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【こぼれ話】テーマで読む「三田の文人たちは先生だった」を語る(後編)

当社では、より書籍に関心を持っていただけたらという思いで、書籍の一部をまとめて立ち読みできる「KUP立ち読みのススメ」を公開しています。この度、そのサイト内に「【テーマで読む】三田の文人たちは先生だった」を新設いたしました!

↓ページはこちら(以下、バナーから本の立ち読みページに飛ぶことができます)

KUP立ち読み三田の文人

この特集を作った担当が集まり、裏話トークを展開してもらいました!

前編では、先生である文人と教え子たちとの濃厚な交流や、選書に込めた意図などを語りました。

前回の記事はこちら↓

<話す人>
佐藤さん:佐藤琢磨選手が好きな編集者。荷(はす)の写真も担当。
村上さん:K-POPをこよなく愛する編集者。文人たちのイラストも担当。
中島さん:ペンギンをこよなく愛する(でも飼いたくはない)営業担当。
<聞く人>
杉浦:エスニックと辛い食べものをこよなく愛する新人。

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三田のパーソナリティと三田文学

――「先生と文学」の紹介文には「三田のパーソナリティ」ということばが出てきます。三田のパーソナリティというのは言葉で表すとするとどんなことなのでしょうか。

村上「三田文学」の存在はすごく大きいんじゃないかなと思います。「三田文学」を中心にして、文人・文学の役割がしっかりあるような気がします。他の大学ではあまり見ないですよね。

KUP立ち読み三田の文人_書籍06new

中島:僕の勝手なイメージですけど、新しいものを載せることに対してみんな積極的かもしれないですね。こうこうこういう歴史があるからこういう人は載せないとか、こういう作品は載せないとかっていうのはあんまり聞いたことがないので。

佐藤:何しろ三田の出身の書き手に初期の頃からあまり限定しない。早稲田出身の井伏鱒二さん(作家、1898-1993)も名作を書いています。

中島:編集長が変わると編集方針も変わりますね。若松さんの時代と今の関根謙先生(中国文学研究者、2017年~「三田文学」編集長)では全然違いますもんね。作品の選び方とか。

佐藤:一目瞭然なのは、表紙のデザインを変えてしまうことです。

中島:でも「三田文学」らしさっていうのはみんな意識していますよね。

佐藤:一般論として伝統というのは、変えないことではなくて、新しい試みをどんどんやって、それが多少異質なものでもそれを飲み込んでしまう。異質なものが入ってくることによって、より強固なものに、より印象的な伝統に変わっていく。おそらく「三田文学」も期間毎に新しい取り組みを入れているから、違和感がない。そういうものではないかと思うんです。

人物相関図秘話

三田の文人相関図newol

――このサイトではイラストを交えた人物相関図(村上担当)が印象的です。描いてみてどうでしたか。

村上:三田の文人の人間関係には、教え子がいたとか編集長やっていたとか、絶対つながりがあるんで、もともと相関図があった方が分かりやすいよねという話がありました。じゃあ似顔絵もあった方がいいね、と写真を参考に描きました。最初は描けるか不安でしたが、意外にすっと描けました。

描いていて、永井荷風が難しかったですね。どの写真を見ても結構顔が違うので。あとどの年代の写真を使うかによって顔が全然違いますね。あまりおじいちゃんになっちゃうと全員の区別がつかなくなっちゃうんで、大体50代前後のものを選びました。内田百閒は最初は東京駅の名誉駅長を務めたとき(鉄道80周年記念行事。昭和27年10月15日)の有名な写真で考えていたんですけど、佐藤さんのリクエストで、小鳥と一緒の写真を採用しました。

内田百閒a

佐藤:慶應で講演をしたのは昭和17年なので、その頃っていうとこんな感じ。東京駅の名誉駅長はそれから10年先だから、ちょっと雰囲気が違ってくる。

村上:小鳥を頭に乗せて琴を弾いていて、すごい絵だなぁと思いますね。万太郎も強面っぽい写真は結構あるんですけど、猫を抱いてる写真の顔が柔らかくていい表情をしています。

描いてみてそれぞれめちゃくちゃキャラが強いっていうことがわかりました。このままアニメになりそう。

中島:皆さん、本当にキャラが濃いですよね。人生がにじみ出ているような気がします。

村上:私自身、相関図を作ったことは勉強になりました。意外とここ繋がってるんだなっていう。

佐藤:久保田万太郎と内田百閒は同年の生まれなんだけど、一方が東京生まれで一方が岡山生まれでしょ。交流があったことは意外に知られていない。なぜ交流があったかというと久保田万太郎が谷崎潤一郎の『春琴抄』を芝居にする際、宮城道雄(作曲家・筝曲家、1894-1956)と仲のいい内田百閒が宮城への琴の作曲を仲介したらしい。いろいろと思わぬことが重なって、上演には宮城の曲は間に合わなかったのだが、万太郎と百閒はそのためにより協力の度合いが深まったらしい。

久保田万太郎a

また、折口先生が百閒の愛読者だったというのは、『折口信夫の晩年』に、折口先生が岡野先生のことを「内田百閒に対して君は外田千閒だ」と言ってる場面がある。岡野先生に直接お話を伺ったところ、折口先生は百閒の随筆をよく読んでいたとおっしゃられていました。

村上:ギャグが炸裂していますね。

折口信夫a

KUP立ち読み三田の文人_書籍02

佐藤:井筒先生は西脇順三郎先生の弟子なんだけども、折口先生にも関心があって授業はずっと聴いていたようです。予科から一緒だった池田彌三郎さん(国文学者、1914-1982)が折口先生の弟子になったから、じゃあ僕はってことで西脇先生のつくような形になったらしい。だから井筒先生が折口先生の授業をよく聞いていて、直接的ではないけれど発想とかを取り込んでいらっしゃるのかなと思ったりするんだよね。折口先生と久保田万太郎は、昭和20年の7月、終戦直前に歌仙一巻を巻くようなお付き合いもあった。それがこの図に現れている。

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井筒俊彦a

中島:編集者ならではの視点で、こういう繋がりはなかなかわからないですよね。

佐藤:これを知らないで読んでいるのと知って読んでいるのとでは、違うような気がする。読書って一冊読んでみてそれに出てくる他の人の作品が面白そうだなと思って紐付いている。これもそういう紐付けの役割を何らかの形で果たしてくれるといいなあと思いますね。

大学出版、まだまだやります

――今回、当社の複数ある出版物を一つの塊として見せていく試みをおこなったわけですが、どのように読者に伝わって欲しいと思いますか。

佐藤:慶應義塾大学出版会という大学の出版会は、いわゆる専門書ばっかりというイメージがあるけれども、ここ20年でその見方も変わってきています。私が入社した時からすると刊行点数も増えているし、中身もすごく多様になってきていて、いわゆる商業出版社に負けないような本がずいぶんたくさん出ている。専門書が基軸としてあるんだけど、土台がしっかりした上に多様性みたいなものを実現できるようになった。今回はその象徴みたいなサイトができたのではないかなと。全集もあれば、しっかりした研究書もあれば、批評的なものもあれば、作品そのものもある。そういうサイトになったという気はしますね。

村上:一応、大学出版会という冠を被ってる中でも、積極的に文芸作品や全集など研究書以外のものを割と出してきていて、その蓄積がようやくまとまりをもって出せるようになったと思います。今回の「三田の文人たちは先生だった」は、それを魅力的に見せるテーマになったのかな。

中島:今、圧倒的に読まれているのは小説なんですけど、小説だけだと作品は広がらないですよね。文学の世界は、小説が売れて批評されていろんな形で読まれて文学の世界だと思うので、売り上げ的に見ると文芸評論というのは苦しいことは苦しいんですけど、評論とか批評が出ていないと厳しいわけですよ。書店に行っても文学作品は文学作品として、評論は評論として置いてあるって事は、文化としてもまだちゃんと残っているわけですし、専門書出版社だからこそ苦しい部分もあるけど、評論を頑張るぞっていう意味合いもある。

特に持田先生に感じるんですけど、もしかすると本人の作品以上につやっぽいというか(笑)、豊潤な世界観が描かれています。誰もがもう書き尽くされただろうって思っていたところに、こんな読み方してくるんだ、という驚きがあります。批評家の世界観というか、批評を越えて小説になってきてるような感じもある。「専門書=高い、硬い」と思われやすいけれど、そうじゃない。専門書の中にだってぐいぐい引き込まれるものはあるし、物語性の濃さを感じる作品はあるので、少しでも気づいて欲しいなという思いを込めたつもりです。

まだまだやりようはあります。工夫すれば売れるんですよ。やりようによってはまだまだ熱いジャンルなんじゃないかなと思います。

佐藤:見てくれてる人はずっと見てくれてると思って信じて続けていくしかないんじゃないかなと思いますし、突然ぽっと出るんじゃなくて、地道な努力というのがどこかできっとつながっていくんじゃないかなという気はするんです。

――皆さん、本日はありがとうございました。

#慶應義塾大学出版会 #座談会 #テーマで読む #文人 #三田

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