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『探究』 藤永 祐利

みなさん、こんにちは。
107代で主務補佐を務めます、藤永祐利(フジナガユウト)と申します。
下の名前、初見では読めないですよね。1回も1発で読まれたことはありません。ちなみに、3つ下の弟は健利(ケント)と言います。過去に「ゆり」「ゆうり」「すけとし」と色々間違えられたことはありますが、主将の豊田君は結構最近まで「ゆうり」だと思っていたようです。みなさんもお間違えなく。どうぞよろしくお願いいたします。
 
さて、今回のブログでは、107代スローガン『すゝめ』に準えて、「『探究心』と『探求心』のすゝめ」と題して、自己紹介も兼ねて私のことについて書いてみたいと思います。結論から申し上げると、本稿で伝えたいのは、
 
「興味本位で始めた『探求』が出会いやチャンスを手繰り寄せ、やがて真理と本質を『探究』することに辿り着き、その『探究』活動は意義深いものなので、すゝめたい」
 
ということです。「探究」と「探求」がいっぱい出てきて目まぐるしいかもしれませんが、最後までお付き合いいただけると幸いです。それでは。


 

1.「探究」と「探求」は両方大切

私が「すゝめ」たいものは、
物事の本質を見極めようとする「探究心」興味を持って物事を追い求めていく「探求心」
です。本稿では、私の中で「探究」と「探求」を以上のように定義して話を進めて参ります。あいにく頭がよくないので、間違っているかもしれないですが、今回はそういうことにして読んでください(笑)。
 
私は普通科ではなく、「探究科(人文社会学科)」という変わった名前の学科を卒業しましたが、上記の定義を踏まえると、結構名ばかりで(笑)、今思えば勉強も部活動も「探究」的なものではなかったと思います。陸上競技という文脈では、現在、主務補佐/マネージャーとして陸上競技に関わっていますが、中学・高校の6年間は選手として陸上競技に関わってきました。6年間と言っても、引退の時期等を考えると、厳密には6年間とは言えませんし、その期間で陸上競技の本質を見極められたとはとても思えません。(強くなることだけを考えていた愚かな競技者でした。)高野さんをはじめとする指導者や世界で戦うアスリートですら、「本質」に辿り着こうとしている段階なのですから、至極当然のことです。私はそんな、本質の「ほ」の字も見る事なく競技者としての道を諦め、大学入学を機に「マネジメント」という分野に関わることになりました。
 
しかし、ただ競技者として足を速くしようとしていた競技者時代と違うのは、「マネジメント」に探究(求)心を持っていることです。競技者時代に取り組んでいた、足を速くしようとする試みは「探求」の取り組みではあるものの、本質的なものを追い求める「探究」の取り組みではないと思っています。(※現段階だと、陸上競技は走る種目だけではないので、「速く走ること」は本質ではないと解しています。)その意味で、今の職分は、マネジメントの本質を探究する取り組みであると思っていますし、いつも本質の追求を軸に物事を考えるようにしています。 しかし、ここで強調しておきたいのは「探究」と「探求」は本質を探る点において、若干「探求」の方が(個人的に)劣後するものの、どちらも大事だと思っているということです。すでに「探究」と「探求」について語るのに時間をかなり要していますが、次は、「探究心」と「探求心」の両方が大事な理由を大学競走部での実体験をもとに少し書かせていただければと思います。
 

2.「探求」は「探究」への道

前述の通り、私は競走部への入部を機にマネジメントとサポートに従事し始めました。入部すると、今までとは違う陸上競技の見え方、初めて関わる競技、「しごでき]の先輩方、とても楽しい世界が広がっていました。心機一転、マネジメントという新しい領域で高みを目指そうとそう思いました。そこからはその一心で、つまり「探求心」で積極的に動き続け、時には「周りが見えていない」と言われるほどに無我夢中の日々を送りました。そうして、探求心を持って行動した結果、周りを少し置き去り気味になってしまったものの、ある程度の速度で自己成長したと思っていますし、チーム山縣の一員としても活動するようになりました。その意味で、探求心は行動の原点だと思いますし、その対価として得られるものはそれなりにあると思うので、探求心を忘れずに持ち続けてほしいと思います。 さて、こうして興味を持って何か追い求める「探求心」によって自己を研鑽してチャンスを掴んだ後に待ち受けるのは「探究」のフェーズです。

(恩人であり、師であり、親友であり、仲間であり、東京の父?である加賀見さん)


3.「探究」

前述の通り、私はただただ純粋な興味で高みを目指すという「探求」的な活動を通して、ある程度の成長をし、様々な経験をし、機会をいただくことになりました。その先で待ち受けるのは、ただただ興味があることに猛進するのではなく、いただいた機会の中で本質を見極めようとし、より洗練されたものを目指すこと、だと思っています。だからこそ、最初から「探究的な活動をしよう」と思わなくてよくて、最初は興味本位で突き進んで、そこから究めるフェーズに移ればいいのではないでしょうか。私も競走部入部はマネジメントやサポートという役割の本質とはなんぞや、ということを考えたことがありませんでした。サポート・マネジメントの本質を「究めよう」と思ったのは、素直に応援してくれながらも時には厳しいこともちゃんと伝えてくださった莉々子さん(105代マネージャー長)との1on1であったり、加賀見さん(100代主務)との出会いであったりが大きいです。もちろん、それだけではありません。「こうしてほしい」「これがあったらいいな」と戦友として対等な関係でリクエストやフィードバックをくれる選手のみなさんや私が最年少メンバーで関わっているチーム山縣も大きな存在で、日々いろいろな活動を通して、あるのかもわからない「サポート」の真理を探究し、「サポート」が洗練されたものになるように努めているつもりです。
 
余談(にはならないかも)ですが、サブマネージャーとして関わるチーム山縣は、学生主体の競走部とは違った視点で物事を考えられるようになるきっかけであり続けています。チーム山縣を構成するのは、山縣亮太選手だけではなく、コーチング、スプリント、ストレングス、トレーニング、ケア、鍼灸、理学療法、マネジメント、学術研究、医学など挙げたらきりがないくらいのプロフェッショナルで、それぞれがそれぞれの専門領域で洗練された技術や知識、能力を発揮し、最強の体制だと言えます。こうした環境に身を置いたことで、「自分もマネジメントという責任領域でバリューを発揮する。そのためには、究めなければならない。」と強く思っています。

(私の競走部における原点、莉々子さん)


4.最後に

と、ここまでつらつらと書いてきた訳ですが、サポートとしてまだ2年と少し。
当然、真理や本質には辿り着きませんが、それらを探究し続けること、そして思考や業務を洗練されたものにする今の取り組みは意義深いものだと考えています。この取り組みはサポートという業務をやめない限りは続いていくものだと思いますし、引き続き取り組んでいく覚悟でいます。まだまだ続く私の探究活動という航海に競走部のみんながいることがとても心強く、みんなとならどんな高い壁もこえられる気がします。
 
さて、私の体験を交えながら本稿で伝えたかったのは、冒頭に申し上げた通り
 
「興味本位で始めた『探求』が出会いやチャンスを手繰り寄せ、やがて真理と本質を『探究」することに辿り着き、その『探究』活動は意義深いものなので、すゝめたい」
 
ということです。
これは本稿で述べてきたように、私の実体験に基づく経験談です。
何かみなさんの参考になればと思います。
 
最後までご覧になってくださってくれた方、ありがとうございます。
自分語りがかなり多くなってしまいましたが、107代を一緒に盛り上げていきましょう。
これからもよろしくお願いいたします。

(カラオケ行っても1曲も入れずに作業してる、エグ楽しい主務チーム)


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