私の中学受験失敗の記録
中学受験のみんな頑張ってね。
私は小学校2年生の3学期から受験勉強をさせられました。父親が教育者だったっていうのも大きいでしょう。(兄が二人いて、兄も中学受験をしています。真ん中の兄の受験が終わって、さぁ、こいつをしっかりしごいてやろう、という状況だったのでしょう。)
他の子供よりも勉強が進んでいたから、学校で周りからいじめられたこともありました。ま、自慢げに勉強を披露したりしていた自分が良くないんでしょうけどね。
親が厳しくて、一日11時間勉強してました。休日は、朝9時から12時。1時まで昼休みで、6時まで。夜は7時から10時まで。小学生がですよ?(この習慣のおかげで大学院の時には勉強しすぎて体調を崩しましたが、それは別のはなし…)
そんな4年間以上を注ぎ込んだ中学受験を忘れようもありません。放課後、友達は遊びに行くのに、私だけ家に帰って父親と猛勉強。あとで母親に聞いた話では、小学校の遠足を休まされたこともあったとか。
そんなこんなで志望校も決まりました。そして受験当日。
2月1日は大雪でした。第一志望は手ごたえがあったけど落ちました。生来興奮しやすい性格なので、大雪だったので、興奮してしまったのかもしれません。
2月2日も落ちました。手ごたえはあった気がします。
2月3日は兄が通っている学校でした。流石に受かるかなと思いましたが、落ちました。不満も溜まっていて、母親が昼ごはん用に買ってきてくれたハンバーガーが気に入らなくて、母親に八つ当たりしました。今でも覚えています。
ごめんなさい、お母さん、とあの瞬間のことは今でも思い出します。
2月4日は流石に、休みにしようと家族会議で決まりました。2番目の兄が一日遊んでくれました。あの日のこともまだ覚えています。やっぱりこどもですから、久しぶりに一日遊べて楽しかったのでしょう。
2月5日は、志望校を変えて、言い方は好きじゃないですが、ランクを落としました。たぶん、本当の予定では慶應の中等部を受ける予定だったんじゃないかな。
2月6日も同じです。結局この日に受かった学校に進学しました。
2月7日も受けたのですが、もう電池は切れていました。帰りに「帰ったらゲームボーイで遊んでいい?」と母親に聞いたのを覚えています。もちろん落ちました。
私の中学受験は4年以上人生を捧げた割には惨敗と言って良いでしょう。2勝4敗ですか。自分で選んだ志望校は、ほとんど全部落ちましたから。
嫌味に聞こえたらごめんなさい。でも、中学受験を散々失敗して、3日に受けた学校に関しては、兄より自分は劣っていると突きつけられた私ですが、今では慶應義塾大学の准教授になっています。アメリカで教鞭を執っていた時代もあります。
ラップの研究をしてZeebraさんと対談して、メイドの研究して、伝説のメイドさんと写真をとって、萌え声の研究して声優さんと一緒にトレーニングして…
テレビで論文を紹介してもらったり、解説して弄られたりもしています。チコちゃんに出るのが偉いか分からないけど、チコちゃんにも出ました。国際雑誌の編集者を任されるまでになりました。言語学と音声学の世界では、それなりの出世をしたと言って良いんじゃないでしょうか。
でも、ときどき「偉い先生なのに、偉そうじゃない」と言われます。おそらく中学受験の失敗が少なからず影響しています。
12歳の時にあれだけの失敗をしたのです。それで自信満々で生きていけたら、そちらの方がおかしいでしょう。
グレなかったのも今考えれば不思議です。
だから、受験生のみんな、頑張ってください。でも、受験を落ちたからこそ学ぶこともあります。
12歳には辛い試練だと思います。
でも、努力したという事実は必ず報われるし、落ちたからこそ学べることもあります。そして進学したところでできた友人は今でも宝物です。ま、多くの友人が「一度受験を失敗した」というトラウマを共有していますからね(笑)
あと家族は、何があってもあなたを大好きです。
3日に「昼ごはんが気に入らない」って切れたけど、お母さんはその後もサポートしてくれました。お母さんなしでは絶対ここまで来れてないという確信があります。
人生決して順風満帆ではないけれど、母親はいつもサポートしてくれています。
4日に一日中遊んでくれた兄も今でも仲がいいです。昨日も「遊ばない?」とメールが来ていました。こういう時、2月4日のことを思い出します。遊びましょう、お兄さん。
3日に私が落ちた学校に通っていた兄も、決して「自分の方が頭がいい」とかいう発言も素振りも見せませんでした。時間が経ってからもそういう比較を全くしませんでした。そんな兄を今でもちょっと尊敬しています。
何が言いたいかっていうと、みんな安心して受験してください。
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