『日韓ポピュラー音楽史』をもっと楽しむためのプレイリスト(韓国で愛されてきたJ-POP編)💿🎧♬
2024年5月25日に、ラジオ番組J-WAVE「TOKYO M.A.A.D SPIN」(PART2)のなかで、金成玟先生選曲の音楽(MAAD MIX)が放送されました。以前、同番組の「今月の課題図書のコーナー」で『日韓ポピュラー音楽史――歌謡曲からK-POPの時代まで』をご紹介していただきました。
放送されたプレイリストについての金成玟先生の解説をこちらに公開いたします!
番組の詳細は以下のとおりです。
radiko(ラジコ)で6月1日(土)まで視聴可能です!
プレイリスト 韓国で愛されてきたJ-POP
1980年代後半〜2000年代前半
2024年は、日本のポピュラー音楽が韓国で正式開放されてからちょうど20年にあたる年である。2010年代後半のシティポップ・ブームで火がついたJ-POPブームは、2023年から、IMASE、YOASOBI、羊文学など、J-POPアーティストのチャート入りと来韓コンサートでさらに加速している。ならば、昨今のブームの前には、日本の音楽のブームはなかったのか。日韓の現代史のなかで、日本の歌は韓国でどのように聴かれてきたのか。
1965年の日韓国交正常化後の「日韓ポピュラー音楽史」をたどると、韓国でJ-POPがもっとも聴かれ、大きな音楽的な影響を及ぼしていたのは、(皮肉にも)開放前の20年間だった。今回のプレイリストでは、『日韓ポピュラー音楽史――歌謡曲からK-POPの時代まで』(慶應義塾大学出版会)の内容に沿って、禁止されていたにもかかわらず、日本の音楽がもっとも愛されていた時代の歌を紹介する。
1980年代後半
①アイドル・ブーム
DISC 1 近藤真彦「ギンギラギンにさりげなく」
ウォークマン登場(1979年)後、韓国の若者たちが海賊版のカセットテープで聴いていたのは、日本のアイドルの歌だった。近藤真彦、松田聖子、工藤静香など、「黄金時代」とも言われていた日本のアイドルの歌とファッションは、アメリカのポップスターとともに、時代のトレンドを表す重要な参考対象でもあった。また、少年隊、少女隊、光GENJIなどのアイドル・グループは、ブラックミュージックを受け入れる前の、初期の韓国アイドル・グループのモデルとなった。
②サウンドと感性の受容
DISC 2 安全地帯「悲しみにさよなら」
音楽ファンだけではなく、韓国ミュージシャンのサウンド作りや演奏、アレンジなどに大きな影響を及ぼしたのは、安全地帯、サザンオールスターズ、TUBEなどのバンドだった。そのなかでも、安全地帯の歌は、いまも多くのミュージシャンが振り返るほど、音楽と感受性両方に重要なモデルとなった。
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DISC 3 桑田佳祐「Just a man in love 悲しい気持ち」
サザンオールスターズとソロとしての桑田の歌も、韓国の音楽ファンとミュージシャンに愛されていた。「Just a man in love 悲しい気持ち」は、その海賊版テープがほぼリアルタイムで売られ、後には剽窃の対象にもなった。
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1990年代
①新世代による社会現象
DISC 4 X JAPAN「Endless Rain」
民主化を経て、グローバル化を経験した初めての世代でもあったいわゆる「X世代」がもっとも好んだ日本のミュージシャンは、X JAPANであった。その人気は、1994年頃から社会現象と化した。ギターリストHIDEヒデが急逝したとき、オンラインのファンコミュニティなどでは、彼の死を悼む動きが広がっていた。
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②日韓出会いのはじまり
DISC 5 T SQUARE「Sunnyside Cruise」
日本語歌詞による歌唱付き音楽の輸入が禁じられていた1990年代の韓国で、正式なルートを通じて人気を集めていたのはインストゥルメンタルだった。その中でも、いわゆるT-SQUAREとカシオペアの音楽は、韓国の「フュージョン・ジャズ」ブームの一翼を担った。実際、1994年にはT-SQUAREが「韓国政府の認可を得た初の日本ミュージシャンによるコンサート」を、1996年にはカシオペアが来韓公演を行なっている。T SQUAREの「Sunnyside Cruise」は韓国のファンがもっとも好きな曲でもある。
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③コンテンツの力
DISC 6 ZARD「My Friend」
90年代は、社会現象化したマンガ『SLAM DUNK』をはじめ、日本の数々のアニメやトレンディドラマが若者の間で広く受容された時期でもある。『SLAM DUNK』の主題歌だった「My Friend」をはじめ、多くのアニメやドラマの主題歌となったZARDの歌も若者たちに愛された。
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2000年代前半
①J-POP解禁
DISC 7 安室奈美恵「NEVER END」
2004年の「J-POP解禁」後、初の来韓コンサートを行ったのは安室奈美恵だった。安室は、「NEVER END」を韓国語で歌っている。当時エイベックスと提携を結んでいたSMエンタテインメントが、「J‐POP解禁」後の初のJ‐POPアルバムとして選択したのは、安室のシングル・ベストアルバム『LOVE ENHANCED』だった。
②渋谷系ブーム
DISC 8 Paris Match「Stay with me」
2004年の「J-POP解禁」以降、もっとも「J的な」サウンドとして受容されたのは、「渋谷系」であった。もちろんそれは、「2000年代半ば」の文脈とトレンドに合わせた受容だったため、1990年代の日本における「渋谷系」とは一致しない、韓国の文脈で解釈された音楽であった。その中でもっとも人気を集めたのは、Paris Matchだった。もっともクールなトレンドを表現するミュージシャンとして韓国で愛されたParis Matchは、2024年にも来韓公演が行われ、20年経った今も人気が続いている。
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DISC 9 Harvard「Clean&Dirty」
Harvardも、日本とは異なる韓国の渋谷系の系譜のなかで目立つ存在であった。Facebookよりも先に生まれ流行っていた韓国のソーシャルメディアを通じて、彼らの歌は広く愛された。
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③カバーブーム
DISC 10 尾崎豊「I love you」
1998年から韓国で日本の音楽が段階的に開放されていくなかで、日本の歌をカバーする動きも活発になった。2000年にPositionがカバーし、その動きに火を付けた尾崎豊の「I love you」以外にも、サザンオールスターズ、平井堅、安全地帯、X JAPANなどの歌がリメイクされた。
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DISC 11 中島美嘉「雪の華」
J-POP解禁後、売上の面でもっとも大きな成果をあげたのは、中島美嘉のアルバム『LØVE』だった。パク・ヒョシンがカバーした「雪の華」が大きな成功を収めたのもあり、その後、中島美嘉はJ-POPを代表するミュージシャンとして愛されている。「雪の華」を主題歌に使った韓国ドラマ『ごめん、愛してる』が当時日本でも人気を集めていたことを考えれば、この時期からJ-POPとK-POPの新たな関係性が生まれたといえる。いまのJ-POPブームを、その連続性のうえで眺めると、日韓のポピュラー音楽史の興味深い変容がみえる。
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以上、金成玟先生厳選のプレイリストはいかがだったでしょうか? 韓国で愛されたJ-POP名曲の変遷は、日韓関係の異なる側面を教えてくれますね。
次回は「日本編」を予定しています。乞うご期待♫
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