈夫?あっちの」と聞いてきた。
あっち というのは以前の記事にも書いたが更年期障害のことである。
「うん、大丈夫だよ。」と普通に答えたのだけれど、そこからの流れがまずかった。
いつも彼が私のことを心配してくれていることはすごく嬉しい。でも、自分自身が もうそんな歳になってしまったことがちょっと悲しいというか、いつまでも若くありたいというか、そんな思いを伝えてみた。
「そんなこと思っているんだ。そんなこと気にしていないのかと思っていたよ。医療従事者はもっとドライに当たり前に思っているのかと思っていたから。それに別に歳を取ったって、みかづきちゃんのことは大好きだし、僕のお姫様だからね。」
彼はいつも、大好き、お姫様などという言葉をさらりと言う。
「それはありがとう。」
とここでこの話は終わりにして欲しかった。
ところが…
この後彼は、「医療従事者はドライだ」という話を続けた。
自分の父親が死んだ時の病院の対応について、流れ作業の様に感じたらしい。ヘルパーの○○さんのお父さんがご自宅で亡くなられた時に訪問診療医の対応がとても冷たかったと聞いたらしい。
人の死について医療従事者は日々当たり前のこととしてドライに対応していると。
確かにそう感じさせてしまう側面はあるのかもしれない。
ただ、私自身はそうではない体験をたくさんしてきている。少なくとも今まで働いてきた訪問看護の現場では、最期まで利用者さんに寄り添い、ともに涙する看護師さんたちをたくさん見てきた。
利用者さんが亡くなった後にも対応したスタッフ間で病状の経過を振り返り、自分たちの対応が適切であったかを振り返る。そこにはドライでは片付けられない色々な思いがある。そうして、お悔やみの訪問にも出かける。
私自身も先月、今月と亡くなった利用者さん宅にお悔やみ訪問をさせていただく機会があった。
生前の思い出話でご家族と笑い合ったり、私たちの知らなかった利用者様の一面を教えてくれたりもする。最期の日のことなど話しながら、一緒に涙してしまうこともある。ドライでなんていられないことも多々ある。私は涙もろくて、以前はこんな時必死で涙をこらえていた。
でも以前一緒に働いていた緩和ケア認定看護師の方が教えてくれたことがあった。医療従事者も感情を出して良い、一緒に泣いて良いと。
それからは悲しい時にはご家族と一緒に泣いてもいいと思う様にしている。
そんな話を彼にしたけれど、「それは言い訳に聞こえる。」と言われてしまった。「別にみかづきちゃんがそうだって言っているわけじゃないけどね。」とも言っていた。
医療従事者は人の死に対してドライ
確かに彼が見てきた人たちはそうだったかもしれない。
でも私が見てきた人たちは決してそうではない。だから私はずっと訪問看護ステーションでの仕事を続けている。
私はそんな風には思わないと伝えたことが「言い訳」と言われてしまうとそれ以上何も言えなくなってしまった。
みかづきちゃんがそうだって言っているわけじゃないとは言っていたけれど、私も一緒に思われている気がして悲しくなってしまった。そこは私自身の問題なのかもしれない。
私たちが付き合いを始めて半年ほど経った頃、彼のお父さんが亡くなった。
あの前後から現在に至るまで、お父さんのことを思う彼のことをいつも思ってきたつもりだった。
一年以上が経過したつい最近でも、彼はお父さんが亡くなる直前の無念を話しながら涙することもある。そんな彼のそばで寄り添ってきたつもりだった。
でも、それまでもが否定されてしまった気持ちで苦しくなった。
こうしてここに書くことで、気持ちが整理されてきました。
今は、この話を彼に持ち出しても話が平行線のままの気がするので、また機会を見計らって話をしてみようと思います。
彼がそんな風に医療従事者はドライと思ってしまう気持ちもわからなくはないのです。
彼自身 障害を負ってから20年以上 たくさんの医療従事者の方に出会ってそういう世界をたくさん見てきたのだと思うから。
彼は決して私のことは否定していないというのもわかっています。それなのに私自身が否定されたと感じてしまう そんな私自身の問題にも気づかされました。
今はこの話はそっと蓋をしめておきます。
お読みいただきありがとうございました。