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【寄稿】ウクライナ侵略で注目される「情報戦」とインテリジェンス

2021年6月に刊行された『なぜ、インテリジェンスは必要なのか』。安全保障政策を判断するうえでは我々にも必須となる「インテリジェンス」について、「インテリジェンスとはそもそも何なのか?」という出発点から、国家のインテリジェンス機能に関する理解を少しでも深めてもらうことを目的として執筆された教養書です。

今回、ロシアによるウクライナ侵攻を受け、著者の小林良樹氏に「ウクライナ侵略で注目される「情報戦」とインテリジェンス」と題し、情報戦とインテリジェンスの関連性をまとめていただきました。

飛び交う情報の「虚実混交」を見極めるにはどうすればいいのか。いまを読み解くヒントとして、ぜひご一読ください。

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ウクライナ侵略で注目される「情報戦」とインテリジェンス

小林良樹

2022年2月に始まったロシアによるウクライナへの侵略等を契機として、いわゆる「情報戦」が注目を集めています。例えば、本件に関しては、戦況や政治情勢等に関してSNSで広く偽情報や意図的に歪曲された情報(以下、偽情報等)が流布されているとみられます。また、米国は、ロシアの侵略を抑止することを目的として、ロシア側の能力や意図に関するインテリジェンス評価等を積極的に公表したとみられます。本稿では、「情報戦とインテリジェンスはどのような関係にあるのか」等の点に関して、拙著『なぜ、インテリジェンスは必要なのか』に記したインテリジェンス理論の視点から簡単に説明を試みます。

情報戦の定義には様々な見解があり得ますが、本稿では「外交、安全保障上の目的を達成するために、情報を活用すること」と理解します。また、インテリジェンスの機能は「国家安全保障に関する政策決定を支援すること」と考えます(拙著第2章)。その理論的な帰結として、情報(information)とインテリジェンス(intelligence)は異なるものと理解されます(拙著第4章)。

以下では、情報戦を防御的な活動と積極的な活動に区分し、インテリジェンス理論の視点からの検討を試みます。結論から言えば、(上記のような諸概念の定義に基づく限り)情報戦とインテリジェンス活動は異なるものであり、前者の方が後者よりも広い概念と考えられます。また、情報戦には多くの課題があります。

1 情報戦の防御的な側面とインテリジェンス

情報戦の防御的な活動とは、相手方からの情報戦に対する当方の防衛的な活動を意味します。こうした活動は更に以下の3つの類型に分類し得ると考えられます。第1及び第2の類型は「防御的な活動の中でも比較的受動的なもの」、第3の類型は「防御的な活動の中でも比較的能動的なもの」と言えます。

(1)適切な情報収集・分析活動

情報戦の中の防御的な活動の第1の類型は、相手側からの偽情報等の流布などに対し、当方のインテリジェンス・コミュニティ(IC)が、カスタマーである政策部門の政策立案・決定に資するよう、適切な情報の収集・分析及び評価を行う作業です。

偽情報等の流布は以前からいわゆる秘密工作活動(Covert Action)の一種としてみられる現象です(拙著第11章)。それらに対する適切な分析・評価等は、ICの「本業」の一部であり、必ずしもインテリジェンス研究における新しいテーマではありません(拙著第8章及び9章)。

他方で同時に、近年はサイバー空間の発展等に伴い新たな課題も生じています。課題の第1は、情報量の増加の問題です。特にSNS上に流布される大量の情報の効率的な処理が課題となります。近年は、SNS上の情報に対するいわゆる「ファクトチェック」等を行う民間の組織等も活動を行っています。政府のICとこうした民間組織との協力の在り方が検討課題となります(例えば、機密の保持等)。課題の第2は、OSINT(公開情報に基づくインテリジェンス)に専門的に従事するインテリジェンス機関の新規設立の必要性の検討です。背景に、偽情報等は主にSNS等において公開情報として流布されていることがあります。理論的には、新組織の設立にはメリット・デメリットの双方が有り得ます。

(2)カウンター・インテリジェンス活動

情報戦の中の防御的な活動の第2の類型は、相手方による偽情報等の発信源を特定し、場合によってはこれを無力化する活動です。こうした活動は、カウンター・インテリジェンスに含まれる活動であり、必ずしもインテリジェンス研究における新しいテーマではありません(拙著第10章)。他方で同時に、近年はサイバー空間の発展等に伴い新たな課題も生じています。特に、ICとサイバーセキュリティ担当機関の連携、サイバー空間における情報収集や捜査権限の在り方等が論点となります。

(3)広報活動

情報戦の中の防御的な活動の第3の類型は、広報活動です。こうした活動は更に、①主に自国民を対象とするもの、②主に相手国を対象とするもの、に分類されます。前者は、例えば、相手方から流布された偽情報等に自国民が惑わされないよう、政府としてのインテリジェンス評価等を積極的に公表する活動です。後者は、例えば、相手方による攻撃的な活動の可能性等を踏まえてこれを牽制するべく、相手方の能力や意図に関するインテリジェンス評価等を積極的に公表する活動です。(なお、ここでの広報活動には、偽情報や意図的に歪曲された情報を当方から積極的に発信する活動は含まないものとします。)

注意すべきことは、①及び②のいずれの形態にせよ、こうした広報活動は、拙著の採るインテリジェンスの定義や機能には含まれない活動となります。なぜならば、こうした活動は、政策決定を支援する活動ではなく、政策決定者によって決定済の政策の実行に当たるからです(拙著第2章)。学術的には、こうした活動は、リスク・コミュニケーションとして研究がなされている場合が少なくありません。

こうした広報活動を担う政府の機関は、インテリジェンス理論の立場からは、ICではなく、政策担当部門であるべきと考えられます。すなわち、ICの役割は、政策部門の行う広報活動に対する言わば「弾込め」(インテリジェンス・プロダクトの提供)に過ぎず、「弾撃ち」そのもの(インテリジェンス・プロダクトを如何にして広報活動に活用するかの政策立案及び判断並びにその実行)はICとは別の政策部門が担うべきものと考えられます。ICが直接こうした政策に関与する場合、「インテリジェンスと政策の分離」に反し、インテリジェンスの客観性の維持に疑義が生じる可能性があります(「インテリジェンスの政治化」、拙著第3章)。なお、今般のウクライナ問題に関しては、米国やイギリスにおいて、CIA長官やSIS長官等が発信に関与している事例がみられます。インテリジェンス機関のトップは、ICと政策部門の結節点を担う存在として一定の政策的な役割も担っていると理解できます(拙著第6章)。

こうした広報活動としての情報戦には、インテリジェンス理論の視点からは、幾つかの課題があると考えられます。

第1に、広報活動が効果を挙げるには、ICが上記1(1)のような情報収集・分析能力を十分に備えていることが前提となります。

第2に、広報活動は、上記の「インテリジェンスの政治化」の危険性を伴います(拙著第3章)。著名な先例としては、いわゆるイラクの大量破壊兵器問題があります(第7章)。

第3は、(上記の第2の課題にも関連しますが)広報活動が効果を挙げるには、政府(特にIC)が国民から十分な信頼を得ていることが前提となります。例えば、政府は、自らの不祥事や芳しくない業績等を含めた「悪い話」に関しても平素から国民に対して十分な説明を果たしているとの評価を受けていることが求められます。

第4に、主に国民を対象とした広報活動が十分に効果を挙げるためには、国民の側にも一定のリテラシーが求められます。上記のとおり、政府は平素から「悪い話」を含めた説明を果たすことが求められます。国民の側にこれを受けとめる十分なリテラシーが備わっていない場合、かえって国民の側に混乱やパニックを引き起こす可能性があります。

第5に、インテリジェンス活動の秘匿性とのバランスの問題です。インテリジェンス・プロダクトを基とした広報活動は、インテリジェンスの秘匿性の確保と矛盾をきたし、特にインテリジェンスのソースを危険に晒す可能性があります(拙著3章及び第8章)。

第6に、主に相手方の活動の抑止を目的とした広報活動の限界です。特に、相手方が、当方と同様な思考・判断のパターンを共有していない場合(当方の視点から見て「合理的」な判断を行わない場合)、広報活動による抑止効果は限定的になると考えられます。

2 情報戦の積極的な側面とインテリジェンス

情報戦の積極的な活動とは、上記のような「外交、安全保障上の目的を達成するために、情報を活用すること」を当方から意図的・積極的に仕掛けることです。こうした活動は、①偽情報等の発信を含むもの、②前記①以外のもの、に分類されます。

このうち2番目の類型は、通常の外交活動等の一環として実施されるものです。国際世論への働き掛けを目的とした国家元首や政府高官による演説等が典型例です(前記1(3)の2番目の類型の広報活動と重複する場合もあります)。こうした活動の政策立案と実行は、前記1(3)の場合と同様、ICとは別の政策部門が担うべきものであり、ICの役割は支援(政策立案・決定に資するインテリジェンスの提供)に止まると考えられます。

第1の類型の活動(偽情報等の活用を含むもの)は、以前からいわゆる秘密工作活動(Covert Action)の一種としてみられる現象であり、必ずしもインテリジェンス研究における新しいテーマではありません(拙著第11章)。注意すべきことは、秘密工作活動は、(拙著の採るインテリジェンスの定義や機能に基づく限り)理論的にはインテリジェンス活動には含まれないと理解されます。なぜならば、こうした活動は、政策決定を支援する活動ではなく、政策決定者によって決定済の政策の実行に当たるからです(拙著第2章)。ただし、実態として、米国のCIA等が秘密工作活動に関与している場合は少なくありません。こうした状況は、インテリジェンス機関が、「本業」とは別に言わば「副業」として秘密工作活動に関与していると理解されます(拙著第2章)。

米国においては、こうした秘密工作活動は、法令上の根拠を有し厳格な手続きに基づいて実施される合法活動と理解されています。また、秘密工作活動の実施主体は、いわゆる「第三のオプション理論」に基づき、外交部門や軍事部門以外の組織が担うべきと理解されます(拙著第11章)。

秘密工作活動としての情報戦にも、インテリジェンス理論の視点からは、幾つかの課題があると考えられます。第1は、こうした活動の合法的な実施を可能とする法制度の整備です。第2は、こうした活動を行うための体制と能力の整備です(民主的統制の制度を含む)。第3は、倫理的な課題、すなわちこうした活動を是とする社会的なコンセンサスの醸成です(拙著第11章)。日本の現状にかんがみると、いずれもややハードルの高い課題と考えられます。

以上、本稿では、情報戦に関して、インテリジェンス理論の視点からの検討を試みました。なお、上記の分類は便宜的なものであり、実際には複数の類型に該当する活動も有り得ることをお断り申し上げます。また、言うまでもなく、情報戦に関しては別の視点からの様々な検討が可能であり、本稿の視点はそのうちの一つに過ぎません。いずれにせよ、情報戦に関する理解を深める上で、本稿が何らかの役に立てれば幸いです。

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◆著者略歴◆

小林 良樹(こばやし よしき)
明治大学公共政策大学院(専門職大学院)ガバナンス研究科 特任教授。
早稲田大学博士(学術)、ジョージワシントン大学修士(MIPP)。香港大学修士(MIPA)。トロント大学修士(MBA)。
1964年東京都生まれ。1987年、東京大学法学部卒業後に警察庁入庁。警察庁警備局外事第一課課長補佐、在香港日本国総領事館領事、在米国日本国大使館参事官、警察庁国際組織犯罪対策官、慶應義塾大学総合政策学部教授、高知県警本部長等を歴任。2016年3月からは内閣情報調査室の内閣情報分析官(国際テロ担当)として、テロ情勢分析に従事。2019年3月、内閣官房審議官(内閣情報調査室・内閣情報分析官)を最後に退官。同年4月より現職。
専門はインテリジェンス、テロリズム、社会安全政策等。
主要著書に『テロリズムとは何か―〈恐怖〉を読み解くリテラシー』(慶應義塾大学出版会、2020)、『犯罪学入門―ガバナンス・社会安全政策のアプローチ』(慶應義塾大学出版会、2019)、“Assessing Reform of the Japanese Intelligence Community,” International Journal of Intelligence and Counterintelligence, 28(4), August 2015, pp. 717-733、『インテリジェンスの基礎理論(第2版)』(立花書房、2014)等多数。

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