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終わらないから

みなさんこんばんは。大谷です。
本当は26日投稿の予定だったのですが、25日の夕方に謎の病に倒れ救急搬送されたため遅延してしまいました。数日間の点滴生活から解放され、無事退院した現在も病気の正体は分からず、発症原因も不明です。そういえば、入院前よりも加速走のタイムが上がっていました。点滴に何か良くないものが入っていたのでしょうか。

今回は久しぶりに短長ブログをかけるということで、この競走部生活を通してとても大事に感じた二つのことを書いていきます。本当はもっとたくさん書こうと思ったのですが、まとまらなかったので今日は2つにしました。追記とかできるなら定期的に書き足します。


姿を変える練習メニュー

みなさんは、高校時代以前に取り組んだドリルのことを覚えていますか?僕は、高校時代に教わったドリルを今でもやっています。しかし、大学入学後しばらく、やっていない時期がありました。それは高校卒業当時、「極めたな」と思ってしまったからです。そのあまりにも愚かな男は競走部に入って環境が変わり、新しい練習に触れていくなかで見事に目移りしました。そして、高校時代に毎日取り組んでいたドリルなど取り組まなくなりました。しかし、結果が出ない。「新しいことをやっているのにおかしいな」、なんて思っていたある日、ふと高校時代に習ったドリルを、気まぐれにやってみました。すると、そのドリルは以前とは全く違うものになっていました。久しぶりにやって新鮮とか、そういうレベルの話ではありません。完全に別物でした。それは、競走部で学んだ新しい動きや視点によってドリルが姿を変えた、まさにその瞬間でした。それと同時に、新しく取り組んでいたドリルが自分の中に浸透していくのを感じました。

そのときから、自分の中で陸上競技に対する考え方が変わったような気がしています。それまでは何となく、「陸上競技もいつかは終わる」みたいに考えていました。きっと限界があって、学生生活も終わって、やめるときが来るんだ、と。でも、それは間違いでした。陸上競技は終わらないんです。どんなに極めたと思っても、そこに頂はなくて、目の前にはゴールの見えない階段が続いています。

その後も、様々な新しいドリルに取り組み、自分なりに洗練しました。そして頭打ちを感じるたびに高校時代のドリルに戻り、再びドリルが姿を変えるその瞬間を見に行きました。今も、その繰り返しです。

心を通わせる

大学陸上を通して学んだ大きな要素として、応援してくれる人の存在があります。こう書くと非常に陳腐な表現に見えますが、それはあまりにも大きな存在でした。

目標の共有

僕は高校時代まで実家暮らしをしていたため、最も応援してくれる存在である家族が身近にいました。特に中学生時代には、父がメニューを考えてがっつり教えてくれていたので、まるでコーチと寝食を共にしているような状態に近かったと思います。大学に進学し実家を出ると、家族と離れることで意志や目標の共有がどうしても少なくなりました。これは、自らの目標を明確にする力が足りなかった自分にとって大きな変化でした。それからの約2年間を振り返ると、なかなか競技力が伸びず、霧の中にいるような感じだったと思います。

新しい戦友

大学2年の後半くらいから、トレーナーさんとコミュニケーションをとることが明らかに増えていきました。文字通り毎日診てもらい、競技に関する大切な話から他愛もない会話まで、たくさんした気がします。その過程で自分の中にも少しずつ目標が明確に形成されていきました。これは、目標を密に共有し、普段からコミュニケーションをとっていたことが効いていると思います。同時に、不思議と背中を押されるような感覚を覚え、応援してくれる人の存在を漠然とだけれど、これまでよりも強く感じるようになりました。そしてそこからの2年間、競技力は次第に伸びていきました。もちろん他の要素(留年等)も関わっていますが、本気で同じ目標を持つ人がいて、ともに進捗を感じることは何よりも大きな要素だったと思います。

僕は基本的に、人のために陸上をする感覚を持っていないつもりでしたが、そうではなかったみたいです。戦友がいるのといないのでは個人の戦闘力に大きな差が生まれるようです。愚かな僕は、このことが腑に落ちるまで、あまりにも長い年月を要しました。

みなさんには、戦友と呼べるチームメイトはいますか?たった一人でもいいです。心を通わせて、同じ目標につき進める人をぜひとも見つけてください。個人的にはサポートブロックの方々がおすすめです。

同じ目線

個人的に、選手とサポートは、同じ目線に立っていてほしいと思います。同じ目標を目指す以上伝えるべきことはしっかり伝え、ぶつかったときは腹を割って話す。そういう関係が理想かなって思ったりします。

皆さん、どう思いますか。

陸上を頑張る理由

本日の最後として、自分が陸上を続けたい理由、頑張りたい理由を少しだけ書いておこうと思います。いつか見返して、その時の気持ちとどれだけ変化があるのかを確認するために。

いつか終わるから

よく、「大学行っても陸上を続けるなんてすごいね。自分は高校三年間で終わろうと決めてたから頑張れたのに。」みたいなことを、言われたり言われなかったりします。それを聞くたび、確かになぁなんて思っていました。陸上を人生に置き換えると、「不老不死になっても面白くないし苦痛。いつか終わる時が来るからこそ、今この瞬間に尊さを感じて一所懸命に頑張れる。」みたいな感じでしょうか。でも、自分にはそれがしっくりきませんでした。わかるような気がしつつも、なんとなく腑に落ちない。そんな感じ。でも、深くは考えませんでした。

決して終わらないから

最近になって気づきました。陸上は、終わらないから楽しいんですよね。どれだけ極めたと思っても、それをあざ笑うかのように先へと続く階段が姿を現します。完璧な状態なんていつまでたっても、影すら見えません。かつて見えた気がしていたのは幻でした。だったら、やり続けるしかないんです。決して終わらないから楽しくて、やりがいがあって、一番楽しいです。きっと他にも理由はあります。今は見えていないその理由が見えるようになる日が、待ち遠しいです。

永遠に

僕は死後の世界を信じているので、あの世でも楽しく陸上競技がしたいと思っています。ただ、懸念点はいくつかあります。あの世の物理法則的なものがどうなっているのか、この世と同じレギュレーションで楽しめるのか、成長という概念はあるのか。まあ、きっと楽しい陸上生活が送れると信じて、まずは「この世編」を存分に楽しもうと思います。

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