見出し画像

#3 夜を飛ぶ彼女と、空気の底でみる夢

目的地はいつも

 飛行機に乗っている時間が好きだ。初めてひとりで国際線に乗ったときのことをよく覚えてる。今でも乗るたびにあの感覚を思い出す。デルタ航空は機内に乗り込んだ瞬間からもう異国だった。様々な言語が聞こえてきて、日本語は自分の内側の声になる。こんなに身体の大きさが違っても同じシートに座るんだなぁ…と思いながら、子どもの時に観た「スターウォーズ」の異星人たちのシーンをなぜか思い出す。

 10時間を越えるフライトでは最初の食事が終わると消灯される。窓の外はただの闇、時間も速度も方向もわからなくなり、ひとり、ぽっかり宇宙のどこかを彷徨っている気分。小さな読書灯の明かりで読む本や友達がくれた手紙が、私に行き先を教えてくれる。それが往路でも復路でも、目的地はいつも、会いたい人達のところなのだ。

画像1

 あるとき、飛行機の中でサン=テグジュペリの「星の王子様」を読んで泣いてしまった。今更になって初めて読んだのだった。好きな本はあれど、思わずそれ自体を抱きしめたくなる本は珍しい。”大切なものは目に見えない”、というメッセージは、私にはこんな意味合いを持たせた。夜空に無数にある星のうち、そのどれかはわからないし、雲に隠れてみえなくなっても、きっとその星はちゃんとそこにあって、あのひとは元気にやってるんだろう。そう思えたら、時折寂しくなっても、いつでも空を見上げることができる。星のない空でさえ。

夜間飛行

 郵便輸送のための飛行機乗りだったというサン=テグジュペリの本がもっと読みたくなり、次に「夜間飛行」を読んだ。郵便飛行の草創期、自分の手元さえ見えない闇のなか、漆黒の海の上を時に暴風雨のなかを命を賭けて飛ぶ、危険と孤独を伴うものだった頃の話。操縦士ファビアンが闇の中を飛び続け、ようやくどこかの街の灯りがみえたときの、このシーンが私の中に強烈に残った。

さて今、こうして夜警のように、夜の真っただ中にいて、彼は、夜がみせている、あの呼びかけ、あの灯(あかり)、あの不安、あれが人間の生活だと知るのだった。ー(中略)ー あの農夫たちは、自分たちのランプは、その貧しいテーブルを照らすだけだと思っている。だが、彼らから80キロメートルも隔たった所で、人は早くもこの灯火の呼びかけを心に感受しているのである。あたかも彼らが無人島をめぐる海の前に立って、それを絶望的に振ってでもいるかのように。
(サン・テグジュペリ「夜間飛行」)

 大事なひとを置いてまで危険を伴う仕事を選んだ操縦士は、穏やかな農夫たちの暮らしと自分自身を隔絶しながらも、安住を選ぶことへの猛烈な羨望を抱えている。すべての人の営みは灯(あかり)。星のように、信号を発して、知らないところで様々な意味を、遠く離れた誰かにもたらしている。私たちの日々も誰かにとっての灯火なのかもしれない。

画像2

あなたが眠ってるベッドサイドランプの灯をたよりに 

スターウォーズの影響なのか、頭のなかでは郵便輸送飛行機でもデルタ便でもなく宇宙船まで妄想は膨らんで「Night Flight」という曲になった。レコーディングのためにLAヘ向かう飛行機のなかで、いろんなひとの気持ちがありがたくてまたもや泣いてたときの気持ちも混じってる。

 アルバム「シネマティック」のために、この曲と、書きかけの新曲のプロデュースをCRCK/LCKSの小西遼くんにお願いした。2012年に作った1枚目のEPから長年お世話になっていて、今作のキーパーソンでもあるエンジニア/Co-Producerの森田セイジさんが、凄い才能だよ、と紹介してくださった。その言葉通りの才能と、創ることへの強い追求、圧に負けず、内側から世界へと切り開いていく力、とても刺激をもらった。今の日本の音楽シーンは、素晴らしい人が本当にたくさんいると思う。やや脱線したけれど、小西くんとはサウンドだけでなく歌詞についてもお互いにいろんな話をして、アイディアを出し合ってくれたのも凄く有り難かった。彼のトラックから、描きたいイメージや温度は浮かんでいたものの、なかなか歌詞が書けず苦しんでいたら、「Night Flight」は空を飛んでいる子だから、こっちは地上にいてそれを眺めてる子を主人公にしてみたら?と言ってくれた。全然違う曲でも、アルバムのなかで歌詞のどこかがリンクしているのって面白いよね。このアドバイスで、曲と曲が星座のようにつながるアルバムの全体像がみえた気がした。

セミダブルのHeaven 

 飛び回ってるね、と言われることもあるけど、泳ぎ続けないと死ぬようなタイプではまったくなくて、どこまでも横たわっていられるほうだ。両極端だなと思う。好きなひとと昼間から一日映画でもみて転がっていられたらそこが楽園のように思える。カーテンも開けず陽の光を浪費する。あらゆる「今」の情報は遮断する。いつか行きたい場所を夢想する。ただ共にいる。この瞬間がすべて。穏やかな時間にみえるのに危うい気持ちになるのは何故なんだろう。一見なんでもないありふれた瞬間ほど手に入り難く、永遠ではない。夜空を飛ぶような冒険を選ばない人生が、決して弱さや不幸せということではないと操縦士ファビアンも本当はよくわかっているんだろう。浮かんだのは手塚治虫の短編集「空気の底」の最後に収録されている「ふたりは空気の底に」。核ミサイルで地球のすべてが滅んだ世界で、何も知らず宇宙旅行用のユニットカプセルのなかで奇跡的に生き延びた男女の赤ん坊。お互いさえいればいい。それで満たされていたのに、それでも、外に出てしまった二人。「星にならないで」という曲になった。

余談。「シネマティック」のジャケット撮影は夜の街。実は家の屋上です。








記事が気に入ったら、サポートしてもらえたら嬉しいです。いただいたサポートは次の作品のために使わせていただきます。読んだコメントなども嬉しいです。