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『想い』  豊田 兼

こんにちは、107代目主将を務めさせていただきます短距離ブロックの豊田兼です。

ブログとして長文を綴るのは短長ブログ以来ですね。緊張します。しかも前主将の達也さんの熱い想いが綴られたnoteの次の文章になるかと思うと目頭が... (T△T)
達也さん、アドバイザーとしての枠は空いていますので、今後とも競走部をよろしくお願いいたします。

さて、今日から新幹部のブログがスタートすることになります。特にテーマは設けていないので幹部のひととなりをわかってもらう、それこそ「すゝめ」たいことがあればここで発信していきましょう。

今日は自分から。107代主将はこんなこと思っているのかと、認識してくれると幸いです。お付き合いください。



1.オリンピックへの想い

2012年のとある夏の夜、僕はフランス・エビアン(évian)の地でテレビに張り付いていました。当時10歳、世間はロンドンオリンピックで盛り上がっていたのを覚えています。その画面に映っていたのはクリストフ・ルメートル、白人で初めて9秒台で走ったフランスの陸上選手です。多くの選手が笑顔で選手紹介を行うなか、彼は無表情でスタートラインに立ちました。正直走りはあまり覚えていません。男子200m決勝で、スタートで出遅れてしまい持ち味の後半を活かしきれずに6位で終わってしまいました。しかし、2レーンに佇む彼の姿は自分の目からは一人だけ際立ち異様な雰囲気だったのは覚えています。ただただカッコよかった。
動画:https://youtu.be/LWZQAVtkMBo?si=-e4m0c5gDNysG7cO

おそらく、オリンピックという舞台に憧れを抱いたのはその時からです。陸上競技をそれまで遊びでやっていた自分にとって、「あの舞台で走りたいなぁ」そう漠然と思わせてくれた瞬間でした。

それからまず目指した目標は日本一です。しかし、そんな簡単にはその舞台へは辿り着けません。小学校の時に陸上の全国大会に出場しましたが、中学校では四種競技で2489点(あと11点)と全国大会にも出場できませんでした。高校では高3で全国入賞をしましたが実際に日本一を取るのは大学3年でした。

自分に可能性はあるとずっと信じてきました。だからこそ「伸びしろ」という言葉が好きです。いつかあの舞台で走っている自分を想像できるから陸上競技を続けていられるのだと思います。そんな単純な理由です。陸上競技を極めるなら世界最高の舞台で戦いたい。その想いは途切れていません。

インタビュー等で憧れの選手を聞かれた時にはルメートル選手と答えています。ハードル専門の自分がスプリント種目の選手を答えることに違和感を抱く人もいるかもしれませんが、彼が僕の原点です。


2.「兼」への想い

「兼」について綴ろうと思います。
僕は国籍を兼ねているという意で「兼」と名付けられました。それは国と国との架け橋になって欲しいという想いがあったからと聞いています。

最近気づいたのが、無意識にその「兼ねる」生き方をしていることです。なぜか陸上競技でもあまり人がやらないような110mHと400mHの2種目を同時並行で行っています。陸上と学びを兼ねたいと思ったからこそ慶應にもきました。感情の起伏が激しい性格なので、どちらかがうまくいかないときの逃げ道にもなり得ます。何か一つを極めることが美学とされる傾向にありますが、いっぱい取り組んだっていいじゃない、そんな心意気です。

課題に感じているのは、その中で全て中途半端で終わってしまう可能性があることです。二足の草鞋を履きたいからこそ、適切に努力を積み重ねないとどっちつかずで終わってしまいます。そのためにも日々成長を実感し続ける自己効力感が大事だと思っています。

この慶應競走部でもそういう人は多いのではないでしょうか。文武両道、何足もの草鞋を履く人。素晴らしいことだと思うので全て極めるくらいの気概を持ってほしいです。僕自身この「兼ねる」生き方で今後人生を歩むと思います。

3.慶應への想い

慶應競走部への想いを書こうと思います。
高校3年時、進路が全然決まりませんでした。初めは、顧問にはアメリカ留学を勧められ話はだいぶ進みました。海外に留学したいという思いは強くあったので、その選択肢に迷いましたが、コロナ禍で制限があったこと、国内治安が悪化し始めていたことから進学を諦めました。

国内で進路を考えるにあたって、6月末くらいに慶應行きたいなぁと思い準備を始めました。体験などは行ったことがありませんでしたが部の先輩が多く進学していたので安心感がありました。競技のことだけを考えるのであれば他大学の選択もあったかと思いますが、自分の思うように競技をさせてもらえる環境、多様な人間関係など様々な要素から慶應という選択肢を選びました。上記で書いた通り、陸上競技以外にも兼ねられる環境であったというのも魅力でした。

実際に入部してみると、高校時代よりは少し厳しい印象を受けましたが、自由に競技に向き合い、足りないものがない素晴らしい環境だと感じたのを覚えています。志さえ高く持てば、いくらでも成長できる環境だなと。一方で、部に足りないと感じたことは、気概と泥臭さでしょうか。大谷さんや三輪の話に共通しますが、悔しいという感情はあるのでしょうか。1位ではない自分に満足してしまっているのでしょうか。雲の上を見たいと心から思っているのでしょうか。これらを日々問いかけてほしいです。
陸上のトラック種目であれば足の速い人が勝つ、至極当たり前のことです。その練習をすることで自分は強くなっているのでしょうか。その練習で足は速くなっているのでしょうか。何か物足りなさを感じないでしょうか。こんな疑問も浮かびます。

身体を動かすだけでなく、暇な時には身体の動きを頭の中でイメージしてみる、改善点を考えてみる、そして自分が成功した瞬間を想像してみる。こういったことは何よりも優先して日々やってみるのは僕からの「すゝめ」です。

慶應競走部での4年間は一瞬です。入部時にそれぞれが掲げた目標をぜひ達成する場にしてください。ここまで充実した大学生活を送れる部活はそう多くないと思います。悔いなきよう過ごしてほしいです。

慶應でよかった。


4.みんなへの想い

さて、最後は部員への想いを少し書こうと思います。

話は高校時代に遡ります。僕が高3時に実は一つ下の代が全員退部をしました。顧問の先生と意見が合わず、受験に専念するためだったようです。彼らを引き留めることはできませんでした。そして訪れたコロナ禍、同期は皆目標を失い、早々に引退を余儀なくされました。僕自身もインターハイ路線がなくなり、自分の成長がわからず、進路も決められず、仲間もいない中で腐りました。

同期がすでに引退してしまったため同期不在のなか、一人で夜中に泣いて同期に電話したこともありました。当時、僕は孤独でした。
けれど、陸上競技は続けたかった。顧問の先生がその間献身的に僕を支えてくれなかったら今はないと思います。

僕はこんな孤独な思いはもうしたくありません。僕ら3年生はチームで戦える最後の一年です。慶應競走部に入部しチームの一員になったからにはこのチームで笑顔で終わりたいです。インカレや対校戦で他校と戦うにも僕1人では戦えません。もちろん背中で引っ張りますが、皆も僕を追い越す勢いで成長し、躍動してほしい。僕からの願いです。

僕ら107代は競走部の価値向上を第一に置きました。これは一年では達成できない曖昧で壮大な目標です。ただこれから1年間の1人1人の「結果」がこの目標に大きく関わることを自覚していってほしいと思います。

冬季は集まれない期間が続きます。ですがそんな時こそ「We Over Me 」です。チームは個人に勝る。乗り越え、前にすゝんでいきましょう。

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