見出し画像

選択を正解に 三宅晃太郎(法4・慶應)

こんにちは。

阪神タイガースの38年ぶりの日本一に「こっから10年暗黒期でも耐えれる」と喜ぶ一方で、一部のSNSのプロフィール画像が巨人の丸選手の画像であることや阪神の選手の背番号をほとんど知らないことから、巷ではエセ阪神ファンと噂される我が代の敏腕主務である丸尾から紹介に預かりました、法学部法律学科4年の三宅晃太郎です。

さて、毎年先輩方の卒業ブログを楽しみに読ませていただいていましたが、ついに私が執筆する日が来てしまいました。春日と松田とともに初めての体験練習に参加したものの、途中雨天により練習打ち切りとなり2人を送り届けたあの日から3年以上が経過したことが今でも信じられません。いざ執筆に取り掛かろうにも何を書けば良いのか道筋が見えてこないのが正直なところです。ただ今回は自分の言葉で発信する最後の機会ということで、書きたいことをありのままに綴っていきたいと思います。既にお察しの方も多いかとは思いますが、生憎文才というものを持ち合わせていないため面白さもなくただただ長く拙い文章となってしまいますがご容赦いただき最後までお付き合い頂けますと幸いです。まだまだ前置きを書き足りないのですが長くなってしまいましたし、この先も長くなってしまうのでこのあたりで本題に入らせていただきます。

體育會軟式野球部の卒業ブログですので、大学での4年間を振り返るべきだというのは重々承知しておりますが、折角の機会ですのでこれまでの野球人生を振り返らせていただきます。


【小学生・調布大塚ファイターズ編】

私の野球人生は名門・調布大塚ファイターズにて幼稚園の年長から始まりました。4年生までの記憶はあまりないので割愛しますが、5年生になり2番セカンドで出場した大田区大会新人戦で創部初の優勝を成し遂げることができました。この大会での活躍で自分の実力を過信してしまい今後苦しむのでした。またこの大会が行われた六郷土手のグラウンドで大学生になって野球の練習をするなんて想像もしていませんでした。

中学受験との兼ね合いで6年夏に休部(事実上の退団)しましたが、最後のスピーチではまるで幼稚園児のように大泣きしたことを覚えています。(今でもいじってくる腹立たしくも可愛い後輩のみんなはこのブログを読んでいたら今度ご飯いきましょう。) このように小学生時代はとにかく恵まれた環境で野球をやらせてもらっていました。今でも調布大塚ファイターズのことが大好きですし、大学生になっても野球をやりたいと思ったのは野球が楽しくて大好きだからであり、野球の楽しさを教えてくださったのはこのチームでした。

【中学生・普通部野球部編】

2008年夏の甲子園を観て以来「KEIOのユニフォームを着て野球がしたい」という安直な気持ちで名門(という枕詞を付けられることが多い)普通部野球部の門を叩きました。この頃は秋葉、松田、丸尾、清水、内野と大学生になっても一緒にプレーすることができるとは思ってもいませんでした。しかしこの頃から急に怪我が増え、さらに勉強面や素行面で度重なる粗相を犯していたため実際に野球をしていた期間は限られていました。上記5名をはじめ同期のみんなにはたくさんの迷惑をかけてしまいましたが大学生になってもチームメイトとして活動ができて嬉しかったです。ということであまり特記することもないのですが、1つ大きな心境の変化として、控え選手の大切さというか醍醐味のようなものを感じることができました。細かい経緯は(意図的に)忘れましたが、(おそらく)新人戦で途中からショートの守備に就き、後方のフライを倒れ込みながら捕球しピンチを脱したことがあったと思います。(内野、あったよね?) これ以来先発出場して緊迫した場面で代えられるより、緊迫した場面から出場し自分のプレーが勝敗に直結する方が楽しく、やりがいを感じるようになりました。これが投手時代にリリーフを志望していた理由ですし、野手転向後も代走や守備固めとしてのモチベーションとなっていました。 (もちろん実力は伴っていませんでした。)

【高校・塾高ラクロス部編】

(野球を離れた経緯など書くべきことは多少あると思いますが、野球人生ではないため)割愛。

【大学・體育會軟式野球部編】

〈1年生〉

入部動機については新入部員紹介ブログにてお話しさせていただきましたのでこの場では割愛させていただきます。

久しぶりに真剣に野球に取り組む環境に張り切って入部したものの早々に肩を痛めて離脱。しかし幸いにも当時の4年生投手陣の小杉さんと飯田さんにリハビリやトレーニングを教えていただき、学びの多い大変充実した時間でした。またリハビリ期の過ごし方についても健人さんにご指摘をいただき、金井さんにご指導いただきました。先輩方はおそらく覚えていらっしゃらないと思いますが、この出来事は私にとって大きなもので、怪我により出遅れてしまい自分のことしか見えていなかった私にとってチームの一員であることや怪我による離脱でチームに迷惑をかけているという当たり前のことを自覚する機会となりましたし、チームのためになる行動は何なのか、自分には今何が求められているのかと心がけるようになったきっかけになりました。感謝しております。

〈2年生〉

やはり大学生活1番の思い出といっても過言ではない全日本選抜大会に触れるべきでしょう。しかしその前に前置きを。春先の練習試合(B戦)で大学初先発をさせていただきましたが3回6失点と崩れ、以降登板機会は激減していきました。それでも自分ができることを探しながら練習に参加する中で代走としての出場機会をいただくことが増えていきました。しかし全日本2週間前に肉離れを発症。痛みはありながらもなんとか走れる状態にして全日本を迎えましたが出場は叶わず、もちろん登板の機会もありませんでした。この時私は今後について深く考えるようになりました。というのも全日本にて同期投手陣で唯一登板することができなかったことのショックは大きく、さらにはせけん(さん)が選手を続ける決断をされたこと(結局フェードアウトされていましたが)、後輩投手陣の層の厚さ(今では頭数は半減しているけど)などから、チームに貢献するためには投手を続けるべきではないのではないかと感じていました。

〈3年生〉

代替わりと同時に外野手転向を決意しました。面談で投手と二刀流でも…というお話もいただきましたが、当時は投手を続けるメリットを感じておらず外野手一本で勝負する決断をしました。突然ですが引退時に増池からもらった手紙の中に「投手から外野手に転向する際に不安だったけど仲間に入れてもらえて嬉しかった」という趣旨の言葉がありましたが、自分も同じこと思っていたなと懐かしくなりました。当時外野手も十分な人数がいましたし、レギュラーの4年生が引退され激しい争いの真っ只中でした。そんな中でも外野陣は自分の加入を認めてくれて嬉しかったことを覚えています。特に同期の小川松田丸尾は(相手にしていなかったのかもしれないけど)私の加入で誰かが出られなくなる可能性があるのにも関わらず惜しみなくアドバイスもくれたことは感謝しています。

しかし外野陣の壁は高く、チャンスを頂いてもミスをしてものにすることができず、代走中心の生活となりました。しかし自分の意思で投手を諦めて外野手に転向した以上、代走専で終わるわけにはいかず、今年はせめて守備ではと考え夏合宿では足裏にマメができても打球を追い続け、課題であるバッティングについては指を負傷しながらもバットを振り続けました。しかし現実はそう甘くなく…以下略

〈4年生〉

3年次から取り組んできたことが徐々に形になり始めてはいましたが、私に残されていた時間はありませんでした。外野守備については自信を持ってポジションにつくことができるようになりましたし、課題だった打撃でも練習試合等で結果が出る日もありました。その証拠にインスタグラムにて密かに制作・公開している「奇跡のバッティング集」なる動画も段々と長編になっていきました。しかし春リーグ終了後に小川ヘッドからの通知表で「打撃戦力外」を通告されてしまいました。しかし彼の怪我もあり秋リーグ初戦のスタメンに「9番センター三宅」の文字がありました。結果を残すことはできずスタメン出場は開幕戦の1試合のみで自分の”勝負弱さ”を痛感しましたが、それでも外野手転向を「正解」と言える目にみえる成果を得られたことで報われたような気がします。

ここまで長々とこれまでの野球人生を振り返らせていただきました。ここからは少し文調を変えてカジュアルな言葉で綴らせていただきます。申し訳ございませんがもう少々お付き合いください。


〜まずは後輩に向けて〜

つまらない文章をここまで読んでくれてありがとう。僕は大した成果も功績も残していないので、元雑魚部員がなんか言っているな、程度に読んでくれればいいです。もちろん涙してくれても構いません。

伝えたいことは2つ。どんな相手にも堂々と戦ってほしいということと選択を正解にしてほしいということです。

小学生編で触れましたが、大田区新人戦で優勝した時。正直準決勝までは同連盟に所属するチームとの対戦もあり勝てるといいな、頑張れば勝てるかなと思いながら試合に臨み仲間に助けられながら勝ち進んでいました。しかし決勝の相手は区内でも強豪として名を馳せていたチームで個人としては正直勝つことは難しいだろうと思っていました。監督、コーチも同じように思っていたと思います。でもチームメイトは違いました。勝利が難しいと思っていたのであれば飛び交う言葉は「明日も頑張ろうな」や「楽しもうな」だと思います。しかし聞こえてきたのは「絶対勝とうぜ」と「優勝しよう」でした。特に同期はバカがつくほどの野球好きで、本気で勝利を疑っていなかったように思います。こいつら相手のこと知らなすぎだろと思いつつもそんな同期の士気を下げるわけにはいかず、本音を押し殺し同調していました。そして実際に優勝。信じられないという気持ちとチームメイトへの感謝でいっぱいでした。恐らくダルビッシュだったと思いますがインタビューの中で日本の野球とアメリカのベースボールの違いを問われた際に、「日本人は、明日の相手先発は〇〇だから打つのは難しいと言うが、アメリカ人は、明日の相手先発は△△らしい、対戦が楽しみだと言う」と答えていました。今年のWBC決勝前の大谷翔平の「憧れるのをやめましょう」も同義として捉えられると思います。戦う前から自分たちを卑下する、相手を知れば知るほどネガティブな思考になる。日本人の悪いところです。後輩のみんなには自分たちの取り組みに自信を持って戦って欲しいです。三鍋さんもおっしゃっていましたが、みんなが戦うのは硬式や準硬式ではなく軟式を選んだ同じ大学生です。リスペクトはしつつも絶対に卑下する必要はありません。2年前の全日本選抜大会もそのように戦っていました。少し”強欲”なくらいでいいと思います。気持ちで負けずに堂々と戦ってください。

2つ目の選択を正解にしてほしいということ。これまで野球人生のみならず人生を通じてあらゆる選択をしてきた中で、今振り返ると圧倒的に後悔の方が多いです。でもこれまで通ってきた数えきれない分かれ道の中で、その段階で後悔するかもしれないと思って下した決断はもちろんありません。人間は誰しも良い結果が得られる可能性が高い選択をする中で、それでも人生に後悔はつきものだと思います(22年弱の人生で何を分かったように語っているのかと思われる方もいるかと思いますが)。だからこそ正解と言える選択をした時に、ではなく選択を正解にすることができた時に達成感や喜びを感じることができるのだと思います。

僕の場合だと、「高校で野球から離れる決断」、「大学で投手を希望した決断」、「4年生でも選手を続けた決断」など挙げればきりがありませんが、これらの決断は僕にとって不正解です。後悔しています。高校でも野球を続けていればもっと違った成績が得られただろうし、入部当初から野手として練習していれば…自分が学生ヘッドをしていれば……引退して2ヶ月が経った今でも後悔します。というか一生後悔し続けると思います。

しかしもし仮に、高校ラクロス部でスタメンだったら野球を離れてラクロス部に入部して良かったと思っているだろうし大学でもラクロスを続けていたでしょう。投手として大成していれば投手を希望して良かったと思うだろうし、優勝できていれば自分は選手を続けて良かったと思っていると思います。もうお分かりの通り(ありきたりすぎて書いている僕が涙しそうですが)結果が全てを支配します。もちろん決断を下し、それを正解にするために限界まで努力を重ねたとしても自分が望んでいた結果が得られないことだってあるでしょう。人によっては悔やむところがない程の努力したんだから結果がついてこなくても仕方ない、一連の努力の中で得られたものがあったと受け入れることができるかもしれません。しかし迷う余地があった以上は選ぶことができた別の道に進んだ時に得られたかもしれない成果と比べてしまうと思います。それこそ仕方のないことだと僕は思います。しかし自分の選択を不正解にしてしまったこの状況、非常に大きな後悔が残ります。なので後輩のみんなには自分が思い描いていた結果が得られるようにとにかく前を向いて突き進んで欲しいです。ひとつ言えることは、軟式野球部に入部したみんなの判断は正解にすることができるということです。またしても自分語りになってしまいますが、準硬式野球部に入部して全日本に出場したり、サークルに入って神宮で試合をしたりするという選択もありました。それでも僕は軟式野球部に入部した判断は正解だったと自信を持って言えます。軟式野球部でしか得られない戦績と何物にも変え難い仲間の存在があるからです。軟式野球部だからこそ出会えた奇跡の仲間と共に、みんなの「軟式野球部に入部した選択」を正解にできるように頑張ってください。何かあればいつでも連絡ください。待ってます。

〜先輩方へ〜

先輩方が創ってくださった軟式野球部の伝統をきちんと継承できたか、正直不安で仕方ないです。先輩方のように結果を残すこともできませんでしたし、部の雰囲気も先輩方が作り出してくださっていたアットホームなものを創り出してあげられた自覚はありません。そして最高学年となった最後の1年間は拠り所を失い苦しいこともありました。それでも当部に入部したことは後悔していませんし、先輩方によくしていただいたお陰です。

優太さんの代の皆さんには時に厳しく時に優しく、体育会生としての基礎を学びました。3年前当部に入部して本当に良かったです。三鍋さんの代の皆さんには沢山可愛がっていただきました。今でも時々やりとりさせていただけて嬉しいです。また飲み誘ってください。翼さんの代の皆さんは本当に学年の壁を越えて仲良くしていただきました。烏滸がましいですが友達のような存在です。これからも仲良くしてください。

〜きっと読んでくれているであろう友人たち〜

まずは體育會生のみんな。4年間お疲れさま。(まだ現役の人は最後まで頑張れ!) みんなの(特に野球部、準硬、ソッカー部、ラクロス部、重量挙げ部はインスタフォローして) 活躍は確認していたし、刺激をもらっていました。負けられないという気持ちがモチベーションになって4年間やりきれたと思います。特にわざわざ遠方まで試合を見に来てくれたみんなには、本当に感謝しています。今まで応援する側のことが多かった僕にとって応援される側の気持ちを知れたのはとても貴重な経験でした。本当にありがとう。

〜絶対に読んでくれているであろう應援指導部のみんな〜

4年間應援してくれてありがとう。應援させてくれてありがとうという言葉は我々には勿体無いです。小野路、昭島、上柚木、駒沢と遠い球場ばかりで應援に来てくれるだけでもありがたいのに、いつも全力で最高の應援をありがとう。1年の頃は一緒に応援できて楽しかったし、2年からは應援をグラウンドで受けて最高に嬉しかったし、ごく僅かな出番でもアナウンスされたら大声でみやけー!と叫んでくれて、小っ恥ずかしくも心地よかったです。また六大で飲み会をすると他大の選手も大声で若き血を歌えます。他大の選手が覚えてしまうほど何度も歌ってくれたしみんなの應援が力になっていたということだと思います。本当に4年間ありがとう。

〜先に家族に〜

面と向かって言うのは何を言い返されるか分からないので、体調を崩して部屋に篭っているこの時期(現在12月7日)にこの場で感謝を伝えます。対面でのリアクションは不要です。

やっぱり1番は大学でも野球やらせてくれてありがとう。決して丈夫な身体ではなくて、事あるごとに丈夫に産んであげられなくてごめんと言ってくるけど、ここまで元気に真剣にスポーツに取り組めたのは生まれてから今日までの両親のサポートのおかげです。本当にありがとう。そして大学では少々無理を言って車を貸してもらいました。衝突事故も起こしました。入庫の時に左前と左ミラー擦りまくってました。ごめんなさい。そしてご丁寧に沢山の事前の忠告をしてくれましたが嫌な顔ひとつで無視してしまいごめんなさい。これだけサポートしてくれたけど結果で恩返しができなくて悔しいですが、これから親孝行、婆ちゃん孝行でお返ししていくつもりなので待っていてください。

そして野球をやるきっかけをくれた兄、キングスではなくファイターズを選んだ兄にも感謝しています。先輩社会人としての心意気教えてください。辛いことや苦しいことなど(もちろん嬉しかったことでも)何かあったらお互い様です。いつでも連絡してきてね。

そしてうるさくて生意気な妹。とにかく頑張れ。兄たちを踏み台に是非僕を超えるBIGな人間になってください。大変だと思うけどね。

〜最後に最高の同期に〜

4年間ありがとう。4年間きついこと辛いことはいっぱいあったし、ガス橋の夏は暑いし冬は寒いし練習に行きたくない日もあったけど、それでも練習に行けばみんながいて、切磋琢磨して競い合って、お互いの成長が嬉しくて。そんな積み重ねで4年間続けられたのは偏に同期がこの13人だったからです。辞めようと思ったことはもちろん、辞めたいと思ったこともありませんでした。時には真剣にミーティングをしたり、時にはお酒を入れてふざけ合ったり。

歯のしまい方を知らずいつも存在するだけで元気をくれる秋葉

部のことをしっかり考えていて僕に投手を諦めさせてくれた一ノ瀬

いつも何事にも全力で1秋初回授業の態度だけはこの場で謝罪させてほしい内野

クラスメイトでありコハラーでK-POPに詳しい我が代の頭脳である小川

憎めないキャラといぶし銀の活躍で皆に愛され真のベテランとなった春日

抜群の野球センスを持ち恥ずかしがり屋くらいしか欠点がない金光

チームを引っ張る頼れる主将だが試合日の待ち合わせには15分遅れが基本の小林

我が代1のインスタグラマーで太平洋を越え奮闘するGeooooorjiin清水

上京4年目のいまだに方言が抜けへん我が代の絶対的エース田村

恋愛では結果が出ずも野球では背中でチームを引っ張る努力家廣田

圧倒的なパワーでボールとルアーを飛ばしまくる釣りキチ松田

引退後に筋トレに勤しみ常に話題の中心にいる我が代の敏腕主務丸尾

この13人と4年間戦えて本当に良かった。ありがとう。そしてこれからもよろしく。

次回のブログは金光功誠です。

三宅車のメインスポンサーであり、これからもいちばんお世話になるであろう存在です。先ほども書きましたが本当にPERFECT HUMANで恥ずかしがり屋な彼。今回ばかりは恥ずかしがらずに本音でかっこいいブログを期待しています。

超大作駄文となってしまいましたが最後まで読んでいただきありがとうございました。


















この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?