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努力が生み出す感情 長谷川健太(経4・藤島)

こんにちは、この一年、共にコーチとしてチームをまとめた通称「高崎の壁」こと新倉より紹介に紹介を受けました、昨秋まで学生ヘッドコーチを務めた経済学部の長谷川です。

さて、引退してから早4ヶ月が経ちました。私はというと、学業・アルバイト・就職活動に追われ、思い描いていた引退ライフとは少し異なる日々を送っております。それでも大学同期・高校同期と卒業旅行に行ったり、翌朝の練習を気にせずにお酒を嗜んだりとなかなか楽しい毎日です。


とはいえ、野球が無い生活は味気ないもので。思えば9歳の時に野球を始め、早い段階で己に野球の才能はないと悟ったにも関わらずこの歳までプレーし続けたのですから、なにか論理を超えた野球の魅力に取り憑かれていたのでしょう。

そこで、この場を借りて「私の野球人生」を踏まえて大学野球生活を振り返ろうと思います。ちなみに自身が楽しんで読んでいた東大硬式野球部の企画に刺激を受けております。
恐らく感情が昂り長文になってしまうかと思います。お暇な方、お付き合いください。

私は小3の時、内海哲也投手に憧れて野球を始めました。入部したチームは週6練習、毎日6:30から自宅での素振り必須(監督の見回りあり)、サボれば4時間の罰走、頭髪は五厘刈り。愛情のこもった鞭(比喩表現でなく)や言葉も当たり前。他のチームのことを知らないので、これが少年野球の常識だとつい最近まで誤解していました。ちなみにこの環境のもと鍛え上げられ、全員が奇怪な打撃フォームを身につけた長谷川主将率いるチームは公式戦2勝。12歳にして努力の質と方向性の重要性を学びました。

中学の部活動は逆に、非常に緩い環境でした。ゆるゆるすぎて、シートノック中に犬猿の仲であるセンターとレフトが左中間を破った打球を追うことを放棄して殴り合いをしていたり、主将が練習中にムカついた部員をマウンドで背負い投げしたりしていました。


さらに、グラウンドが異常な狭さだったため打撃練習・守備練習はほぼ不可能。異次元に非効率なバント練習以外をした記憶がありません。それでも先輩達のポテンシャルが高すぎて県ベスト8に進出した際には世の中の理不尽さを痛感しました。ちなみに当大会で長谷川は、先輩がバンドマンとなり退部したことでぽっかり空いたレフトのポジションを掴み、無安打・2失策と大いに足を引っ張りました。とはいえ、最高学年時は1番打者としてプレーしたり投手を務めたりと良い思い出として中学野球は残っています。

さて、高校。単純な私は漫画「青空エール」を読んだこと、そして自身の野球技量への不安から本気で吹奏楽部への入部を検討しましたが、小中からの幼馴染達に勝手に体験練習の名簿に名前を書かれており、野球部に入部することになりました。(吹奏楽部に入部してたら2週間もたなかったと思います。中学音楽の成績は2寄りの3でした。)
球速がまるでないながら投手を本格的に務めるようになり、ライバル校相手に2年連続満塁弾を被弾するなど試行錯誤する日々でしたが、非常に充実していました。
思えば、高3夏のゲームのように意図したところに投げられる、そんなゾーンに入っているような感覚を忘れられず大学でも野球を続けました。最後の夏に玉村昇悟投手(現広島カープ)に投げ勝った(延長15回、長谷川は7回で降板)ことが野球人生最大の自慢であり、生涯誇りたいので玉村投手には是非頑張ってほしいものです。
こうして格上に勝利できたこと、そして何より部活・私生活含めて毎日笑い過ぎてお腹が痛くなるような楽しい日々を最高の仲間と送れ、本当に良い高校野球人生でした。

そして、軟式野球部での4年間。振り返ればあっという間だったなと感じます。
高校野球で燃え尽きたと思っていた私でしたが、結局野球の呪縛からは逃れられず大学でも部活動で続ける選択をしました。
先日の新倉のブログにあったように三者連続三振未遂でのデビューを果たすなど、そこそこ順調な出だしで、大学ではなんだかんだ結果を残すことができるのかなー。なんて思っていました。
学生野球で初めて入部直後に活躍できるという自信を持ったチームで、そして最終的に最もいい結果が出せなかった環境かもしれません。

3年生までの選手時代にあまり良い記憶はありません。リーグ戦で三者三振に抑えたことや東日本大会で1年生ながら登板させていただき無失点で切り抜けたことなど、記憶に残っている好投は僅かで、覚えている多くは四死球を連発した立教戦や首脳陣の期待を完全に裏切った東京都庁戦など炎上した試合です。どちらかと言うと窪田さんと共にベンチで奇声をあげたり奇妙なダンスを踊った記憶の方が好投した記憶より多いです。
大学でストライクを取ることに苦労するとは思っていなかったようにイメージと現状との乖離、勝利を重ねるチームの中に自身がいないこと、首脳陣に期待していただき幾度となくA戦での登板機会を与えていただいたにも関わらず結果を残せなかったことへの申し訳なさ・・・。良い先輩・仲間に囲まれ優勝を経験するなど楽しい・嬉しい思いをしながらも、非常にもどかしい気持ちを抱えた3年間でした。


そんな私は最終学年、ヘッドコーチを務めました。
これまた、苦難の日々でした。
采配、練習内容、選手起用、部外との調整、部内環境の整備、浮上し続ける各部員の問題・・・。一度としてチームのことを考えなかった日はありませんでしたし、大変なことばかりでした。当初は選手を兼任する予定でしたが、あまりのヘッドコーチの大変さから終盤はほぼコーチ専任状態になりました。

勝てば選手のおかげ、負ければ監督の責任なんて言葉もありますが、本当にその通りで大きなプレッシャーを感じており、リーグ戦が始まってからは寝付けず、ほぼ徹夜で練習・試合へと向かう日々が続きました。どれだけ早く布団に入っても「あの選手はどうしたら伸びるかな、個性を活かせるかな・・・」とか「この場面、どんな采配をするのがベストかな・・・」とか考えていたら鳥の鳴き声が聞こえ、朝が来ていました。

こんな思いをしながら経験した秋リーグでの開幕5連敗よりストレスを感じることは今後ない気がします。そして同時に、これだけの苦労を乗り越えて掴んだ秋リーグ初勝利と最終戦での勝利よりも嬉しい、熱い感情を抱くこともない気がします。
苦しんだことの方が多い大学野球人生でしたが、それでも引退して振り返れば本当に楽しい、良い思い出になりました。

さて。つらつらと自分語りをしてしまったので、何か後輩たちに参考になる言葉を残せればなと。
ここまで振り返った野球人生で強く感じたのは「才能に勝る努力なし。努力がもたらす結果に勝る感情なし。」でしょうか。

私は野球人生で幾度となく絶望させられる才能を目の当たりにしてきました。私が人生全てを賭けても大谷のようなストレートは投げられないし、村上のような打撃力は得られません。そんなレベルでなくチームメイトでも、こいつにはどうやっても勝てないと思わされる選手に数多く出会ってきました。何度自分に野球センスがあれば・・・と空想したことでしょうか。

それでも、9歳にして自身の限界を悟っても、14年も野球を続けてよかった。そう言い切れるのは、野球を通じて得た「感情」によるものだと思います。

上記の高校最後の夏の大会での勝利や秋リーグの初勝利、最終戦の勝利。今までの人生で、これらで感じた喜びを上回った経験は一度もありません。同時に、私立高校相手にめった打ちにあい敗戦したことや秋リーグでの5連敗。これらで感じた悔しさを上回った経験は一度もありません。

それらは全て全力で、やれることをやって臨んだ結果だからでしょう。自分のできる最大限の努力をした上で感じる嬉しさ・悔しさ、その他諸々の感情はとんでもなく大きく、生きている実感を得られるものです。私はこの努力の先にある何にも代え難い快感・実感を求めて野球を続けてきました。これこそが論理を超える野球の魅力です。

だから、是非日々の練習・暮らしに全力で向き合い、結果にとんでもなく喜んだり悔しがったりしてください。努力の先にある生きている実感や喜び・悔しさを掴んでください。きっと野球人生が満足いくものになると思います。

全力で取り組めば、そんな感情を共有できるかけがえのない仲間もついてきます。僕にとっては後輩達も含め、野球人生で出会った全ての人が宝物です。コーチを務めた際も、僕の気持ちについてくる熱い同期・後輩に囲まれたからこそ、よりみんなを勝たせたいという思いに駆られ努力を重ねました。

みんなは大谷にはなれませんが、多分大谷に負けないほど熱い感情を得るだけの素質は持っています。是非とも努力を重ね、そして願わくば全国の舞台で「嬉しさ」の感情を覚えて、僕に伝えてくれればと感じます。
一OBとして全力で応援します、頑張ってください。

やはり書いていくうちに気持ちが熱くなり長文となってしまいました。ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。
今まで野球で出会った仲間、家族、OB・OGの皆様、その他関係者の皆様のおかげで最高の大学野球生活、野球人生を送ることができました。この場をお借りして感謝申し上げます。

さて、明日のブログは諸星が担当します。
彼もまた、地道な努力を実らせた最高学年時の躍動、そしてリーグ戦直前の怪我などで私に嬉し涙と悔し涙を流させるほど、「感情」を揺さぶってくれた熱い仲間の一人です。
私と同じく、いや私以上に人生の深みを知る彼の文章に乞うご期待。

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