「出来る」か「出来ない」かじゃなくて、「やる」か「やらないか」 石川淳

「無理」
この2文字は便利な言葉だ。苦しい時に言うとその苦しみから逃れられる魔法のような言葉だ。実際僕も過去にこの魔法を何度も唱えた事がある。でも僕はもうこの言葉は引退まで使いたくない。出来ないと言うのは誰にだって出来るし簡単なことだ。しかしそう思った瞬間、その人のその分野における可能性は閉ざされる。

僕の大学入学時点でのスペックはこんな感じだった。
・身長177cm
・体重83kg
・体脂肪率16%
・やり投57m04、円盤投(1.75kg)32mちょい
・幅、砲丸、高、ハードル、ポール未経験

普通に考えたらこんな人が十種競技で結果を残すことは「出来ない」だろう。それでも僕は何が何でもやる、十種競技で全国で活躍出来る選手になると決意して入部した。そう決意したらあとはやるだけで、出来る可能性とかは一切考えず、自分がやりたい、成し遂げたいという気持ちだけだった。

ところが実際に十種を初めてみると、自分のあまりの出来なさに驚いた。技術以前に体が弱すぎた。メディシンは壁まで2バウンドくらいでやっと届くしランメニューは最終セットは必ず最後尾でゴール、腹筋はポールの上で一回も上がらないし、背筋は3回しかできない。最初の頃はそんな中でも成長を楽しめていたが、あまりにたくさんの「出来ないこと」に次々と直面していくなかで、気がついたらこれは今の自分には出来ないからいいやとか、今日は別のことして疲れてるから出来なくて仕方ないなどといつの間にか「出来る」、「出来ない」で物事を線引きしている自分がいた。それでも大学で始めたばかりだったということもあって、試合に出るたびにベスト更新出来ていたからなおさら自分に甘えてしまっていた。

そんな中、同期にどんなことでも絶対にやる男がいた。酒井由吾だ。実はこのタイトルも先日の1on1ミーティングで彼の口から出た言葉で、みんなにもこの考えを共有したいと思ってこの文章を書いている。彼は誰よりも自分に厳しいことを課してそれを絶対に成し遂げる。出来ないことは絶対出来ないままにしないし、出来る出来ないでなく、まずとにかくやる、絶対に。その次にやるにはどうしたらいいかを考える。彼と一緒に練習していくうちに自分にそれが足りないことに気がついた。

先月、メディシン投げで投擲ゲージを初めて越すことが出来たのだが、越えるまでに2時間半かかった。その日の投げ始めは3、4mも足りていなかったのだが、あらゆることを試して、ゆうごの動画を何回も見返して、服を脱いで奇声を発しながら2時間半投げ続けてようやく越すことが出来た。以前の自分であれば3メートルという差はそんなすぐ埋まるものじゃないし今日から少しずつ頑張ろうなどと訳の分からないことを行って30投くらいなげて終わりにしていただろう。

自分だって元々どんなことだってやってやると思って十種を始めたはずだったのだが、なぜ人は出来るか出来ないかで考えてしまいがちなのだろうか。僕が思うに、出来る出来ないで考える人は目的思考で物事を考えてみると良いと思う。目的思考とは自分がこうなりたいと思った像に向かって取り組むという考え方だ。しかし自分はあまりに多くの出来ないことに直面する中で、いつの間にか過去の経験や現状の自分に基づいた目標を立てるようになってしまっていた。出来る出来ないで考えてしまう人の多くは後者の考え方をしているのではないだろうか。逆にゆうごは現状の自分に関係なく自分が成し遂げたいという思いで目標を立てているし、誰よりもその目標に対する覚悟も強いから目的思考で困難なことでも成し遂げられるのだと思う。どちらの方がより良い成長曲線を描くかは言うまでもない。

とはいえ、陸上に対する思いは人それぞれだと思うから自分は陸上を単純に楽しめればいいと思っている人もいるかもしれない。ただそういう人達は、自分の練習に対する甘えだったりぬるさが、学生生活を懸けて真剣に取り組んでいる人達の邪魔になっているということを自覚してほしい。そういったぬるい雰囲気は練習中伝播していくし、その空気が集中している選手や全力でサポートをしてくれている人達の士気を下げることにも繋がりかねない。そもそも、自分の目標に向かって死ぬ気で頑張ることは競技力に関係なく誰にでも出来ることのはずだ。4年間1人で常に自分に厳しくやり続けるのは難しいし僕だって途中で出来るか出来ないか思考に陥った。でもだからこそ部という集団でやる意味があるのだと思う。僕はゆうごからかなり良い影響受けた。跳躍ブロックのみんなには士気を下げる側ではなく、みんなのパッションを掻き立てるような存在になってほしいし、僕はそういうブロックにしたいと思っている。

ここまで読んでくれた人は明日から早速「出来る」か「出来ない」かじゃなくて、「やる」か「やらないか」で陸上に取り組んでみてほしい。僕は日吉が使えなくなってからポールや投擲が一切できなくなったので、ポールの武者修行をしに香川に来た(感染対策で飛行機を避けるべく、車で8時間くらいかけて)。はたから見たら凄いことなのかもしれないが、出来る出来ないでなく何が何でもやるという思考を持った僕にとってはむしろそれが思いつく最善の選択だったので当然の決断だった。競技場が使えないからこれが出来ないと言って言い訳はしていないだろうか。日吉が使えなくても練習法など工夫の余地は山ほどあるし、このような環境でもちゃんと成長出来ている選手はたくさんいる。試合では競技場が使えなかった大学に何かハンデをくれる訳ではない。

何が何でもやる思考に1番必要なものは何か。それはパッションである。苦しい時はパッションで乗り越えよう。(パッションについてはまたの機会に書こうと思う)。日吉が再開した時に「やる」か「やらない」か思考でこの期間を乗り越えて成長したみんなと一緒に練習出来るのを楽しみにしている。

追記

香川に来てルアニィ先輩や現地のクラブの選手と毎日一緒に練習をしていて、やっぱり自分自身にもっともっと覚悟が足りていなかったことに気がついた。みんな、大学での4年間を終えた後でも競技を続けるために結果を残そうと死ぬ気で取り組んでいて、そういう姿を見ると自分はまだまだ覚悟が足りていなかったと実感したし、練習に対する当たり前の水準も低かったし、そういう自分の甘さが部の良くない雰囲気を助長してしまっていたと思った。ここのクラブは、実業団で陸上で食べていくような選手がいて、その人の取り組み方や雰囲気を中高生が察知して真似ているから、何年間も強い組織であり続けている。逆に、今少し練習の雰囲気が甘い部員がいるのは、ブロック長である自分の雰囲気を真似てそうなったのだということだ。本当に申し訳ないと思うし反省している。まずは、今の取り組みで本当に自分の目標が達成できるのか、自分に何が足りていないのかを心技体の全側面からもう一度綿密に振り返って、「必ず」結果を出すことに対してより強い執着心を持って練習をしていきたい。

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