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3.15 こじらせと鶏ニャン蛮定食

アーティスト仲間と久しぶりにランチしに学芸大学へ。別の友達からおすすめしてもらったという定食屋さんは、なかなか独特の店構えで、二人ともビビったけど思い切って入ってみるととても美味しかった。きっと夜は楽しい居酒屋なんだろうな。

“鶏にゃんばん定食”
名前とドラえもんが乗ってるところから
ユニークさをお察しいただきたい

ゆっくり話すのはどうやら2年ぶりだったけど、友人に会う頻度はあまり関係ないと思っていて、濃い会話(対話)ができるひとほど、たまにでもいい。みんなそれぞれの道を併走している仲間という感覚。みんな本当に頑張っていて励まされるし、素直に、自分にもなにかできることがあればいいなと思う。

わたしもその友人も、元来コミュニケーションに緊張するタイプ同士。世の中で、過去に ”黒歴史”とか”こじらせ”的な要素があったひとと、そうでないひと、というのは比較的二分できるように思っているのだけど、わたしは前者のタイプのひとと話しやすい。(=話す時に緊張しにくい)なぜなら私がそうなので。もちろんそうでない人達と話すのもすごく楽しいし憧れるし、逆にいまも暗黒のまっ最中にいる状態だと容易ではない。

いい意味で、”こじらせ”があるひとは、それをきっかけに葛藤したり探求したり、クリエイティブの糧にしてきたり、共感できるし人間臭いいとおしさがあって、私は好きだなと思う。自分のそういう面については、もうめんどくさい!とも思うけれど、まぁいいバランスで楽しく付き合っていきたい。

自分の中に、見られたくない、隠しておきたい部分は誰にでもある。その部分を”影”と呼んだとして、影そのものより、影を恥じている感情のほうに飲みこまれるとき、私は思うように話せなくなったり、自ら壁を作ってしまっていたんだなと、あるとき思った。でも、影の存在が問題ではなくて、自分を恥じているという感情をなるべく減らすことが大事なのだとわかってきた。
その友人も、自分が好きじゃない自分でいる時間をなるべく減らすようにしたら、すごく心地よくなってきた、と話していたのが印象的だった。影があってもその自分がいとおしい、というように統合されたそのひとになったとき、ひとの顔つきはどんどん変わっていくのだなと思った。10年以上前、「自分の中の闇はなくならないけど、自分自身が大きくなっていけば、それは相対的に小さくなっていく」と言われたことがあったのもふと思い出した。

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