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【訳者特別寄稿】『わたしは、不法移民――ヒスパニックのアメリカ』で知る1100万のインビジブルなアメリカ人(池田年穂)

当社6月新刊『わたしは、不法移民』は、自らも不法移民であった著者が、不当な労働によって搾取され、虐げられ、精神を病むヒスパニック系不法移民の実情を克明に描いたノンフィクション作品です。

今回は、訳者の池田年穂氏より、原著者であるカーラ・コルネホ・ヴィラヴィセンシオ氏(本書が著書初邦訳)のプロフィールと本書の特徴について、補足の文章をいただきましたので、以下に公開いたします。ぜひご覧いただければ幸いです。

***

 カーラ・コルネホ・ヴィラヴィセンシオ(Karla Cornejo Villavicencio)の作品がわが国で紹介されるのはこれが初めてです。というより、原著はカーラの発表した唯一の作品です。

 2020年に刊行されるや否や話題を集め、バラク・オバマの推薦図書にもなりました。ちなみに、拙訳のあるタナハシ・コーツの『世界と僕のあいだに』の原著 Ta-nehisi Coates, "Between the World and Me"(全米図書賞受賞作)もオバマの推薦図書でした。


 刊行後は、全米図書賞、全米批評家協会賞、LAタイムズ・ブックプライズなどの重要な賞のショートリストに次々と入り、ベストセラーとなりました。

 カーラをよく知る人間によると、彼女はシャイな人間だそうです。そのためか個人的なデータの提供にはあまり協力的ではありませんでした。

 ただ、不法移民だった彼女の法的地位にはこちらもこだわります。カーラへの問い合わせの結果④を確認できて、彼女が①不法移民→②DACA取得者→③グリーンカード保有者→④アメリカ市民、と順調に法的地位を上昇させてきたことが分かりました。

 カーラのプロフィールは本書の〈著者紹介〉では下のようになっています。

1989年エクアドルで生まれる。4歳でアメリカに渡る。両親とともに不法移民として暮らす。10代から、音楽関係をはじめとして、新聞・雑誌に寄稿する。2011年ハーヴァード大学卒業。イェール大学大学院でアメリカンスタディーズを研究。ABD(博士号取得に必要な研究論文以外完了)。オバマ政権下でDACA取得者となる。現在はアメリカ市民権を取得済み。
2010年に『デイリー・ビースト』に匿名で発表した「わたしはハーヴァード大学在学中の不法移民」が注目を集めた。2016年のトランプの大統領選出の翌日に執筆を決断した本書(自身は「クリエイティヴ・ノンフィクション」と位置づけている)は2020年の全米図書賞ノンフィクション部門のショートリストに入り、ベストセラーとなる。

 これに付け加えるとしたら、上述のように原著が全米批評家協会賞などのファイナリストにもなったこと。また、同性のパートナーと愛犬とともにニュー・へーヴンに住んでいることでしょうか。
 本書では「訳者解説」を9頁にわたって載せました(本書の221頁から229頁)。主としてそれからの引用を交えながら、記してゆこうと思います。
 
 ヒスパニックの記事はわが国のメディアにもしばしば登場します。
 

アメリカとメキシコの国境は3141キロメートル。先進国とそうでない国とのあいだの国境でこれだけ長いものは他にありません。この国境をめぐるさまざまな問題は日本の読者にもなじみの深いものでしょう。例えば大統領選挙の国内問題の争点を考えてみましょう。人種問題、妊娠中絶、銃規制や法と秩序、LGBTQ、経済対策などと並んで「ヒスパニック移民対策」は常に選挙の行方を左右するものでした。大統領が代わる度に、あるいは州の知事がレッドかブルーかでも、移民対策は変わります。メキシコ領内を通って国境に押し寄せる中南米諸国からの人間たち、抑留キャンプで親と離れ離れにされる子どもたち、トランプのヒスパニック移民への野卑な攻撃や「タイトル42」……いろいろな記事が、いろいろな映像が、新聞記事やテレビには現れます。

(「訳者解説」より)

 ただ、訳者がこの本をまことにユニークだと思うのは、アメリカ=メキシコ国境に焦点をあてているわけではないことです。
 

本書の二つの地図は、著者の許諾を得て池田が挿入しました。まず、注目すべきは、国境をはさんだアメリカ側の4州がカーラの訪問先に一つも含まれていないことです。それどころか、章タイトルにあたる6つの地名(グラウンド・ゼロも地名と数えましょう)は、どれもが東部標準時間帯に収まっているのです。

(「訳者解説」より)


 “不法移民1世”という言葉が適当かどうか分かりませんが、本書は全米に散らばる1100万人もの「不法」移民(Undocumentedの訳としては候補を他にも考えましたが、結局わかりやすいこれにしました。本書の「凡例」4をご覧下さい)の実態を描こうとしているのです。そこに見られるのは社会の底辺で必要とされる労働と苛酷な搾取、社会的な疎外なのです。また、「法的地位」と「英語の力」が(不法)移民社会のヒエラルキーを形作ります。

だから、ここには「ドリーマーたち」の話はいっさい出てこない。……わたしが伝えたいのは、日雇い労働者や掃除婦、建設作業員、犬の散歩係や配達人として働く人たちの物語だ。……わたしは、仕事を脇に置けば誰にだって強い個性があるという前提で彼らについて知りたかった。……〔本書は〕アンダーグラウンドの人びとについて何か読みたいと思う読者のための本であり、出てくるのは、ヒーローとは無縁の、行き当たりばったりに選んだ、さまざまな個性の持ち主だ。

(本文14頁)(ちなみに「ドリーマー」については本文15頁の側註をご覧下さい。)
 

 本書の構成を形容するのに、「訳者解説」では下のように記しました。
 

本書の経糸たていとは、カーラの成長(彼女は学歴を信奉するソシアルクライマーでもありました)と心のうちの光景でしょう。1歳で両親にエクアドルに借金のかたとして置いてゆかれ、4歳でファミリー・レユニオンを果たします。両親へのアンビヴァレントな感情、英語を解さぬ両親のインタープリターとしての務め。老いてゆく両親を扶養せねばという義務感、そしてファザコン。
〈中略〉
本書の緯糸よこいとはルポルタージュです。 

 カーラのビルドゥングスロマンとしても読ませる作品となっている本書ですが、コールドウエルやスタインベックを思わせるルポルタージュもきわめて興味深いものです。

 ここで例として「第4章 フリント」を取りあげてみましょう。
 

この市はGMの撤退の後の公共サービスの低下、とりわけ「水汚染」と深刻な長期的健康被害が世界中を賑わすニュースとなりました。この地の出身者のマイケル・ムーアの『華氏119』(2018年)をご覧になった方も多いかと思います。

(「訳者解説」より)

 訳者はムーアのドキュメンタリーに登場する大統領オバマが、住民の不安を和らげようと上水道の水を飲んでみせるパーフォーマンスで口を湿らすに留めたのを見て、オバマはエリートだなあと感じ入ったものですが。

 例えば、カーラのこうした反応が訳者には興味深いものでした。

 undocumented Americans, illegal immigrants のPC的表現は “undocumented workers” でしょうが、それに対してカーラはこう述べます。

わたしたちを聞こえのよいものにするために、男も女も子どももインスタグラムで地元じゃ有名なティーンもクィアの操り人形師もすべて一緒くたに労働者(ワーカーズ)と呼ぶなんて、まったく勘弁してほしい。わたしたちは労働するためにつくられた褐色の肉体で、顔にはモザイクがかかっているとでもいうの。

(本文28頁)

 黒人のタナハシ・コーツの作品にも通底しているのは、まさにここです。自分たちの肉体は、脅され、暴力を振るわれ、犯され、殺害されるものとしての肉体であり、労働すること、搾取されることによってのみ存在を許される肉体であるという認識。そして、カテゴリーだけがあり、ひとりひとりの個性は無視されてしまうという諦念といかりです。
 
 近所の本屋さんで〈入管〉というコーナーに本書が並んでいるのを発見しました。

 本書はアメリカの大統領選挙を来年に控えてさまざま知識や情報を与えてくれますが、同時にわが国のガストアルバイター、移民や難民の受け入れの問題を考えるうえでも示唆的な書と言えるでしょう。

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【目次】
はじめに
第1章 スタテンアイランド
第2章 グラウンド・ゼロ
第3章 マイアミ
第4章 フリント
第5章 クリーヴランド
第6章 ニューヘイヴン
謝 辞
訳者解説
原 註

【著者略歴】
(著者)
カーラ・コルネホ・ヴィラヴィセンシオ(Karla Cornejo Villavicencio)
1989年エクアドルで生まれる。4歳でアメリカに渡る。両親とともに不法移民として暮らす。10代から、音楽記事をはじめとして、新聞・雑誌に寄稿する。2011年ハーヴァード大学卒業。イェール大学大学院でアメリカンスタディーズを研究。ABD(博士号取得に必要な研究論文以外完了)。オバマ政権下でDACA取得者となる。現在はアメリカ市民権を取得済み。2010年に『デイリー・ビースト』に匿名で発表した「わたしはハーヴァード大学在学中の不法移民」が注目を集めた。2016年のトランプの大統領選出の翌日に執筆を決断した本書(自身は「クリエイティヴ・ノンフィクション」と位置づけている)は2020年の全米図書賞ノンフィクション部門のショートリストに入り、ベストセラーとなる。

(訳者)
池田年穂(いけだ としほ)
1950年横浜市生まれ。慶應義塾大学名誉教授。タナハシ・コーツやティモシー・スナイダーの作品のわが国における紹介者として知られる。移民問題や人種主義に関心が深く、訳書も数多い。タナハシ・コーツ『世界と僕のあいだに』(黒人)、アダム・シュレイガー『日系人を救った政治家ラルフ・カー』(日系移民)、ユエン・フォンウーン『生寡婦』(中国系移民)などテーマも多岐にわたる。また、2022年のマーシ・ショア『ウクライナの夜』のように、ウクライナ問題は2014年のティモシー・スナイダー『赤い大公』から継続して追求しているテーマである。

↓ 書籍の詳細はこちらから

↓ 本記事でも言及された『世界と僕のあいだに』などに関する訳者による寄稿もあります。

↓『世界と僕のあいだに』の一部が立ち読みできます。

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