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『日韓ポピュラー音楽史』をもっと楽しむためのプレイリスト80〜90年代に日本に上陸した韓国音楽編💿🎧♬

前回に引き続き、今回は、金成玟先生選曲「80〜90年代に日本に上陸した韓国音楽編」をご紹介します♪

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プレイリスト:韓国演歌とK-POPのあいだ――日本に渡った「韓国ポップ」11曲
参考文献:『日韓ポピュラー音楽史――歌謡曲からK-POPの時代まで』(金成玟著、慶應義塾大学出版会)
金成玟(キム・ソンミン):北海道大学大学院メディア・コミュニケーション研究院教授

 日本で「K-POP」という言葉が生まれ、広く使われるようになったのは20年前、J-POPが韓国で正式開放された頃のことである。BoAがオリコンチャートの1位を獲得した2002年から、冬ソナ・ブーム(2003〜2004年)を経て、東方神起が日本デビューを果たした2005年までのあいだ、K-POPは、音楽的にも社会的にも、新しい現象・カテゴリーとして定着した。
 ここであえて光を当ててみたいのは、K-POPが「誕生」する前の約20年間だ。そもそも韓国の音楽に無関心だった戦後の日本において、韓国の音楽が初めて「ヒット」したのは、1976年に発売された李成愛(イ・ソンエ)のアルバム『熱唱/李成愛──演歌の源流を探る』(東芝EMI)だった。その後、日本の「演歌」と類似性をもつ「トロット」というジャンルの歌が、「韓国演歌」と呼ばれながら受容されつづける。
 韓国音楽に対する日本の認識とまなざしが変わりはじめたのは、韓国社会の国際化・民主化・都市化が急速に進んだ80年代後半。この時期から90年代を通して巻き起こった韓国の政治的・経済的・社会的再構造化は、音楽においては、旧来の「韓国歌謡」から「韓国ポップ」への転換として表れた。その変化は、「韓国演歌」に慣れていた日本においても、現代の韓国、つまり新たな他者との出会いを意味した。
 「韓国演歌とK-POPのあいだ」ともいえるこの時期は、音楽的・社会的インパクトからすれば、日本における韓国音楽の空白期にみえるかもしれない。しかし、「韓国演歌」というカテゴリー、つまり戦後韓国にたいする強固な認識とまなざしに亀裂を与えつづけたこの時期の歌は、後に「K-POP」が誕生する過程においてもきわめて大きな意味をもつ。新たな生産・消費主体と世界音楽のトレンド、メディア環境が絡んだ日韓の新たな相互作用と融合が、「日韓ポピュラー音楽史」の構造を大きく変えていったからだ。
 今回のプレイリストでは、『日韓ポピュラー音楽史』で詳しく紹介しているミュージシャンを中心に、「韓国演歌」と「K-POP」のあいだを繋いだ「韓国ポップ」を並べてみた。

1980年代

DISC 1 チョー・ヨンピル「ソウル・ソウル・ソウル」

 ソウル・オリンピックが開かれた1988年、韓国語、日本語、英語バージョンで発表された曲。チョー・ヨンピル(조용필)は、当時としては歴代最大のスーパースターであり、NHK紅白歌合戦の四年連続出場を果たすなど、日本でもっとも成功した韓国人ミュージシャンだった。しかし当時日本の音楽市場やメディアで受容していたのは、「釜山港へ帰れ」からはじまる彼の「韓国演歌」だった。しかし、そのイメージから少し距離を置き、ロッカー・ポップスターとしてのチョー・ヨンピルの歌に耳を傾けると、80年代韓国音楽シーンの大きな流れがみえてくる。(『日韓ポピュラー音楽史』第3章)

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DISC 2 パティ・キム「離別(이별)

 1989年の「NHK紅白歌合戦」に出場したパティ・キム(패티김)が歌った曲。この曲が発表されたのは1973年なので、厳密にいえば、この歌は80年代後半の韓国ポップではない。しかし、すでに60年代に韓国のポップスを代表するディーバとして日本デビューを果たしながらも、「韓国演歌」のカテゴリーを越えられなかった彼女の歌がこの時期にリバイバルする過程は興味深い。この曲を作詞・作曲した吉屋潤(よしや・じゅん/キル・オギュン)との物語に注目すると、韓国コンテンポラリー・ポップの形成過程がみえてくる。(『日韓ポピュラー音楽史』第3章)

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DISC 3 ソバンチャ「オジェパム・イヤギ〜ゆうべの話(어젯밤이야기)」

 1987年にデビューし、韓国初のアイドルグループとして大きな成功を収めた男性3人組グループソバンチャ(소방차)の代表曲。日本のアイドルグループ「少年隊」をモデルにしたその音楽とパフォーマンスは、マイケル・ジャクソンやマドンナの影響を受けたアメリカ型のアイドルとともに、十代中心の音楽市場の形成を主導した。デビューアルバムに収録され、大ヒットを記録したこの曲は、日本では1996年にダウンタウンがカバーした「オジャパメン」でも知られている。(『日韓ポピュラー音楽史』第4章)

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1990年代

DISC 4 ヤン・スギョン「愛されてセレナーデ」

 1990年の第32回日本レコード大賞最優秀歌謡曲新人賞と第23回日本有線大賞新人賞を受賞した曲。デビューと同時に韓国の「10大歌手賞」を受賞したヤン・スギョン(양수경)は、フジテレビ系ドラマ『過ぎし日のセレナーデ』の主題曲でもあったこの歌のヒットで、日韓でほぼリアルタイムの同時成功を収めた歌手となった。歌謡曲風のバラードを歌った彼女が「韓国のトップ・アイドル」として日本で紹介されたことにも注目したい。(『日韓ポピュラー音楽史』第4章)

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DISC 5 カン・スジ(スージー・カン) 「時の香り(시간 속의 향기)」

 1994年にフジテレビ「アジアNビート」で紹介された曲。1990年に韓国でデビューしたカン・スジ(강수지)は、自分で作詞した歌詞で歌い、洗練されたニューミュージックで人気を集めた黎明期の女性アイドル。日本では、第20回東京音楽祭(1992年)にヒット曲「ちぎれた日々(흩어진 나날들)」で出場し、1995年、「愛だけじゃたりない」で正式デビューを果たしている。彼女が韓国で発表した歌と、日本でローカル化された歌には興味深い違いがある。(『日韓ポピュラー音楽史』第4章)

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DISC 6 ソテジワアイドゥル「何如歌(하여가)」

 1992年に韓国でデビューし、数々の社会現象を起こしながら音楽産業の構造を根本的に変えた3人組グループの「ソテジワアイドゥル」。「何如歌」は彼らのセカンド・アルバムのタイトル曲。「韓国語ラップ」を全面に出したソテジワアイドゥルの音楽は日本にも紹介され、市場での大きな反響こそなかったものの、それまで韓国音楽をまったく知らなかった日本の若者たちを惹きつけ、新たな韓国ポップリスナーの形成を導いた。「ブラックミュージック」が日本では主流ではなかったことを考えれば、彼らの音楽は、J-POPとK-POPのひとつの分かれ道を示していたともいえよう。(『日韓ポピュラー音楽史』第4章)

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 YouTube(動画タイトル:서태지와 아이들(Seotaiji and Boys) - 하여가(Anyhow Song) M/V)

DISC 7 パク・ジョンウン「今日のような夜なら(오늘 같은 밤이면)」

 アメリカ帰りのシンガーソングライター、パク・ジョンウン(박정운)のR&Bバラード曲。1992年に韓国デビューしたと同時にこの曲をヒットさせた彼は、1994年、日韓合作のかたちで日本デビューを果たした。日本の音楽評論家たちの支持も厚く、日韓における彼の活動には、「韓国ポップ」に対する新たなまなざしが表れている。

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DISC 8 S.O.S「きっと抱きしめて」

 1993年に韓国でデビューした4人組ガールグループ「S.O.S.」。「きっと抱きしめて」は彼女たちのデビュー曲の日本語バージョン。「K-POPアイドル第一世代」が生まれる前のその「アイドルらしさ」は、アイドルをめぐる日韓の類似性と差異を顕著に表していた。(『日韓ポピュラー音楽史』第4章)

DISC 9 リーチェ(イ・サンウン)「オギヨディオラ」

 日本の映画『がんばっていきまっしょい』に主題歌に起用されたリーチェ(Lee-tzche)ことイ・サンウン(이상은)の曲。1988年に韓国でデビューし、アイドル歌手として大成功を収めた彼女は、インディーミュージシャンとして活動の幅を広げた。その後、日本のミュージシャンたちと制作したアルバム『Gongmudohaga(公無渡河歌)』(1995年)で、確固たる地位を確立した。日本でも活動を続けた彼女の音楽は、韓国ポップの幅を広げるものでもあった。(『日韓ポピュラー音楽史』第4章)

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DISC 10 李博士(イ・パクサ)「Monkey Magic」

 バスの中で歌を歌うガイド出身の李博士は、独自の「ポンチャック・ディスコ・メドレー」を作り出した。この曲はゴダイゴの「Monkey Magic」のカバー。1996年に日本で「李博士現象」を巻き起こした後、2000年代初頭の韓国のインターネット空間でさらなるメディア現象を起こしていった。ジャンル的には「トロット」に基づいていながらも、「韓国演歌」にも、「韓国ポップ」にも属さないその独特なサウンドは、「テクノ・ポンチャック」と呼ばれ、若い世代に支持された。電気グルーヴのコンサートで共演したのはその一例である。既存の歌を自由にアレンジする彼の音楽的特徴は、明和電機とユニット(アリラン明電)を組んで歌った「オレは宇宙のファンタジー」にもよく表れている。(『日韓ポピュラー音楽史』第5章)

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KBS全州のYouTubeチャンネル 「Monkey Magic」を披露する李博士(動画タイトル:이박사의 대표 명곡, 몽키매직(2001) | 백투더뮤직 싱어롱 | KBS전주)

DISC 11  S.E.S「めぐりあう世界」

 日本でも広く知られている韓国の大手音楽事務所、SMエンタテインメントによる3人組ガールグループS.E.Sの日本デビュー曲。この曲はオリコンチャート37位にランクインした。しかしS.E.Sが、男性アイドルグループH.O.T.とともに「K-POPアイドル第一世代」として中国語圏の韓流ブームを牽引していたことを考えれば、彼女たちの日本での成績は「SM」にとっては「失敗」に等しい結果だったという。実際、この失敗を機に日韓合作のあり方を再検討した「SM」は、当時日本で大きな影響力を誇っていたエイベックスとの協業システムを構築する。その成果が、BoAであった。(『日韓ポピュラー音楽史』第6章)
 
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 Youtube (動画タイトル:S.E.S. - めぐりあう世界 [OFFICIAL MUSIC VIDEO])

前回の「韓国で愛されてきたJ-POP編」はこちらから↓

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