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オオキです。回ってきたので更新します。
特に書きたいと思うことがなかったので、温泉につかりながら1時間くらい思考していたことについてつらつら書こうと思います。浅いものなので片目か薄目で読むくらいで十分です。


先日、全体合宿がありました。長距離ブロックだけではなく、全ブロックが一堂に会した合宿です。そこでのイベントの一つに焚き火か囲って”夢を語ろう”というものがあり、そこで誰かが言っていた、”特定の誰かの全てを取り込むのではなく、いろいろな人のいいと思ったところを取り込みたい”という言葉をふと思い出したので、それについて考えてみました。


考えを取り込む


“特定の誰かの全てを取り込む”というのは、その人を”完璧で目指すべき人である”と考えることによって起きる思想だと思います。ただ、その人が本当に全て完璧であってその人が正解なんてことあり得るのでしょうか。” あり得ない” と断言することはできませんが、ほとんど実現しないことでしょう。そうであるにも関わらず、 “特定の誰かの全てを取り込もう” ってなること、なったことありませんか?

いい悪いは別にして、特定の誰かの考えが”正しいわけではない”と個人的には思います。そこで今回は、”いろいろな人のいいと思ったところを取り込む”とはなにか考えてみました。


洗脳


まず、“特定の誰かの全てを取り込む”というのはある種、洗脳のようなものだと思っています。ここでいう洗脳というのは、洗脳の意思を持って特定の誰かに洗脳された、とかマインドコントロールされているとかではなく、自ら尊敬が行き過ぎたあまりに洗脳状態に入ったことを指します。ちなみに洗脳とは、洗脳されていることに気づいていない状態を意味します。つまり、私を含めみなさんは、”洗脳されていない”と断定することはできません。洗脳されていても洗脳されているとは気づくことがないからです。
話を戻します。上のような、“特定の誰かの全てを取り込む”状態ではなく、“いろいろな人のいいと思ったところを取り込む”ことを実現するには何が必要なのでしょうか。私は、自身の価値観を持つこと、そしてそれを言語化して自覚しておくことが必要だと思います。


価値観とは


価値観とは、その人の思考の根底にある考えで優先順位がつけられているものだと思います。” 携帯をいじっていたい” というものと” 携帯をいじるのは時間の無駄 “という考えがぶつかったときに” 携帯をいじっていたい” が勝ったとき、それは携帯をいじる行為のほうが、その人にとって優先されるべき価値観であるということになります。この二者の優先順位一つをとっても、人によって優先対象はわかれるでしょう。これは一例ですが、みなさんも判断の時に無意識に優先順位をつけていると思います。その根底にある価値観を持って、それが何なのか知っておくことで、優先順位を意識的につけることができ、” いろいろな人のいいと思ったところを取り込む” 、物事を決まった尺度で比較することが実現されると考えます。ただ、これだけでは不十分です。なぜなら、価値観の形成には経験が大きくかかわっており、その過程においても先ほどの” 洗脳” が一切なかったとは否定できないからです。つまり、比較、選択のための尺度を持つことはできていますが、その尺度が偏ったものである可能性が否定できないからです。そこで二段階目として、” 過去を振り返ってみる” ことが効果のあることだと考えます。


振り返る

価値観の形成には経験が大きくかかわっており、成功体験や失敗体験、トラウマなどを契機にその価値観が形成される傾向にあると感じます。そのタイミングで出会った人、感じたことなどが価値観形成のキーになっていたりするのではないでしょうか。それを今振り返ってみたら、見えてくるものがあるのではないでしょうか。


傾ける


ここまでいろいろと書いてきましたが、”いろいろな人のいいと思ったところを取り込む”というのは、簡単そうで簡単ではないと個人的に思いました。ただ、取り入れたそれが”正解である”ということは、断定できることではないです。つまり、”いろいろな人のいいと思ったところを取り込んだ”人も、やはり正解ではないということです。だから、いろいろな人の意見に耳を傾けてみるというのは、答えを出すうえでかなり大事なことなのではと思いました。
ただ、深い思考を重ねたうえで出た結論であれば、無理になにかを取り込む必要はないと思います。

次は葛西くん


温泉につかりながら少し考えてみただけのことなので、帰着点が浅いものになってしまいました。
次は池袋にゆかりのある葛西くんです。よろしく。

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