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【試し読み】『『ドライブ・マイ・カー』論』

アカデミー賞国際長編映画賞、カンヌ国際映画祭脚本賞、全米批評家協会賞4冠などに輝いた濱口竜介監督の『ドライブ・マイ・カー』。この映画がなぜこれほどまでに世界を席巻したのか? 日本人でもあまりピンと来ていない部分もあるかと思います。
弊社4月新刊『『ドライブ・マイ・カー』論』では、そのタイトルの通り、アメリカ、日本、香港、台湾、韓国の研究者が本作について徹底分析を行い、その魅力にせまります。また、濱口監督ご自身による各論考へのインタビューも収録します。

今回は、編者の佐藤元状氏が、本書を制作するまでに至る経緯を紹介した「はじめに」から一部抜粋してご紹介します。ぜひご覧ください!

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 2021年は、今振り返ってみると、とても苦しい1年間であった。コロナ禍も2年目に入り、みんなくたびれていた。出口のようなものも見えず、暗いニュースばかりだった。私の生活も荒んでいた。新年早々に体調を崩し、この年の前半に3度も入院した。6月には、敬愛する友人の原宏之さんを失った。心身ともにつらい日々が続いた。

 だから濱口竜介監督の『ドライブ・マイ・カー』の国際的な大躍進は、私にとって希望の光だった。同年7月のカンヌ国際映画祭での脚本賞、国際映画批評家連盟賞、AFCAE賞、エキュメニカル審査賞の受賞は、我が事のように嬉しかった。その後も濱口監督の破竹の勢いは止まるところを知らず、翌年3月の米国のアカデミー賞では、国際長編映画賞の受賞という快挙を成し遂げた。

 『ドライブ・マイ・カー』の日本での劇場公開は、2021年8月20日だった。私はこの日を待ち侘びるとともに、実際に劇場に足を運ぶことをひどく恐れた。原作の村上春樹の短編小説は何度も読んでいたので、物語のプロットは想像がついた。それは間違いなく「喪失」を主題とした物語になるに違いない、と推測した。だが、私が恐れていたのは、村上の喪失のプロットではなく、私たちの心に研ぎたてのナイフのように鋭く切り込んでくる濱口の演出術であった。もちろんこの映画を観たかった。でも自信がなかった。私は傷ついていたからだ。

 私は悶々とした日々を過ごした。劇場公開から2か月以上が過ぎた。そして私はとうとう重い腰を上げた。11月1日に日比谷のTOHOシネマズ シャンテに出かけ、待ちに待った映画作品と対面を果たしたのである。予想通り、ナイフは鋭かった。何度も私の身体に当たり、皮膚を切り裂いた。だが、そこから溢れ出したのは、血だけではなかったのである。濱口監督の映画は、コロナ禍の2年間弱の間に知らず知らずのうちに溜まっていた膿のようなものを切開して、放出してくれたのである。

 遅ればせながら、私はこの映画について仲間たちと語り合いたくなった。しかも本気で。

 かくして2022年6月18日に慶應義塾大学日吉キャンパスで、“Drive My Car”: A Symposium on Hamaguchi’s Cross-Media Vehicleと題する国際シンポジウムを開催することになった。対面の参加者にオンラインの参加者を加えると、200名以上の来客に恵まれた大規模なイベントとなった。濱口監督からは、オープニングのメッセージを頂戴した。本イベントの開催を祝福していただくと同時に、作品に対するどのような批判も歓迎するという寛大なお言葉をいただき、私たちは安心して、作品について丸一日かけて、正直に、誠実に議論し合った。本書はこのシンポジウムの内容を日本語にまとめ直したものである。

 本シンポジウムは、D・A・ミラー、斉藤綾子のダブル基調講演に加えて、メアリー・ウォン、ロバート・チェン、ファン・ギュンミン、藤城孝輔、伊藤弘了、冨塚亮平、佐藤元状の7名の研究発表から成り立っており、アメリカ、日本、香港、台湾、韓国と、国境を超えた多言語的、多文化的なキャスティングを意識した布陣になっている。私たちがこのような戦略を立てたのは、ひとえに『ドライブ・マイ・カー』の多言語的、多文化的な世界観に真摯に応答するためである。国籍や地域、ジェンダーや年代など、多様性を意識したキャスティングを心がけたつもりである。

 発表言語は、英語に絞った。発表者の使用言語を考慮に入れると、それが一番妥当に思われたからだ。しかし、私たちはこのシンポジウムの内容を日本語でまとめ直し、書籍化することを最初から目論んでいた。いや、正確には、最初に私たちのローカル言語である日本語版を作成し、その成果を世に問うたうえで、中国語版、韓国語版、そして英語版を生み出していきたい、と構想してきたのである。

 英語というグローバルな言語での流通を最終的な目標とするのではなく、この支配的な言語を、あくまでアジアのローカルな言語での分散の踏み石として使っていきたい、と私たちは本気で考えているのだ。

 シンポジウムの題名に含まれている「メディア横断的な表現媒体」(Cross-Media Vehicle)という言葉には、言語横断的な国際交流を推進していきたいという私たちの思いが込められている。

 本書をまずはこの困難な時代をともに生き延びてきた(あるいは残念にもそうできなかった)日本語のすべての読者に捧げたい。

(続きは本書にて)

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